第7話 ていねいなおしごと
ヨウジは作業用の上着左胸ポケットから変わった素材の手袋を取り出して装着し、左腿のポケットから黒い金属製の
パチン、と高い金属の音が森に響く。
腰から下げていた袋から濡れた小さな布切れを取り出し、切った枝の切り口に添えて、紐で縛る。これをおよそ10株ほど作るとようやく振り返った。
「ライル、マジックなんとかいう袋に入れでくれ。そっとな。」
「時間経過のないマジックバッグにしまうのにそれほど繊細さが必要なのか?」
「ほんとは切って直ぐ水あげしてやりでぇんだが、マジックなんだらの性能を信用してこの程度にしとぐ。知ってる品種に近ぇが別物だがらさ、特に丁重にはしてるつもりだんだ。
ほれ、人の切り傷だって切った直後が一番痛ぇろ?
手摘みの葉ではねぇ、しっかりと木になろうどしてる若ぇ枝を貰ってらんだ、
「ふふ、ヨウジにかかると薬草が幼子になるのだな。」
「おお……すげえ、待遇いいなその枝。」
「これどは別に新芽の先を十ほど摘ませで貰う。研究によっては今の精製より味と効能が良ぐなるがもしんねぇ。」
「マジかそれ、俺にも見せてくれよ。」
話の内容を聞いて興味をもったヴァンディがヨウジの手元に注目している。
「この一番新しい芽の芯と
「ほーほぉ、それで?」
「
「茎残ってんじゃねぇかよ。」
「そごはほれ、こうして柔け枝のとこだけ別にしてさ。ぷちんとこう、せぇば……。」
「あーわかった。一手間多いが枝と葉のところと選別する作業が減るんだな。」
「そういうわげさ、しかも柔けとこだけ選んでるすけ品質が上がるんさ。そうせば効能の向上も……。」
「かなり期待できるな。すげぇなジィさん。」
流石は年長者だ。こちらの仕事に文句は言わない代わりに自分の仕事の正当性を訴えて手順を覚えさせようとしている。長年の冒険者の手法に不満があるヨウジはこれを機に少しでも改善させる腹積もりだな。
「狡猾さもあるのか……、まったく有能すぎるお抱え農家だ。」
快晴の澄んだ空、日射しは柔らかい。出掛けるにはいい天気だ。
ヨウジは暴れずに済んだが、リクは今頃ロザリアと楽しく過ごせているかな。
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俺は今、萌黄色の少しラフなワンピースを着てロザリアとドリムの街にきている。
馬車の中ではアレコレと街の住人と接する上での設定づくりについて話をしていた。
「リク様は、辺境伯家のメイド見習いということにいたしましょう。会話でボロが出ても見習いであればいくらか誤魔化しが利きますもの。急ではございますが街中では『リクさん』とお呼びいたしますね。」
「いや、様付けよりずっとそれがいいなぁ俺。あ、メイド見習いが馬車から降りてきたら変じゃないか?」
「では礼儀作法の研修中、ということにいたします。ですので今から言葉づかいと、立ち居振舞いにも気を付けてのお買い物となります。よろしいですね?」
ロザリアの目が光った気がして身震いした。
「へ……、え? 今から?」
「リクさん、『今からですか?』ですよ。貴女が冒険者や貴族にとって有益な情報を持っている特別な存在だなどと知られてはなりません。拉致、監禁されて悪徳貴族に飼い殺される恐れがあります。」
ライルは欲の無い貴族だけど悪徳貴族だとそうなってたかも知れない。どこにでも悪いことに対して頭の回る人はいるから。それにロザリアが本気で心配するだけの価値が回復薬の栽培にはあるということだ。
「今後は薬草について迂闊に話題に出さない方が良いでしょうね。ローストティーの店でも衣類店でも同様にいたしましょう。馬車を止めてから短時間ですが簡単な挨拶、姿勢の保ちかたなど礼儀作法の初歩をお教えします。あとは、1人称は『わたし』にするのをお忘れなく。」
「ぐ、一番難しいやつ……。」
「リクさん」
視線が冷え冷えとしていて鋭い。
「お、『ワタシ』が……頑張りますワ。」
数日前に馬車の中から見た時も賑わっているなぁとは思ってたけど、さらに実感する。
「お嬢さん安くしとくよ! いい色だろう?」
「あらやだ、元気だった?! お久しぶりねぇ。」
「母ちゃん腹へったよ。あの串焼き買ってぇ。」
