第9話 ほしかったもの 1

 ローストティーの芳ばしい香りとともに運ばれたバターたっぷりのクッキーは執事ジョシュアの好物でもあった。


「いい香りだ。ジョシュアが帰ったら食べさせてやらなくては恨まれてしまうな。」


 ひとつつまんで口に入れると鼻からバターの濃厚な香りが抜けて甘味が柔らかく舌の上に広がる。

 サクサクとした歯触りを楽しみながら飲むローストティーは確かな癒しの効果があると感じる。

 目を閉じて疲労感から解放される感覚を味わっているとロザリアから声がかかる。


「ぼっちゃま、ジョシュアに魔道具で声を送る前に定期連絡の書類に目を通されますように。肝心の仕事がしっかりと済んでいるのを確かめぬうちは戻すわけにも行きませんので。」


 『しっかりと』のところに余分に圧力が感じられ、少しジョシュアを気の毒におもう。


 執事のジョシュアはロザリアの従弟いとこにあたる。私ですら頭が上がらないのだからジョシュアがロザリアに強気に出られる訳がない。私よりも長い付き合いなのだから尚更だ。


 そのロザリアとて経理の腕ではジョシュアには敵わない。

 人当たりが良く、おもわぬ視点で状況を把握し無駄な出費を削ることができる。また、わずかな資産でも絶妙な運用で利益を上げる力があるのだ。見かけはにこにこした小太りの平凡な男なのだが、この点に於いて右に出るものはいない。


 私はジョシュアに頼んで一年前から兄達の抱えた借金を処理するための返済管理にあたってもらっていた。


 兄達が多額の負債を抱えることになった元はといえば私の幼い頃に遡る。





 *…:.*…:.*…:.*…:.*…:.*


 私の父グレゴリアは冒険者であった。


 魔物討伐の功績で、一代限りの準男爵に叙爵されたが貴族として居るよりも魔物と戦うことで自身の力を高めることを好んでいた。


 父はあまり帰ってこない。居ても月に一度、2日ほどするといった様子。そして帰っても魔物の話をするばかりだった。


 ────母は、寂しかったのだろう。


 日々の生活のなかで埋めることのできない心の穴は穏やかで献身的だった母を蝕んでいき、その精神は緩やかに壊れていった。




 私の兄は双子である。

 ハチミツ色の美しい髪、青い瞳の長男アヴァロ、同じ色の髪に紫色の瞳をした次男ベセルス。顔立ちも2人は母に似ていて、父と同じ黒髪は三男の私だけだった。



 壊れたあとの母は自分に似た容貌の兄達にかかりっきりだった。

 更に父が稼いだ数々の魔物の討伐報酬を湯水のように遣い、貴族らしい生活を双子の兄達に強要し、準男爵という地位に縋るようになった。


 幼い頃から延々と続く努力、母が理想とする貴族像に寄せるためだけの日々。

 周囲に対して兄たちの言動は徐々に傲慢なものになり生活は母によって支配されていた。


 父の地位を鼻にかけた、歪で偉ぶる双子の子どもが周りからどうみられるか。

 母は思い付きもしなかったのだろうか。


 大人たちからも兄たちが煙たがられているのを何度も見聞きした。


 商人を呼び寄せては衣類、宝飾品を買い、双子の兄達を着飾っては悦に入る母。


 所詮は一代限りの貴族、子はいくら貴族にしても平民と変わりないというのに……。


 上の兄達を貴族らしく育てるのに夢中だった母は、三男の私に対しての教育は眼中にないようだった。

 最低限の教養は当時我が家に勤め始めたロザリアが教えてくれた。


 7歳の頃から母とはほぼ口をきかなくなった。駆け寄っても話しかけても返事がない。

 慈しまれている兄達と比べると私というものは、存在していないかのようだった。


 きっと父と同じ黒髪で金色の瞳に生まれた私をみると父の姿を思い出すのだろう。


 厭われていることを実感した。

 はじめのうちは寂しくもあったが、ロザリアが厳しく優しく接してくれたことで私の精神は保たれていた。



 私は礼儀作法よりも、魔力の流れを学んだり、身体を鍛え、木の枝から自分で作った木剣を振ることが好きだった。


 意識するだけで温かいものが手のひらに集まる。全身に行き渡るように意識すると冬の寒さも苦ではなくなった。自分の思うように動かせるこれが魔力なのだと思うと楽しくなった。



