第53話 白い部屋から始まる有給休暇
まぶたを開けると、白い天井が映っていた。
清潔感のあるライトがまぶしかったので、思わず左手を前に出す。
ワタシの大きな左手までもが、白く染まっていた。
肌を埋め尽くすように巻かれた包帯。
たくさんの治療の紋章が埋め込まれていて、せわしなく働くように青色に光っている。
「……!!」
横を見ると、マウがイスに座っていた……
「イザホ!」
マウがワタシの胸に飛び込んだ――と思ったら、
「ほあっ!?」
勢い余ってワタシの左腕をつかんだまま、反対側に落ちそうになった。
……ごきっと、変な音が左腕から鳴った。
「ああ!! ダメですよマウさん!! まだ完全に治ってないですから!!」
左側を見ると、ワタシの折れた左腕にしがみついているマウに、一回り大きい動物がやって来て、マウを引きはがした。
「だって、イザホ……丸1日起きようとしないんだもん……」
「お気持ちはわかりますよ。マウさんはずっと看病してくれたんですから。でも、イザホさんは胴体と首以外の部位の骨が骨折しているんです。治療の紋章でも回復に時間がかかるんですよ」
その動物は、茶色の毛並みの犬だった。種類は……トイプードルかな? 白色のナース服を着ていて、救急箱を持っている。
マウや紋章整備士のシープルさんと同じだ。知能の紋章のおかげで二足歩行で立っていて、首元の声の紋章から声を出しているんだ。
一方、今日のマウの服装は、シンプルな青いYシャツに中折れハットという涼しげな服装……昨日から変わっていない。でも医者のような格好が、隣の犬のナースさんと並んでみると、本当のお医者さんみたい。
「イザホさん、今から包帯を取り換えますね」
犬のナースさんは救急箱から包帯を取り出すと、ベッドの上によじ登り、ワタシの左腕の包帯を取った。
さっきので左腕がおかしな方向に曲っているのはもちろん、よくみると、ところどころが傷だらけだ。肘に至っては、白いものが見えている。裏側の世界で崖を転がり落ちた時にできたのかな。
「ねえイザホ、具合はどう?」
右側の椅子によじ登ったマウが聞いてくる。
今の状態なら、特にだいじょうぶ。うなずいてマウを安心させてあげよう。
「それにしても……イザホさんって、不思議な患者さんですね。紋章で動く死体なのに、記憶の紋章がないなんて……アタシはこの病院に勤めて5年なんですけど、初めてですよ」
左の犬のナースさんが、左腕に包帯を巻きながらつぶやいた。
それもそうだ。ワタシは生き返った
紋章が発達したこの時代なら記憶を引き継いで死体を生き返らせることができるのに、ワタシの場合は記憶を引き継がれなかった。お母さまの死んでしまったひとり娘の生まれ変わりとして、ワタシは作られたのだから。
左腕を初めとして、いくつかの部位の包帯を新しいものにしてもらった。
仕事を終えると犬のナースさんは「ふう……」とおでこを腕でぬぐい、ベッドから飛び降りた。
「それでは、アタシは先生を呼びに行ってきます。マウさん、なでてもらうのはちゃんとイザホさんの手が治ってからにしてくださいよ」
「うんうん、わかってるよ」
マウは犬のナースさんが部屋を出るまで手を振り続けていたけど、
ナースさんが部屋を出た後、びっくりしたように目に白目を出してワタシを見た。
「……あの人とは初対面だけど……どうしてボクがイザホになでてもらっていることに気づいているんだろう?」
その様子だと、マウはワタシになでてもらうことが多いことを、犬のナースさんにはまだ話してないみたい。
スマホの紋章は、包帯の上からでも起動させることができた。
崖を転がり落ちていた時、ちゃんと盾の紋章を起動させていたおかげで、削れてなかったからかな。
右手の指はすでに治療の紋章で治っているのか、問題なく操作できている。
メモのアプリに昨日の出来事を記入し終えると、改めて今いる部屋を見渡してみることにした。
ここは……病院の個室みたい。
ワタシのベッドを除くと、他のベッドは見当たらない。
右の窓に顔を向けてみる。
窓の外には向かいのビルが見えて、下には路面電車が走っている。そばにある観葉植物を見ているうちに、ここは裏側の世界ではないことが実感できる。
だけど、なんだか落ち着かなかった。
いつものマンション・ヴェルケ一ロシニの1004号室じゃないからかな。
いつもならマウと一緒に朝食を食べて、廊下で紋章ファッションデザイナーのナルサさんか管理人さんとあいさつをするんだけど。
……まだ引っ越して来て5日しか立ってないのに、もう懐かしく感じてしまって、思わず口元が緩んじゃった。
・マンションのことを懐かしみながら、マウを見る。
【https://kakuyomu.jp/shared_drafts/3j2DKKGGr49CFFIa6nqbR7yHQNIHBogA】
「あ、そうだイザホ。フジマルさんから伝言を預かっているんだ」
マウがこちらを向いて、自分のスマホの紋章を起動させた……と思ったら、「あっ」と思い出したように顔を上げた。
「その前に、ちょっと教えてよ。イザホ、ボクとはぐれた後、なにか覚えていることある? ボクもいきなり後ろから気絶させられて……」
そうだ、昨日のことを伝えないと!
