第19話 静かな死体とともに泣く
目の前には、ウアさん……の死体に紋章を埋め込めて動かしているモノが立っている。
「ねえ、楽しんでくれた?」
「……ぜんぜん楽しめるわけがない。ナンセンスだよ」
頭部はなく、代わりにローブに埋め込まれた目の紋章で、ワタシとマウをじっと見ている。
ウアさんの死体の後ろには、扉が見える……あの扉から、逃げるしかない!
パレットナイフを構えて走ってきたウアさんに対して、ワタシはもう一度横にかわし、マウは足元から通り抜け、後ろの扉に向かって走る。
扉の先は、天井の高い大きな通路だった。
先ほどの石造りの部屋とは違って、さまざまな装飾が飾られている。まるで中世の城みたいだ。
ウアさんの死体は、相変わらずワタシたちを追いかけてくる。
ワタシの胸にパレットナイフを突き立てるために。
考えていることも、結局同じだ。
もしここで転けたら、あのパレットナイフで胸を突き立てられてしまう。
だけど、逃げ続けるのも問題だ。
今度は誰かが助けに来てくれる見込みはない。それにここは室内。どこか行き止まりにあたる可能性も大きい。
一度でもいいから、この追いかけられる状況から抜けるには……
……?
ふと、足元に青色に光が見えた。
ワタシの足を見てみると……二重丸の模様が見えた……
これは……スイッチの紋章……!
一斉に、前方から無数の刃物が飛んできた!
「イザホっ! 早くあっちに!!」
マウが走り出した右方向に、素早く体の向きを変える。
部屋につながっていそうな扉が目に入った。
左腕や左足に刃物が突き刺さる感触を感じながら、
ただ胸に埋め込んだ紋章に刺さらないように祈りつつ、
その扉の奥に転がり込んだ。
部屋の中は、誰かの自室。照明はすでについている。
マンションの1002号室の部屋と違うのは、家具が現代のものではなく中世に出てきそうな形であることだ。
斜面になっている机……
高級そうなシーツが置かれた2段ベッド……
木製のクローゼット……これだっ!!
ワタシはマウを抱えると、そのクローゼットの中に入り、クローゼットの扉を閉めた。
5秒ほどして、部屋の入り口の扉が開く音が聞こえてきた。
このクローゼットにはカギをかけることができるようだ。といってもカギは持っていないから閉めることはできないけど。
ただ、カギ穴から外の様子を見ることができるみたい。部屋の照明の光がこちらに差している。マウと一緒にちょっと確かめてみよう……
!! 「!!」
ウアさんの死体のローブがカギ穴の向こうにあるっ!!
……幸いにも、目の紋章と見つめ合うことはなかった。
たまたま……近いだけ……だったのかな……?
両耳をクローゼットの外に向け、体を震えるマウの頭を、細い右手でハウンチング帽子の上からなでてあげる。
マウの体は心臓があるからなのか、マウを持つ大きい左手は鼓動を感じ取っていた。
マウを落ち着かせる最中、ふと後ろに光るものがあった。
その方向は、バックパックの紋章……? どうして、こんなところに?
いけない、カギ穴から目をそらしていた。外の様子は……
ウアさんの死体は、他の場所を探していた。
だけど、なんだかあまり探す気がないみたい……
ベッドの下をさっと見ているぐらいで、肝心のこのタンスには目にくれないみたいだけど……
その時、ウアさんの死体は部屋の真ん中に立って背伸びをした……
と思うと、近くの机の引き出しを開けた。
あんな場所にワタシたちが入るはずもないのに……
あの手つきって、スイッチを押そうとしているような……
!!? 「うあっ!!?」
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
ワタシとマウはクローゼットから飛び出して、地面に顔を強打した。
顔を上げると、ベッドマットが地面に落ちていた。
その後見えたのは、じっとワタシを見下ろす、顔のないウアさんの死体。
ワタシはすぐに立ち上がろうとしたけど、すぐに肩をウアさんの死体に蹴られて仰向けにされる。
「イザホっ……!」
飛びかかったマウが、あっさりと首元の後ろを捕まれてしまった。
「あ……! ちょ……苦しいって……!!」
ワタシが左手を動かしている間にも、ウアさんの死体はマウをつかんだ状態でも何もせず、ただワタシの上に馬乗りになった。
「ねえ、楽しんでくれた?」
「やめてっ!!」
マウの悲鳴とともに、パレットナイフが胸に突き刺さった。
「……」
……
「ねえ、楽しん――」
ウアさんの死体のパレットナイフは手から落ちて、ワタシの左肩に刺さった。
「――でェクウゥ……ゥ……レェ……ェ……ェ……ア……」
ポトッと、首もとをつかまれていたマウが床に落ちた。
ウアさんの死体は、
人間の声から、か細い合成音声の音のように変わり、黙り混んだ。
上半身を支えることも出来なくなって、ゆっくりとワタシの上にのしかかる。
ローブに付いていた目の紋章は、赤く点滅して、やがて消えた。
ウアさんの死体は、たった今、ただの死体になった。
床に落ちていた1本のパレットナイフ……
