第2話 よくあるまちがい
散々に揺さぶられたのち足の下に地面の感覚が戻った。真っ先に胃袋がちゃんと体に収まっているのを確認した。
「大丈夫か。」
余程顔色が悪いのかライルさんが優しく声を掛けてくれた。
「ぁ゛、ありがとぅございまず……っ。」
へたり込む俺の目に飛び込んできたのは紅い絨毯。
目線をあげると白地の壁が印象的な明るい建物の中だった。
高い高い天井に向かって植物が絡まるような彫刻が施された柱が伸びている。至るところにある植物や花のモチーフは色鮮やかで、四方にある窓から部屋の中央に光が集まっていた。
「ライルさん、ここは……?」
「リク、君の体のために必要だから連れてきた。まずは衣服を整えて薬を飲むんだ。詳しい説明はその後だ。」
ライルさんが手を挙げると、どこかから紺色のシンプルな詰襟のワンピースを着た女性がぞろりと5人出てきた。
「客人だ。丁重に頼む。
似合う服を着せてやってくれ。」
「かしこまりました。」
「え、ちょッ……ライルさんっ?!
…………………──────は?
────────っぎゃああ!!」
俺は思いのほか力強いメイドさんたちに風呂場に連れていかれて
服を剥ぎ取られ、
隅から隅まで磨きあげられた…………。
汚れとともにいろいろなものがなくなった気がする。
それから恐ろしく肌触りのいい服を着せられ髪を整えられ、煌びやかな金の装飾のあるゴブレットを渡された。
外見と真逆の毒々しい紫色の液体が満たされている。
「お薬でございます。残さずお飲みください。」
有無を言わせないメイド陣に促され恐る恐る口をつける。一気に飲み干した。
驚いたことにフルーティーで飲みやすいものだった。
豪奢な椅子に座って待っていると胃の上がぽかぽかとあたたかく、身体の中でゆらぐ感覚があった。
お湯のようだなぁ。と思うと、さらりとあたたかさが全身に広がった。正直、さっきの残念入浴よりずっと温まった。
ほぅ………気もちぃ──。
ひと息つくとノックが聞こえ、ライルさんが現れた。先ほどの鎧姿とはまた違った、襟がフリルになった白シャツをラフに着こなしている。
気品のある佇まいは貴族の当主といった風情だ。このお屋敷といい、お金持ちに違いない。
椅子に座っていた俺は立ち上がって出迎える。
ライルさんはこちらを見て眼を閉じると額を押さえてため息をついた。
「リク……───やはりな。」
「ライルさん、俺、あの……すみません。」
「いや、すまなかった、初見で気づいてやれなくて……許してくれ。」
日本の田舎生まれ田舎育ち、16歳 。なまりは気をつけているが一人称を「俺」と言ってしまう癖の抜けない『女』だ。
紛らわしくて申し訳ないのはこちらの方だ。
農作業の邪魔なのでいつも髪はショートカットにしているし愛用のTシャツもズボンも動きやすく緩みのあるもので体のラインがわかりにくかったことだろう。
『似合う服を』というオーダーで実力派メイド陣によって用意されたのは、俺が生まれてから今までさわったことのない高そうな若葉色のドレスだったのだ。
ドレス姿を見て納得した様子の美形。
この人はどのタイミングで気づいたんだろ。
「いや、ライルさん。一目で女だって気づく人あんまいないんで、気にしないでください。俺こんな綺麗な服着たことないから緊張しちゃって──似合わないですよね……。」
憧れはしても恥ずかしくてこんなお姫様みたいな格好はしたことがない。
「そんなことはない、とても似合っているよ。栗色の髪によく映える色だ。少年と見間違った私の目がどうかしてた。」
いやいや、まずその眩しい微笑みでこちらの目がつぶれます。
「思わず転移で連れかえってしまったがここは私の家だ。ハレノア皇国の中心地ドリムにある。リクはどこから来たんだ?」
「日本って国の田舎町で暮らしてました。
じいちゃ、ぁ、祖父と二人で。……ここは見たことも聞いたこともない国です。
それにあの緑色の生き物も、はじめて見ました。なんであそこにいたのかは、さっぱりわかんないです。」
「ニホン……聞いたことのない国だな。君は祖父と暮らしていたというが、その祖父はあの森に一緒に来てはいなかったのか?」
もしじいちゃんが同じようにいきなりあの森に移動していてあの猿モドキに襲われていたら……。
その可能性もあるのではないかとライルさんは言っている。
「確かに、この国に来ている可能性はあるかも……知れないです───。」
自分のことばかりで思い付きもしなかったが同じように地震を感じている人がみんなこの国に飛ばされているとしたら。
じいちゃんがあの緑のやつに酷いめにあわされていたら……。