「へぃ、毎度ありぃ。」
「近ごろ隣の旦那が浮気して奥さんに追い出されたんだって、まぁ、そうなの? あっちでも? やあねぇ。」
「あっはっは、そりゃ傑作だ!」
露天商、道行く奥さん方に、おねだりする子ども、皆それぞれの会話に夢中だけど表情が明るい。
街の豊かさっていうのかな、とても活気があるように思う。
馬車を降りて露天の前を通り過ぎ幾つか角を曲がると茶色の紙袋を手に人が出て来るお店を見つけた。
「リクさん。こちらがローストティーの人気店『トップスン』です。」
お店全体が明るめの茶色いレンガで覆われていて、濃いめの緑の
雰囲気のあるお店の扉を開けると、
チリリンと心地よい音色のベル
一歩足を踏み入れると、すうっと深呼吸したくなる芳ばしいほうじ茶の薫り。ああ、ここではローストティーか。
「いらっしゃいませ。ロザリアさん、いつもありがとうございます。」
声をかけてきたのは黒のベストに白いワイシャツ、黒のギャルソンエプロンをまとった笑い皺が渋い男性。店主かな。
「ごきげんようゼル。今日もいつものローストティーをいただけるかしら?」
「ええ、もちろん。ところで、そちらのかわいらしいお嬢さんは?」
「メイド見習いですの。リクさん、」
ロザリアが促す。挨拶しろということだ。
では超短時間で受けた礼儀作法鬼研修の成果をば。
「初めまして、メイド見習いのリクと申します。よろしくお願いいたします。」
ロザリアに習った通り、両足を揃えヘソの上に両手の指先を重ねてお辞儀する。
2秒ほど数えてゆっくり顔を上げる。
ぐ……ちょっとぎこちないかもしれない。
「これはご丁寧に、ありがとうございます。店主のゼルといいます。当店のローストティーはお飲みになりましたかな。」
「はい、飲ませていただきました。鼻に抜ける薫りが芳ばしくて甘味があって、じんわり落ち着く味でした。」
心からの味の感想を伝えるとゼルさんは僅かに目を見開いたのち、にっこりと微笑んだ。
「お若い方にそういった味の感想を言っていただけるとありがたいです。お嬢さんくらいの歳であれば果実水の方が好まれるかと思いましたが……。」
「甘いものも嫌いではないですけど、やはり飲み続けていられるのはこちらのローストティーだと思います。特に美味しくなる淹れ方があったらぜひ教えていただきたいです。」
「流石ですね。辺境伯家に雇われる方は向上心がおありになる。……ロザリアさんとお会いした日のことを思い出しますよ。」
「まぁ嫌ですわゼル、そんな昔の話。」
ロザリアが話を遮るけれど、向ける眼差しは穏やかでうっすら微笑んでもいる。
イケオジにベテランメイド長がとてもいい雰囲気に見える。おおっ、とながめているとイケオジ店主がこちらも誘ってきた。
「では、せっかくおいでいただいたので美味しい淹れ方をお教えしましょう。此方へどうぞ。」
案内された先にはテーブルに置いた小さめのティーポットとカップのほかに銀色のポットが置いてあった。
「気軽に楽しむことが出来るローストティーですが、通常お屋敷などで給仕される時は皆さん茶葉をティーポットに入れて湯を注ぎ茶葉が回ったらカップに注ぎ入れるでしょう。ですが、」
ゼルさんはローストティーの茶葉をテーブルに用意し銀色のポットに手をかざした。数秒で湯気が立ちはじめる。
「ローストティーの本領は沸騰する湯の中で茶葉をしっかりと踊らせ味を出すことにあります。あ、これは魔道具です。水が入っていますので魔力を込めると湯が沸いてきますよ。」
魔道具だという銀色のポットは2リットル程のサイズ。
ゼルさんは銀のポットの蓋をあけてコポコポと沸騰した湯の中に大さじ3杯ほどの茶葉を入れた。
「このままこの砂時計の砂が落ちきるまで置きます。ロザリアさんが同じ砂時計をお持ちですのでお屋敷で淹れる時は借りて時間を確かめてください。」
砂時計は落ち着いたブラウンに鮮やかな黄色の砂で砂粒が落ちるとキラキラ光って見える。
芳ばしい薫りが立つ。
「ゼルさん、この魔道具のポットがお屋敷にない時はどうしたら良いですか?」
「そうですね。火にかけられる大きめのやかんがあればその方が茶葉の回りが良く美味しくなりますね。」
やかん? こっちにもあるのか?
