第118話 記憶消失を恐れる者と、怒りにたぎる物




 井戸の底で、ワタシたちは【  章紋のトバサ  】をその目で目撃した。




 開かれたカーテンの先にあったのは……額縁。


 その額縁の向こうには、星空が地面に並んでいた。




 奥に小さく、キャンパスボードが見える。




 その前に置かれた、小さなイスに腰掛ける黒いローブの人影……




「さあ、入ってきてよ」




 ローブの人影が足元に手を伸ばすと、額縁から足場が生えてきた。


 …… 「……」「……」




 ワタシはマウ、クライさんと頷いて、足場を渡り、




 額縁の中へと、足を踏み入れた。









 額縁の先は空間となっており、


 足元には星空が、


 天井には、森の葉と朝日が差し込んでいた。




「ねえ、楽しんでくれた?」


 人影が、静かにイスから立ち上がる。

 その声は本物の声帯ではないけれども、決して録音した声ではなく、たしかにその人影が言っていた。


「ウアちゃん……」


 クライさんは、静かに腰に手を回す。

 いつでも、拳銃を取り出せるように。


「初めてキミを実際にこの目で見た時、わたしは衝撃を受けた。まるで、10年前のバフォメット殺人鬼が見せてくれた、あの景色みたいに」




 人影は、キャンパスボードを手に抱えると、こちらを振り向いた。




「わたしはキミに影響を受けていた。10年前の事件で作られたと聞いたころから、まだこの目で見ていないころから」




 そのキャンパスボードに写っていたのは、




 ワタシ。




 そのワタシの胴体は服を着ておらず、胸に巻かれた包帯の下から紋章たちが輝いている。




 以前、裏側の世界で見た、色のついていないワタシの人物画。


 今、ここにある人物画は――




「ちゃんと、仕上げたからね。キミもでしょ?」




 ――ウアが書いたとわかるほど、写真のように本物そっくりに、色がつけられていた。




「仕上げたのは……イザホちゃんのこと……?」


 クライさんが揺さぶりをかけるように、ローブの人物に声をかける。

 それに対して、ローブの人物は笑みを浮かべながら、ワタシの絵画を静かにキャンパスボードに戻す。


「そうじゃない? だってイザホ……キミはバフォメット殺人鬼から影響を受けた、その顔があるでしょ?」


 こちらに近づいてきながら、無邪気に、ワタシが被っている羊の頭を指さしてくる。


 ……左胸に渦巻いていたものが、バフォメットお父さまの姿とともに、一気にわき上がってくる。

 それをワタシの小さな右手で、抑える。


「イザホをおまえみたいな模倣殺人者と一緒にするな! イザホは……ボクの婚約者だ!!」


 渦巻いていたものを代弁するように、マウが叫ぶ。


「わたし個人としては、違うと思うなあ。模倣というか……再現リプダクション? わたしはただ再現リプダクションしたわけじゃないよ」




 そういって、ローブの人影は止めているボタンに手を回した。


 その手は……左右で大きさが違う……!!




「イザホも、オマージュしているでしょ? バフォメット殺人鬼のその頭も」




 ローブが脱がれて、その姿が露わになった。







 左足は、若い女性の足。


 右足は、男性の痩せた足。


 胴体は、穴だらけの小柄な女性の胴体。


 右腕は、非力そうな男性の腕。


 左腕は、細く筋肉のついた長い男性の腕。




「テイさん……テツヤさん……スイホちゃん……ナルサさん……フジマルさん……」




 クライさんは、その姿を見て……


 元となっている人物たちの名前を静かに呼ぶ。




 それに答えるように……


 スイホさんの胴体の上で……











 ウアの頭部は、静かにまぶたを開いた。










「わたしは、10年前の事件に敬意オマージュを払う。許せない、だけど、とても愛おしい、尊敬するあの事件に」










 青いスカートに、裸体の胴体、胸に巻かれた包帯。


 その包帯から輝く、2つの紋章……


 動作の紋章と、記憶の紋章。




 ワタシが死体をつなぎ合わされて“作られた”のなら、


 目の前で誇らしげに胸を張っているのは、


 死体をつなぎ合わされて“作り直された”ウアだ。









「ただ、ちょっと失敗したみたい」


 ウアは、左腕でワタシに手を差し伸べた。




「そっちの左腕の方が、こっちよりももっといい」




 ……!!




 マスクの下で、ワタシは口を動かしていた。




「だいじょうぶだよ。余ったのは、2体目に残しておくから」




 ……今、フジマルさんのことを……




 まるで物のように、言った。




 いらない物のように、言った……




 人間だったフジマルさんを……おまけに使う物のように言った……!!




「それが……ウアの作りたかった作品? 10年前の悲劇を繰り返すことが、おまえが作りたかった作品なの?」


 マウの問いかけに、ウアはまっすぐな瞳で左胸に手を添える。


「悲劇よりも、もっと悲しくて、恐ろしいことがあるよ? イザホ、キミなら知っているでしょ?」




 ワタシは、バックパックの紋章から、オノを取り出した。

 おまえの言い分なんて……聞きたくない。




「それはね……忘れられることなの。誰も、その人のことを思い出せないこと。その人の存在がいたという……紋章が……奇麗さっぱり消えちゃうことなの」




 ……


 ワタシは、ただウアに向かって歩き始める。




「キミだってそうだよね? マウを借りた時、聞いたよ」




 マウを借りた?

 ワタシのマウをさらったこと?


 マウは借り物なんかじゃない。


 左胸に渦巻いた怒りは、ワタシの体を前に倒し、ウアの目の前まで迫る!




「キミの言っている“お母さま”から離れて、自立したんでしょ?」




 ウアは、抵抗する素振りも見せずに……笑ってる……!!


 ワタシは、ウアの左胸に目掛けて、




 オノを振りかざした……








「イザホ!! 様子がおかしいよ!!」









 マウの言葉に、ワタシはウアの手に注目した。




 ウアは、スカートの裾を右手でつかんて、手を伸ばしている……!!




「キミがひとりで生きることができるようになれば……お母さまが死んでも、ずっとキミの記憶に残り続けることが、できるよね?」




 その膝にあったのは、スイッチの紋章……!!









「紋章を埋め込まれて、わたしたちは作られる……それは物も、一緒だよ?」









 スイッチの紋章に触れた瞬間、









 左右の壁が開き、勢いよくが入ってきた……!!






「この勢い!! みんな!!! 流されてしまうよォッッ!!!」







 マウの声とともに、ワタシの体は水流によって地面から離れた。






次回 第119話

10月17日(月) 公開予定

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