第30話 仮面の人間
黒いローブを着た仮面の人物が刃物を振り下ろした直前、ワタシはとっさに左手で左胸に埋め込んでいる紋章を防御した。
「……!?」
小さな刃がくるくると空を舞い、時計塔の下へ落ちていった。
ワタシの左腕の甲に埋め込まれている盾の紋章が、半透明の盾を展開させていた。
テイさんに埋め込んでもらった紋章だ。
仮面の人物は戸惑っていたものの、すぐに折れた刃物を両手に構え、ツマミのようなものを回した。
折れて短くなった刃が、柄から伸びて、長くなった。
あれは、カッターナイフ……!
「させないよっ!!」
そこにマウが飛びかかり、右手を振り下ろした。
「ひぎぇっ!!?」
仮面の人物は奇声を上げながら体を震わせ、手に持ったカッターナイフを柵の向こうに放り投げ、尻餅をついた。
マウの右手の指からは、半透明の黄色い棒が出ている。スタンロットの紋章だ。
「あ……あぁあああ……!!」
ワタシが立ち上がると、仮面の人物は逆に恐れるように尻を地面につけたまま、後ずさりをしはじめた。
体がしびれているのか、全然後ろに下がれていないけど。
明らかに、人間の反応だ。
インパーソナルになったウアさんは、たとえ首を飛ばされても痛むことなく行動していたし、まったく臆することもなかった。
もちろん、痛覚もないから悲鳴だって漏らさなかった。
「イザホ! はやく拘束しちゃおうよ!」
ワタシはうなずくと、仮面の人物……いや、仮面の人間を押し倒し、逃げられないように馬乗りになる。
取り押さえている人間の仮面ののぞき穴からは、見開いた目がよく見えていた。
どっちが襲っているのかわからなくなったけど、ここで逃がすわけにはいかない!
「もうちょっと待ってて! もうすぐ縄がほどけるから……」
登ってきた時に使った縄を、マウがほどいてくれたら、今すぐに縛って情報を聞き出さないと……!
1002号室での裏側の世界で見た、ウアさんの殺害現場が描かれた絵画が胸の中に出てくる。
殺されたウアさんの周りにいた、ふたりのローブの人物……
そのうちのひとりが、この人だから……!!
……!?
……どうして、手を離しちゃったんだろう?
今、ワタシの体を、電流が走り抜けていった。
死体だから痛みはない。だけど、思わず全身が震え、一瞬だけ感覚がなくなった。
ワタシの下にいた仮面の人間は、誰かに引きずられるように、ワタシから離れていく。
下に誰もいなくなり、雪の上にワタシの顔面が埋もれた。
「まさか……そんな……」
青ざめるかのようなマウの声に、顔を上げてみた。
目の前には、黒いローブを見に包んだテイさんが立っていた。
髪ゴムを失くしたのか、ポニーテールの髪形ではなく無造作のロング。
血だらけとなっている目元に、眼球代わりの義眼に埋め込まれた目の紋章が青く輝いていた。
「あんた、紋章は“生活に欠かせない”程度のもんじゃないんよ」
テイさんは口を開かずに、この場に会っていないセリフをつぶやいた。
まるで、それしか言えないように。
ワタシたちが
テイさんは、殺されていた。
そして、インパーソナルにされていたんだ。
その事実を受け入れて、ようやくワタシは起き上がることができた。
扉の先は、時計塔の内部。
目の前には数多くの歯車が、音を鳴らしながら動いている。
柵の下を見てみると、赤い液体が地面に付着した床が見えた。
ワタシたちが裏側の世界に入ってきた羊の紋章がある場所だ。
ここが最上階なら、1階って言えばいいかな?