「リクさんはまだ厨房に入ったことが無くてご存じないでしょう。やかんも魔道具のポットもありますわ。」
「ああ、よかったです。煮出したほうが美味しくなるんですよね。」
「その通りです。」
ほうじ茶と言えばでかい金色のやかんだ。煮出した方が美味しくなるのは同じだな。
「さっき入れていた茶葉を見て思ったんですが、採取された薬草の太いところは使っていないんですか?」
じいちゃんに頼まれたことを確かめるためになるべく自然に話題を持っていく。
「ああ、その部分の薬効は葉の次くらいにあるのですが焙煎してもわずかに苦味が残ってしまうんですよ。粉末にして薬屋に回しています。食あたりや食べ過ぎ、二日酔いに効くようですね。」
「茎の太さで味も違うんですね。教えていただいてありがとうございます。」
胃腸薬ということだろう。無駄に長い枝にしてるわけではないと分かればじいちゃんも納得する……かもしれない。いや、しないか。
凄く友好的な相手ならうまく丸め込んでじいちゃんのやり方に持っていきそうだ。
昔からお茶農家なんてやってると、茶摘み体験でいろいろな人がやって来る。
それこそ海外からのお客様もいる。じいちゃんは頑固だけど異文化交流には柔軟で、どんどん受け入れていた。英語なんてさっぱりなのに身振り手振りで教えて、きちんとつたわっているから不思議だった。
学ぼう、体験しようという相手には、すごく丁寧なじいちゃん。
学校の体験授業みたいなやつで嫌々来てる日本の学生見て、先生と生徒並べて
「そもそも子どもの行きたいところに体験しに行がせるべきでねぇが。大人が導かねでどうするぁんだ。」
「下ばっか向いでねぇでそのぐれぇ自分の意見言わねば大人に成られねぇろ。ん?」
と、それぞれにこんこんと説教して茶を淹れてやり、茶摘みはさせなかった。
最後には先生も生徒もいい笑顔で深々じいちゃんに礼をして帰るパターンを何度か見たことがある。
まさに命がけで依頼をこなす冒険者という職業のひとがどんな反応を示すものかわからないが喧嘩にならないと信じたい。
そんなこんなに想いを馳せていると目の前にカップが置かれ深い琥珀色のローストティーが注がれた。
「今日焙煎したばかりのものです。どうぞ。」
「いただきます。」
口をつけて感じる温かさはカップをきちんと温めているからこそのもの。
唇から入る柔らかい味わい、鼻に抜ける芳ばしさと懐かしさの他にも驚きがあった。
「ゼルさん……もしかして、これは薬効が強いのでは?」
思わず尋ねる。慣れない靴で歩いて来た足の疲労感がすっかり消えたからだ。
「将来有望なメイドさんだ。一口目に気づかれるとは……。もともとローストティーは疲労回復効果がありますが焙煎したてのものは買い置きされた物よりはっきりとそれが感じられるようですよ。」
出来立ての方が薬効が強くなる。良いこと聞いた。もし回復薬も同じなら……うん。絶対にじいちゃんに伝えよう。
そこでロザリアから声がかかった。
「リクさん、仕立て屋にもまわらなくてはならないのであまり長居してもいられませんわ。」
「は、はい。ゼルさん今日はありがとうございました。」
「お役に立てましたなら何よりです。ロザリアさんもまたのお越しをお待ちしております。」
「ええ、また参りますわ。」
店を出ていくらか歩くとロザリアの脚が止まる。
「60点ですわ。リクさん。」
「へ?」
「ローストティーの薬効の変化に一口目で気づくメイド見習いがどこにおりますの? 生産者側の意見が滲み出そうで思わず遮ってしまいました。所作こそ完璧ですけれど、もう少し自覚を持っていただきたいものです。ゼルのローストティーに関しての勘は鋭いのです。今頃きっと何かに気づいてほくそ笑んでいるに違いありません。」
「え、えぇ”……?」
「仕立て屋では言葉少なにしておきましょう。よろしいですわね?」
「ぅ、はい……。」
ダメ出しをされつつもそれから辺境伯家御用達の仕立て屋で普段着とメイド用の制服と、なぜかもう一着格式のありそうな水色のドレスを購入した。しかもこのドレスは仮縫いで本当の仕上がりは1ヶ月後とのこと。
なんで? という俺の表情に対してロザリアはスンとした顔で
「ドレスはこの先必須でございます。」
としか答えないものだから嫌な予感しかしない。
有能なメイド長には一体何手ほど先が見えているのかわからないが、水色のドレスの光沢が上質なシルクを思わせるものだったので俺には借金が増えている気がしてならないのだった。
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