香を視たい

@tomisuke_

香を視たい

 フードが脱げてしまった。装着が少し甘かったようだ。

 慌ててかぶり直し、固定する。今日の摩天楼は思ったより風が強い。この調子では弾が流されるかもしれない。


 眼下では青黒い道にきらきらが行き交っている。ここらの金持ちは、車を鏡みたいに磨きたがるのだ。今立っている廃高層ビルのみすぼらしさとは、あまりにもかけ離れている。


 覆顔型インターフェイスを再起動すると、既にいくつかのメッセージが届いていた。


『狙撃ポイントに着いたのね』

『地域情報は調べておいたわ。送るわよ』

『着いてるんだよね?』


 送り主はすべてミザリーだった。


「ごめんね、ミザリー。再起動してた」

『それならよかった』

「固定が甘くてフードが脱げた。今日はお互い気が緩んでるかも」

『お互い?』

「距離とか風とかいらない。そんなことより見た目を教えて」


 巨大なガンケースのポケットから球体を取り出し、放り投げる。球体は自由落下することなく、遠く離れたミザリーの意思のままに動き始めた。


『ああ……そういやそうだわ。すぐにカッコを調べてくるから、オウルはその間に視ときなさいよ』


 ミザリーの球型偵察機が流れ星のように飛び去る。何度見ても飽きないが、ひとまず世界に眼を向けた。

 偵察機が調査に向かったビルは、銃弾が5秒ほどで到達する距離だ。標的へ正確に着弾させるには、高度な演算能力と情報が必要になる。


 つまりは、何の問題もない。必要なものは視えている。霧の流れ、偵察機のゆらぎ、フードのはためき。眼に映るもの全てが、眉間へと繋がる道を教えてくれている。

 自分で分かることを計器で調べるのは時間の無駄だ。故に、事前調査は標的の現在の容姿くらいで結構。


『確認してきたわ。送るわよ』


 それなのにミザリーは手順を間違え、自分は情報の受け取りに手間取った。なんだか浮かれているのかもしれない。


 しかし、気分を引き締める時が来た。届いた画像を確認する。太った身体をスーツで包み、整った髪をひとつまみ。あくびが出るほど典型的な金持ちだ。

 愛銃を構え、スコープのダイヤルを正確に合わせる。指が第三の眼と一体化するのを感じた。調子が整ってきた証拠だ。

 しかし、それだけでは足りない。手と眼を合わせたら、次は眼と眼を一つにしなくてはならない。


 呼吸を鎮め、瞼をゆっくりと下ろし、上げた。遠くの景色が、すぐ近くに視える。


『もうすぐ来るわ』


 何も知らない標的がやってくる。もし弾丸が近くを掠めて飛んだなら、誰でも命の危機を悟るだろう。しかし標的は、何も気付かないまま絶命する。何故なら、目の前にある頭を撃ち損ねる馬鹿は居ないからだ。


 硝子に真っ白な亀裂が走った。中心には小さな丸い穴が空いている。その奥が真っ赤に染まるのを見るまでが仕事だ。


『標的排除完了、確認したわ。お疲れ様、オウル!』

「お疲れ様」


 ミザリーの労いを読んだら、帰る時間だ。

 ふうと息を吐くと、僅かに白くなっているのが見えた。吐息はすぐに強風で掻き消された。長居はしない方がいいかも知れない。


『仕事は済んだんだから、さっさと降りなさい。風邪引くわよ』


 ミザリーは優しい。おせっかいな所もあるが、そんな世話焼きにいつも助けられている。


「ここ、そんなに寒いの?」

『寒いわよ。観測データじゃ、ほぼ0度』

「もどる」


 気付かなかった。凍結しない装備にしてから、どうも感覚が鈍る。温度計を増設する必要がありそうだ。


 私は視えるが、聞こえない。味も、匂いも、手触りも解らない。最高の眼を持つ代償に、身体感覚の殆どが欠けたまま生きてきた。そんな自分にとって、全てを備えるミザリーの警告はとても有り難い。


 速やかに銃を片付け、摩天楼から去る。重たい扉を開け、暗く長い階段を下り始めた。風は無いが、ここも寒いのだろう。


『さてさてオウルちゃん、そろそろ懐が暖まってきたんじゃない?』

「まだ階段下りはじめ」

『運動して火照るとかじゃないのよ。おカネよ、おカネ。貯まったでしょ?』


 改めて確認してみると、結構な金額が貯まっていた。今日の報酬を更に加算すれば、ちょっとした金持ち気分に浸れそうである。もっとも、そんなことをする気は全く無いが。


『これだけあれば……五感、買えるわよ』


 今は人間の感覚すら買える時代である。しかし、高価だ。既にある器官を改造するのと比べ、イチから脳と接続する必要がある新規増設は金がかかる。もともと眼以外機能していない自分が他の五感を得るには、高価な新規増設のほかに道はなかった。