ワタシはスマホの紋章から、昨日の映像をマウに見せる。目の紋章を通して撮っていた動画だ。
「……」
マウは映像に映るバフォメットを見て、しばらく黙っていた。
「まさかバフォメットが……イザホを……?」
驚くのも無理はない。おととい、ワタシの首を切り落としたバフォメットが、ワタシを助けてくれたんだから。
「とりあえず、この映像はフジマルさんとスイホさんに送っておいていい?」
問題無い。ワタシは送り方はよくわからないから、マウにお願いしよう。
マウはスマホの紋章で、ワタシが送った動画をフジマルさんとスイホさんに送ってくれた。
「ふー、送信完了……あ、イザホが眠った後のことを話さないと」
それもワタシが気になる点だった。
ワタシが裏側の世界でバフォメットを見た時、マウやクライさんとはもちろん、廃虚で離ればなれになったフジマルさんとスイホさんのことも気になる。
裏側の世界でワタシが崖から落ちた後、マウはいったん安全なところまで上ったけど、ワタシを助けにいけるかどうか悩んでいていたらしい。
その時、背中に衝撃が走って……気がついたら、ワタシとクライさんとともに旧紋章研究所の前で倒れていた。
「あの時は本当にびっくりした……目が覚めたら、クライさんと変な方向に手足が曲っているイザホが倒れていたんだから」
それじゃあ、クライさんはどうなったの?
「あ、クライさんは無事だよ。ボクと同じように誰かに気絶されられたみたいだけど、ケガは軽いってさ。今はスイホさんと一緒に旧紋章研究所の廃虚で現場検証を行っているよ」
ちょっとホッとしちゃった。
クライさんもあの後、なんとかテイさんのインパーソナルから逃げ出せたみたい。
あと気になることは、あの時スイホさんと一緒にいたフジマルさんだけ。
マウは目覚めた後、動かないワタシとクライさんを助けるために、まだ廃虚の中にいたフジマルさんに無線の紋章で連絡を入れた。
フジマルさんは救急車を呼ぶように指示をしたのち、スイホさんとともにマウと合流。ワタシとクライさんを辺鳥自然公園の階段の下まで運び、ちょうど到着した救急車に乗せたという。
その後、フジマルさんは気になることがあるということで、マウと別行動で、ある場所に向かったという。
どこに向かったのかは、マウにも教えてくれなかったって。
「イザホの側についてあげる立場はマウがぴったりだ! ふたりともよく頑張ったから、明日は有給を与えよう!! ゆっくり休め!! ……フジマルさんは昨日そう言ってたよ」
マウはフジマルさんの声マネをしながら解説してくれた。
それじゃあ、その次の日……明日はどうするの?
「明日、イザホが復帰できたら瓜亜探偵事務所に集合。今日フジマルさんが調べていることの情報伝達を行うみたい。その前に……今日の夜、フジマルさんがイザホの体調について聞くみたいだけど」
それじゃあ、夜には無線の紋章かスマホの紋章に連絡がくるんだね。
でも、有給……つまり休みの日。その間、マウとどうすればいいのかな?
昨日はいろいろあったから……じっとしているのも、できないかも。
「ねえイザホ……
……?
いきなりのマウの質問に、ワタシは首をかしげることしかできなかった。どこかで聞いたことはあるような……気がするけど……
「ジュンさんはここの病院長で……ボロボロになったイザホの手当てを指示していた人なんだ。もっとも、2枚目気取りな感じで、ボクにとっては大っ嫌いなタイプだけどね」
病院長……それじゃあ、さっき犬のナースさんが言っていた先生って、ジュンって人なのかな。
「その人……イザホの顔を見て10年ぶりだってつぶやいていたよ」
!! もしかして……
ワタシは包帯の上からスマホの紋章を起動させると、出てきたモニターに聞きたいことを記入してマウに見せた。
この病院の名前は?
「ここは
不笠木総合病院……
それなら、間違いない。ここは……
「イザホ、やっぱり知っているの?」
マウにうなずいて、スマホの紋章のモニターに記入を続けた。
“ここはワタシが作られた病院”
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