廊下でワタシの体の左腕に突き刺さった無数のパレットナイフの1本。
クローゼットから落とされた時に、1本だけ床に落ちたんだ。
そのパレットナイフは今、ウアさんの死体の左胸に突き刺さっている。
先ほど、ワタシが左腕で突き刺した。
・イザホのメモ
【https://kakuyomu.jp/shared_drafts/CXERGgj9sI8VZPZRZbSLQ7fMUerhO5OR】
「ちょっと失礼……」
ワタシが肩のパレットナイフを抜いている間、マウは動かなくなったウアさんの死体からパレットナイフを引き抜くと、その切れ目からローブの中をのぞいた。
「……イザホ、この死体に埋め込まれた知能の紋章は、さっき消えたよ」
……もうこの死体は動かない。
物が体を動かすのに必要な動作の紋章は、知能の紋章がないと機能しない。
これで、助かったんだ。
「あともうひとつ言っていい? この死体には……人格の紋章は埋め込まれていなかったよ」
それじゃあ、ウアさんの死体は自分の意思ではなく、誰かの命令に従っていたということになるね。人格の紋章がないと、自分の意思を持つことはできないから。
「他にもいろいろ考えたいけど……ひとまず、ここから出ようよ」
ワタシはパレットナイフを床に置くマウに向かってうなずくと、ウアさんの死体を写真にとってから起き上がった。
ふと、テーブルに目を向けてみる。
引き出しはすでに開いており、中にはふたつのスイッチの紋章が存在していた。
「このスイッチの紋章、さっきこの死体が触れていたやつだよね?」
ワタシはためしに、スイッチの紋章のひとつに触れてみた。
……なにも起こらない?
「あ、イザホ、もう一度触れてくれる?」
開かれたクローゼットの前にマウが移動してから、ワタシはもう一度触れてみる。
「やっぱり……クローゼットの中に埋め込んだ紋章が、さっき色が変わった」
それじゃあ、ワタシたちがクローゼットから追い出されたのは……
バックパックの紋章からベッドマットが飛び出してきたからだ。
廊下の無数のナイフも、この仕組みを利用したのかな。
それじゃあ、このもうひとつの紋章は……
そのスイッチの紋章に触れた瞬間、部屋の奥の壁が音を立てながら上がっていった。
その先にいたのは……ハナさん……!!
後ろには石造りの通路に、上がっていく鉄格子が見えていた。閉じ込められていたみたい……?
「……ウ……ア……?」
ハナさんは
体を震わせ、ワタシの左腕……そして、顔を見る――
――怒りに満ちた表情で。
「――ぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
突然、ハナさんはこちらに向かって突進し……
壁にたたきつけられた……
おなかにぐさりと、なにかが刺さった。
マウが床に置いていた、パレットナイフだ。
「かえせ!! かえせ!! かえせ!! 私のウアと!! 大切なあの人を!! かえせ!! かえせ!! かえせ!!」
ハナさんは、なんどもパレットナイフでワタシのおなかを引き裂いだ。
おなかに差し込み、ひと刺しずつ下に引き裂いていく。
……胸に埋め込んだ紋章を削られないかぎり、なんどおなかを引き裂いても意味がないのに。
「あの女が作った化け物めっ!! かえせ!! かえせ!! かえ……」
マウが飛び上がって、ハナさんのパレットナイフを蹴飛ばした。
パレットナイフが床に落ちる音とともにハナはあぜんとした顔をして、
やがて、震えながらウアさんの死体に近づいていき……
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……!!」
抱きしめて、大声で泣き叫んだ。
ワタシはただ、マウと一緒にそれを見ているしかなかった。
ワタシは、人間のことはまだよく分からないことがある。
それを自覚していたのに、胸に埋め込んだ紋章は疑問を投げ続ける。
ハナさんは、悲しみを忘れるために会社の社長として冷たい反応をしていた。
だけど、結局は忘れることができずに、ここで悲しみを周りに知らせている。
ワタシを刺すぐらい混乱するほどに。
人間は、身近な人が死ぬと悲しむ。お母さまに教えられたことだ。
それならば、最初から知らせていたらよかったのに。
もっと多くの人に頼って、受け入れられるように準備をする。
人間には、その準備が難しいの?
それとも、ワタシがまだ経験をしていないから、わからないだけなの?
ワタシの開いたおなかからは、プラスチック製の胃袋が顔を出している。
「……イザホ!! マウ!!」
後ろの通路から、誰かの声が聞こえてきた。
最後にもう一度振り向くと、通路に足を引きずりながらこちらに来る、フジマルさんの姿があった。
「ハナは私が連れて行く。ふたりは先に1004号室に戻ってくれ」
ハナさんの背中をさするフジマルさんの言葉で、ワタシたちはフジマルさんが通ってきた通路へと向かった。
その先には、羊の紋章があった。
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