「それでうきうきしちゃってたの?」

『とぼけちゃって。オウルもそろそろだと思ってたんでしょ』


 そんな贅沢に手が届くだけの金を、何とか稼ぐことができたのだ。仕事中に浮かれた気分になってしまった理由は、そういうことである。側の鈍い金属に映る自分の顔が、心なしか緩んでいるように見えた。


『ねぇねぇオウル。結局どの五感を買うつもり? ふくろうらしく聴覚? あえて味覚かな。色々付いてきておトクな触覚もいいよねえ!』


 自分が買うわけでもないのに、ミザリーがはしゃぎ回っている。声が聴けたなら、どんなふうに叫んでいるだろうか。


「自分のことみたいに言うね」

『エ、そう? んまあぁねえ。マブダチの五感デビューだよ、嬉しいじゃん!』


 流石に照れてしまう。何となく深呼吸してから、話題を五感に戻す。


「私は……私はね」

『ふんふん、何が欲しいの?』


 私には、ずっと欲しい五感があった。


「嗅覚が欲しい……かな」


 さっきまでどんどん流れてきたログが、ピタリと途絶えた。

 長い長い入力待ちを経て、ようやくメッセージが再び届いた。


『嗅覚は止めときな』

『こんなクサい街で、そんなもの要らないよ』


 やっぱり、ミザリーもそれを言うのか。

 これまで会ってきた人はみな、同じことを言ってきた。この街は、薄汚くて、ゴミと権力でぐちゃぐちゃのクサい街だと。


「それでも、私は欲しい」

『あのねえ……いくらこの街が好きだからって──それもよく分かんないけど──嗅覚はないよ、嗅覚は。付けたってオフにするのがオチよ』

「そんなことしない……きっと」


 随分な意見だと思う。ミザリーより嗅覚のない自分のほうが過ごしやすいとでも言うのだろうか。


 いや、彼女にとってはそれが事実なのだろう。


「ミザリーはこの街が嫌いだもんね」

『少なくとも、好き好んで住む場所じゃないわよ。花の一本も咲いてない、ハーブの一株も育たない。コンクリ固めのつまんない街よ』

「お花やハーブはいい匂い?」

『もちろんよ、その為にわざわざ土買って育ててるんだから。……ああっ。もしかしてオウル、うちの花の香りを嗅ぎたくて嗅覚を?』

「違う。でも今度嗅がせてね」

『なにい!』


 他愛のない雑談の中で、言いたいことを纏めた。

 こんなことを言ったらミザリーは怒るだろうか。言わなければならない事なんて、そう感じることはあっても、実際には殆ど無いものだ。少なくともこの街では事実に違いない。


 それでも、これからの言葉は、ミザリーと共にこの街で暮らす為に、どうしても必要だと思った。


「私は、この街はいい匂いだと思う」

『なにそれ』

「私はこの街が好き。私に眼をくれたから」

『何言ってんの。アンタから眼以外を何もかも奪ったのよ』

「それは違う。私から奪ったのは、ヒト」


 入力は待たない。


「ミザリーが好きなお花は、いい匂いがするのよね。なら、私が好きなこの街もきっと、いい匂い。そう思うの」

『お花畑め。ホントに街がいい匂いに思えるなら、うちの花はさぞかし臭うだろーさ』


やっぱり、ミザリーの機嫌を損ねてしまったようだ。何か香しいものでも贈ってやりたいが、嗅覚がない。


「ごめんね」 

『別に。怒ってないし』

「今日はまっすぐ帰るから」


 ミザリーは『OK』のサインを送って、そのままオフラインになってしまった。


 ため息はまだ白い。覆顔型インターフェイスを切り、ぐるぐると続く階段をゆっくりと下りてゆく。

風が通り抜けて寒いのだろう。ひとり歩く足音が階段に響いているのだろう。帰ってミザリーと食べるお菓子は甘いのだろう。


 だけど、匂いは分からない。甘い香りだの酸っぱい香りだのと言われても、全然分からない。どんなに優れた眼を持っていても、匂いだけは視えない。


 それが寂しかったのだ。


 気付けば出口に辿り着いていた。

 ゴミが散乱する、誰も近寄らないような通用口を抜けて、帰りのバイクを呼び寄せた。


 到着を待つ間、出来もしないのに辺りの匂いを嗅いでみた。

 花はいい匂いで、ゴミは臭い。それはミザリーが花を好いて、ゴミを嫌うから。ミザリーはいい匂いでいてくれるだろうか。彼女が臭くなった時のことは考えたくない。

 私の好きなこの街で、とびきり臭いものがあるとするなら、それは標的と自分だ。


 やっと現れたバイクに跨り、街を走る。通行人は自分を気にも留めなかった。顔を背けられるようになったら、私はそのうち殺されるだろう。


 住処に着き、バイクを降りた。

 今、目の前にある扉を開ければ、ミザリーが待っている。

 まだ私には分からないが、この扉を開けて漂う匂いと光景が、いつまでもいいものであってほしいと思う。


 私の居場所が、いつでも気持ちのよいところでありますように。

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