指先からまた血の気が引いた。
「リクを襲った『ポワゾマアモ』は群で生息する。縄張り意識が強く攻撃的だが驚いたことに肉食ではない。ただ、生物の血を巣に撒いて繁殖を促すという厄介な習性がある。」
なんて凶悪な習性だ。
滅多打ちと刃物はそのためだったのか。
「いくら君の祖父が来ているかどうかが可能性に過ぎなくても、私は一度見に戻るつもりだ。彼の御仁の特徴と名前を教えてくれないか? 捜索してみる。」
「ライルさん、それなら俺も!」
「駄目だ。リク、君を魔物のいる森には連れて行けない。」
魔物────。
あの緑色の猿は魔物で、ここには魔物が普通に存在する。怪我がすぐに治せて、一瞬で国の郊外から中心地まで移動できる不思議な「力」が存在する。
俺の知っているところとはまるっきり違う『異』世界なんだ。
いろいろありすぎて混乱していたものがようやく腑に落ちた。ついていっても足手まとい、不思議な力を自在に使えるこの人に今は頼る他ない。
「────……わかり、ました……っライルさん……じいちゃんをお願いします……。」
じいちゃんは 小柄で丸顔、短い白髪で左腕に古い火傷の痕がある。名前は『ヨウジ』
ライルさんに特徴を伝え切ると、じいちゃんとライルさんへの申し訳なさに俯いてしまった。
命を助けてもらっておきながらなんの役にも立てずにいる。考えも浅く自分のことばかりで、役立たず故にじいちゃんの救援にもいけず、命まで委ねる始末。
なんて────情けない。
膝の上でドレスの布地を握りしめているとふわりと頭を撫でられた。
「任せてくれ、すぐに戻る。」
優しい声が降ってきて頭上からぬくもりが離れていった。
「リク様、横になられてはいかがですか?」
メイド陣の中でもベテランらしい人が気遣ってくれるが、このまま待っていたかった。
首を横に振るのを見てベテランさんが続ける。
「ではあたたかいお飲み物をご用意いたしましょう。甘いものはお好きですか?」
「はい……あぁ、でも……。」
「リク様は坊ちゃまの大切なお客様でいらっしゃいます。遠慮は無用でございます。なんのおもてなしもせずにいてはメイド長を名乗れませんもの。」
断ろうとするのを察したのかにっこりと微笑んで話すその声は優しさに溢れていた。
「……ありがとうございます──。」
おしゃれな色とりどりの焼き菓子が運ばれてくる。
メイド長はロザリアさんというらしい。用意してくれたティーポットからは懐かしい薫りがした。
「これは……。」
ティーカップに注がれた深い琥珀色の飲み物、胸いっぱいに香りを吸い込み一口飲む。
「『ローストティー』でございます。お口に合いますでしょうか。」
「はい……おいしいです。とても……。」
ほうじ茶だ 懐かしい。
嬉しかった。香り高い紅茶よりも今はこの香ばしさが体と心に安らぎを与えてくれる。
「このローストティーの原料は茎の部分でございますが、葉は『回復薬』としてつかわれている植物ですので疲れた体を癒すのには最適でございましょう。」
「え」
今なんて? ……───回復薬?
「あの『回復薬』って……?」
「傷を癒す回復薬でございます。若葉色の液体ですが、飲んでもよし傷口にかけてもよしの優れもので、葉を発酵させたものは魔力回復の効果があるのです。」
つまり、緑茶もしくは抹茶=回復薬で、紅茶=『魔力』回復薬だと。
『魔力』か、あの不思議な『力』はやっぱり魔法だったんだ。
ライルさんは魔法で緑茶……『回復薬』を浮かべて俺の体を浸したわけだ。
日本の緑茶とは明らかに違う効能、なにか違う栽培方法があるのか。
「あの、この植物ってここで栽培してますか?」
「栽培……でございますか? いいえ、山の斜面など日当たりの良いところに自生しております。それを依頼を受けた方が採取して組合(ギルド)を通して売るのです。」
うわあ、人手も手間もかかってるやつだ。
「あの、やっぱり高級だったりします?」
「葉の部分は、そうですね。茎は比較的手に入りやすいですから広く飲まれております。」
「じゃあ、全身浸かるくらいの回復薬って……。」
「瀕死の場合の回復でございますね。命はお金で買うことができませんので、あとのことは考えず回復していただくべきです。」
命を最優先はありがたいけど、変な汗が出て来そうだ。
「でも助けてもらってもお金がないときは……?」
「治してくださった方と直接交渉でございます。」
思わず頭を抱える。
じいちゃん……ごめんよ、異世界で借金作ってしまった────。
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