インパーソナルにされたテイさんたちの姿は、もうない。
・イザホのメモ
【https://kakuyomu.jp/shared_drafts/qq1hLiBF9nl6Mray8jtBPUuLzcRHCiGd】
「……というわけなんだ、フジマルさん」
マウが無線の紋章を使って、フジマルさんにこれまでのことを報告してくれた。
「テイはすでに殺害されていて、その上、インパーソナルにされたのか……わかった。ふたりが無事であるだけで十分だ」
「うん。こっちはもう少しだけ見て回ってから、一度研究室に戻ってみるよ」
ふと壁に目を向けると、ビデオカメラの形をした紋章が緑色に光っているのが見えた。
この紋章は……ビデオの紋章。
テイさんが死体の検視結果を伝える際に使っていた紋章だ。
ワタシはそのビデオの紋章に触れると、紋章の色が青色に変わった。
「なあ、あんた……母さん!?」
どこからか、テイさんの声が響き渡った。
下をのぞいてみると、1階で半透明のテイさんが階段に向かって叫んでいた。
あれは、ビデオの紋章によるホログラムだ。
階段を登っていたのは、黒いローブを着た女性。フードは下ろされており、長い髪が見えていた。
「待って……」
テイさんは女性を追いかけて、階段を上りだした。
「!!」
1階から離れたところで、テイさんは一瞬だけ後ろを振り返った。
その方向は、崩れている階段の部分だった。テイさんがあの位置に来たときに、階段が崩れたみたい。
テイさんは女性を追いかけて、階段を駆け上がっていく。
あんなに、苦しそうなのに……足は止めなかった。
「!! なんな……」
いきなりテイさんは、空を舞った。
下に落ちているんじゃない。上へと飛び上がった。
ホログラムはテイさんしか映していないけど、まるで足をヒモのようなもので引っ張られているようだった。
テイさんが最上階の柵の外側の前で宙づりとなったころ、その柵の内側の前に女性がやって来た。
女性はフードを被り、着ているローブの首元に手を入れると、テイさんの顔が青ざめた。
「あんた……“姿の紋章”で……うちの母さんに姿を変えてたんやね……うちの研究所から盗んだ……紋章で……!!」
その瞬間、テイさんの両腕はT字の形に開いた。
抵抗しないように、両手もヒモで拘束されたんだ……!!
テイさんは柵の外で宙づりになっているけど、柵から手が届く位置だった。
「あ……ああ……」
ローブの人物に髪をつかまれ、顔を近づけさせられる。
その手には、カッターナイフが握られていた。
「や……やめ……かあさ――」
目玉に向けて突き刺したと同時に、テイさんの姿が消えた。
ビデオの紋章は、あらかじめ設定したものしか映さない。
生き物とそれが身につけているものと設定したのなら、生きていないテイさんの姿は映らない。
ローブの人物……さっき、ワタシを襲ったり助けたり逃げたりした仮面の人間は、髪の毛をつかんでいた手から何かを落とした。
きっとワタシが1階で見つけた、髪ゴムだ。
その後、仮面の人間はテイさんがいた場所に触れて、何かを取り外すように動かしていた。
それを最後に、ホログラムは消えた。
仮面の人間が先ほどまで触れていた場所には、血塗られた鎖がぶら下がっていた。
この鎖でテイさんを拘束し、殺害後、死体を下ろすために鎖をテイさんの死体から外そうとした。その時、テイさんの体や鎖が揺れるはずだから……
1階でワタシたちが見た赤い雨は、テイさんの血液だった。
再び下を見ると、いつの間にかLEDライトが床を照らしていた。
映し出していたのは、テイさんの血液によって染まった三日月……
いや、斧だ。
斧を持っている……羊頭の大男……
黒い線で描かれたバフォメットは、テイさんの血液で染まった斧を掲げていた。
「!! ねえ、イザホ!」
思わず懐中電灯をマウに向ける。
マウが向いている足元には、フタのついた長方形の箱のようなものが落ちていた。
拾い上げて箱のフタを開いてみると、中には鉛筆や消しゴムなどが入っていた。
「これって……筆箱? 名前とか入っていないかな?」
箱を調べてみたけど……この筆箱、名前がない。書き忘れかな……
「とりあえず、持ち帰ってみようよ。あの仮面を被ったやつが落としていったのかもしれないし」
同感。
ワタシは筆箱をバックパックの紋章に仕舞うと、ひとまずマウと一緒に階段を下りることにした。
1階近くの崩れた場所を思い切ってジャンプする。
「よっと」
上からジャンプするには、なんとか着地できる高さだ。下からは届かなそうだけど。
壁に懐中電灯を向けると、羊の紋章が照らされた。
それも、3つも。
そのうちのひとつは魔力が切れており、跡だけが残っている。
もうひとつは刃物のようなもので傷を付けられており、これも跡だけだ。
「この紋章で……本当に帰れるのかな?」
マウの心配する声を聞きながら、ワタシは残ったひとつである、緑色に輝く羊の紋章に手を触れた。
羊の紋章から出てきた先は、資料が詰まった本棚が置かれた部屋……
「!! イザホ! マウ!」
そこには、フジマルさんの姿があった。
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