 いつしか父のように冒険に出ることを夢見るようになった。


 稀に帰って来る父から、魔物の話や冒険者の流儀について聞いては心躍らせていた。


 父は魔物の話の続きを聞きたがる私を見ると少し困ったように口角を上げて、頭に手を乗せて撫でてくれた。



「仕方のない奴だな。……いいか、俺のように成るなよ。」


 それが父の口癖だった。父の手は大きく、傷痕もたくさんあったが、温かかった。


 父は時々私の鍛練の様子を見て、木剣の振り方を指摘したりもするようになった。

 父が家にいる間は私の側にいることが多くなり、私自身、母や兄達よりも父と話すことが増えていた。


「父さんは何故、毎日帰ってこないのですか?」


「俺は……冒険していないと死んでしまいそうなのさ。退屈が何よりも俺の技を鈍らせる。」


「私と一緒にいるのは退屈ではないですか?」


「お前を見ていると駆け出しの頃を思い出す。その目は今にも冒険に出たそうにしてるからな。」


 父はそう言って笑った。


 10歳になって初めて教会に職業適正を聞きに出掛けた。見るものすべてが物珍しく、色鮮やかで刺激的だった。


 教会に入り司祭に適正を見てもらう。

 費用は父が用意しロザリアに持たせてくれていた。


「ほお……これは珍しい。」


 水晶の前で感嘆の声を上げた司祭は羊皮紙に書きつけ私に持たせた。


 私の職業は魔法剣士であると伝えられた。ハレノア皇国内に5人のみと言われた希少な職業だ。私を入れると6人になるという。


 昔から剣を振ることや魔法についての興味が尽きなかった私は、自分に最適な職業を得られたのだと嬉しかった。


 早く知らせたくてロザリアに頼み、父に魔道具で声を送ったらすぐに返事があった。



『そうか、自分の望む職を得られたのならそれが一番だ。祝いにお前の喜びそうなものを届ける。好きに使うといい。』



 父の声が喜びに弾んでいるのを聞いて嬉しかった。

 家に戻ると目が埋もれる程の笑顔を浮かべた執事のジョシュアから、


「グレゴリア様から届いたものです。」


 と大きな箱を手渡された。


 中には魔物の皮で作った鎧と籠手、切れ味の良さそうな短剣と『魔法全集初級編』が入っていた。


 早速、装備を身につけ出掛けようとすると母が玄関にいた。

 ここ数年まともに話していない母、ミレーヌが。


 無視されるかもしれない。ただ、無言で通り過ぎたくはなかった。

 声が上擦りそうなのを感じながら声を掛けた。



「母さん……あのっ私には魔法剣士の適正があるそうです。父さんからもらった装備を試しに、行ってきます。」


「…………神様のせい……」


「?……母さん?」


「剣士の適正をもらったからあの人は冒険者になった……。弱いうちは良かった。毎日家に帰ってきて私を頼ってくれていた。

 でも……神が与えた適正が在るばかりに強くなり、魔物と闘うためだけに生きて───今はもう私を見ない。

 どうして……私から奪うの神様は。」


 うわ言のように呟いている。

 その暗い瞳は、私の姿を映していない。

 目の前にいるというのに。


 きっと私には母の瞳に何か映すことなどできないのだろう。



 その暗く虚ろな瞳の前に立っていることに耐え切れず母の横を走ってすり抜けた。


 そのまま近くの森に駆け込む。


「………ッ!ハッァ、ハッ、ハッ、グッァ」


 息が切れるのは急に駆け出したからではない。息を吸い込もうにも呼吸が続かず短くなってしまう。

 苛立ちと戸惑いを体がどうしたらいいか解らなくなっていた。


 嗚咽とともに身に覚えの無い水分が頬を伝う。


「母さん……っも、私を、見ては、……くれ、ないじゃないか──!」


 自分が泣いていること、母の存在を欲していたことを受け入れるとようやく息を吐き切ることができた。

 


 玄関に居てくれたことで期待してしまった。

 私の言葉に対して返事をしてほしかった。

 笑ってくれなくていい。


 ただ 『いってらっしゃい』 と


 そのひと言だけ、母からほしかった。





 





 






 


 





 









 




 

 

 



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