第119話 井戸の底の額縁




 水流に押されて、ワタシは流されていく。




 泡で前がよく見えなかったけど、一瞬だけ、【  章紋のトバサ  】の名札が見えた。






 奥深くまで沈んで、ようやく体が動かせるほど水流は落ち着いた。


 さっき名札が見えていたけど、ここはあの井戸の底かな……

 それなら、想像以上に深いことになりそうだけど……




 !!




 ワタシの横を、マウとクライさんが横切っていった……


 苦しそうに泡を吹き出しながら、上に向かって泳いでいる……

 ふたりとも、生き物だから酸素が必要なんだ!!



 ワタシもふたりの元にいかないと……!!


 上に手を伸ばし、水をかき分ける……




「これで、ふたりになったね」




 水の中を、その言葉が通り抜けて言った。


 足の方向を見ると……ワタシよりも深い位置にいるウアが、なにかを投げた……!!




 その瞬間、ワタシの小さな右足が引っ張られ、より水の奥深くまで、引きずり込まれた。




 ワタシの右足にあったのは……手錠……!!


 その手錠にはヒモがついており、ウアの左腕とつながっている!




 マウとクライさんは、どんどん小さくなっていく……!!


 ワタシが必死に口を開けても、泡すら出てこなかった。




 それどころか、口からプラスチックの胃袋へと水が入ってきて、沈むスピードが速くなっていく……!!




 マウたちの元に向かうには……ウアからの拘束を離れる必要がある!!


 ワタシは、下の方に体を向ける。









 底が、見えた。






 その底にあったのは……額縁。






 なにも描かれていない、なにも飾られていない、


 題名もない、額縁だ。





 !!


 額縁に気を取られすぎていた!!

 額縁の横にウアは背中を付けると、手錠を持つフジマルさんのものだった左腕を引っ張る!


 水の抵抗があるとは思えない強さで、ワタシは額縁の真ん中へとたたきつけられる……




 その上に、ウアが一瞬だけ浮かび、ワタシの上に乗りかかる……




 すぐにワタシは! 右手の甲に埋め込んでいるスタンロットの紋章に左手を伸ばす――




 だけど、押せなかった。


 ウアがいつの間にか手に持っていた……


 西洋で使われる長剣ロングソードによって、右手首を切断された。




 裾がくるくると、水面へと向かって上っていく。




「これで、やっとふたりっきりになったね」




 左腕は、ウアに肘を押さえつけられて動かせなくなる。そのまま、両足も。

 わざわざ左腕を切り落とさないその義眼は、ワタシを作品の原石としか見ていない目だった。


 おかしい……

 押さえつけられているワタシの体はともかく、どうしてウアは浮かばないんだろう?

 ウアの体は、地上にいるときと同じように重力があるのは、なぜなんだろう……?




「イザホ、もっと、わたしを見てほしいな」




 !!!


 ウアの体……


 さっきまで、ワタシの胸に渦巻いた感情のせいで……冷静に見ていなかった……





 ウアの手には、バックパックの紋章があった。


 それも、片手ではない! 両手……両足にも!!


 そのバックパックの紋章から、鉄球が半分だけ顔を出している!

 半分だけ出して、おもりにしていたんだ!! きっと頭の後頭部や胴体の背中にも、同じようになっているはず!!!




「それでいいの、イザホ。わたしを見て。その紋章の中に、わたしを見たという物語を刻んで」




 ワタシとウアは、死体だから酸素は必要ない。


 だけど、この状況を早く切り抜けないと……!!




 ウアの持っていた長剣のつかが、


 うっとりとまぶたを閉じるウアの口の中へと収められ……!!

 短剣ほどの長さの刃が、口の中から下のように出ている!!!


 口の中に、バックパックの紋章を入れていたんだ!!

 入れる直前、口に指を入れたことから、途中でバックパックの紋章を停止させ、一部だけ出るように固定したんだ!!




「10年前、バフォメットは森の中の廃虚でみんなを殺していた……それなら、この【  章紋のトバサ  】では水の中で、イザホはその役目を終えるの」




 まぶたを閉じたまま、ウアは味わうようにワタシの胸へと近づけてくる。


 口から出した、刃を光らせながら……!




 ウアと顔がぶつかりそうになり、思わず左に顔を動かす……




 !!




 ワタシの義眼が、動くなにかを捉えた……


 ワタシの被っている……羊の頭……


 そののぞき穴に、なにかが引っかかってる!!




「いい? オマージュはね、わたしの尊敬するものを紋章のように取り入れるの。たとえ、認めたくないものでもね……それが、わたしの作品となったの……わたしを作り上げたの!」




 ワタシは、左指をのぞき穴に入れる……!!


 刃物の先端は……胸との距離は、もう紙3枚挟める程度の距離しかない!!




「今まで、イザホを止めるかどうか迷っていたけど……がんばってくれたおかげで、とてもステキな作品になった……それをオマージュすることで……わたしの作品もより素晴らしいものになる……!!」




 お願い!! 届いて!!!




 力を貸して!! ワタシの紋章記憶の中にいる、お父さま!!










「おやすみ、イザホ」










 ワンピースの布に、刃は貫通した。







 その瞬間、ワタシは体を大きく震わせた。









「!!?」









 もちろん、ワタシだけじゃない!




 この水の中に入っていた、ウアもだッ!!!








 水の中を流れた電流は、その中にいるワタシたちの体も震わす。


 その衝撃で、ワタシの左手で触れた、羊の頭の中に入っていたものが出てきた!




「うそっ……」




 今、水面に向かって登っていったのは……




 ワタシの右腕!




 さっきウアが切断した右腕だ!

 切断した時に登っていたのは、右腕よりも大きな服の裾! あの時右腕は、羊の頭に指が引っかかっていた!


 作品を目の前にして感情深く目をつぶっていたウアには、気づかなかった!!




「たしかに切り落としたはずなのに……ッッ!!」




 呆然とするウアが力を緩めたのを見計らって、ワタシは左の手のひらでウアの頬を叩く!!




 バランスを崩し、ウアの体に埋め込んだおもりにより……


 ウアは横に、ひっくり返った!!




「ぁ……? パパ……?」





 ワタシはすぐに、体を起こし、浮かぶ右手を歯にくわえて……!!


 マウたちのいる水面へと、泳ぐ!!









 マウのところに、行かなくちゃ!!








 マウの……ところに……!!!








「ぁ……やっぱり……ほしい……パパ……イザホのバフォメットみたいに……パパ……わたしの作品に……」







 底から、ウアの声が聞こえてきたような気がした。








次回 第120話

10月22日(土) 公開予定

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