22-4

 昨日と同じようにベースを背負った俺は、カノンに言われた時間よりも少し遅くに家を出た。

 天気は快晴。気温は高いが、やはり夏真っ盛りほどではない。


 ベースの重さが故に少し歩みを遅くしつつ、ミルスタの事務所まで向かう。

 電車などを使わずに行ける距離ではあるが、歩きにしてはやや遠いというか、そんなレベルの絶妙な間隔。

 もちろん事務所に所属するあの三人はタクシーなどで送り迎えされているが、俺はそうもいかず。

 自転車を使えば多少なりとも楽になると思いつつ、実際に試してみたところベースが重くて俺には上手く乗れなかった。

 無理すれば行けるが、転んでベースが壊れるよりは遥かに徒歩の方がマシである。


 じんわり汗をかいてきた頃、ようやく俺は数か月ぶりのファンタジスタ芸能事務所にたどり着いた。

 エントランスに入り、受付へ。

 受付には前回対応してくれたあの女性が立っており、俺を見て顔をハッとさせる。


「志藤様でございますか?」

「え? あ、はい」

「お話は伺っております。少々お待ちください」


 今回は前もって詳しく話を通してくれていたらしい。

 女性がまたどこかへ電話をかけると、しばらくして見覚えのある赤い髪がレッスン用の服を着てエレベーターより現れた。


「おっすー、りんたろー。時間通りね」

「おう。受付の人に話を通してもらってて助かったわ」


 前回は訝しげな視線で見られたからなぁ。


「前回玲が迎えに行ったときから学んだ配慮よ。特に今回に関しては完全にプライベートだから、いっそのこと周りに気をつかわないとね」

「本当にそういうところはしっかりしてんのな」

「そうよ。歌や踊りがどれだけ上手くても、気遣いと愛嬌がないとアイドルは上に行けないの」

 

 あと、少しのずる賢さもね――――。


 そう言って、カノンは唇に人差し指を当てて、ウィンクを飛ばしてきた。

 不覚にもその愛らしさに心臓が跳ね、俺は照れ臭くなって顔を逸らす。


「あらー⁉ もしかしてこのカノンちゃんに照れちゃったー⁉」

「……ありがとう、カノン。その態度を見て正気に戻れたわ」

「何でよ⁉ 何で冷めてるのよ!」


 黙っていれば本当にただ可愛い女なのに、それをこのウザさが一瞬にして台無しにする。

 しかし、俺にとってはそれでいい。それがいい。


 一度だけ通ったことのある道を通り、カノンと俺はミルスタのプライベートスタジオの分厚い扉を潜る。

 中ではカノンと同じようにレッスン用の運動着を着た二人が、適当な位置に座り込んで雑談していた。

 

「お、来たね」

「あんたらセッティングは終わってる?」

「うん。ボクはもう大丈夫。レイのマイクも設定済みだよ」


 ミアが指す方向に視線を向ければ、そこには堂本に案内されたスタジオにあったようなドラムや大きなアンプが置かれていた。

 中央にはマイクが置かれており、玲はそこに向かう。


「レイ、あんたは歌詞大丈夫?」

「一晩あったから余裕。問題なし」

「よーっし。それじゃあんたも準備して、りんたろー」


 カノンに促され、俺はアンプまで近づく。

 昨日のスタジオで使った物と、そこまで大きな変化はない。

 堂本に教えてもらった起動の仕方を忠実に守りつつ、ベースを繋ぐ。


 ————それにしても。


「カノン、何かいつもよりテンション高くないか?」

「そりゃそうよ! ずっとこうやって誰かと合わせて弾いてみたかったんだから!」

 

 カノンはとびっきりの笑顔を浮かべ、自分のギターを鳴らす。

 堂本と同じような言葉が彼女の口から飛び出したからか、いつも以上にカノンという存在が身近に感じられた。


『あー、あー』


 スタジオ内に、マイクを通した玲の声が響く。

 普段から聞いているはずの彼女の声。

 しかしただ一つの機械を通しただけで、その声はあの時のライブの雰囲気に一気に近づいた。

 あの時間に魅了された俺の心臓がたかがその程度のことでドキリと跳ねたことは、もはや言うまでもないだろう。


『うん、いつでも行ける』

「……オッケー。あんたらも準備はいい?」


 カノンの問いに対して俺は頷き、ミアは一度ダイナミックにドラムを叩いていつでも始められることを示した。


「よし、そんじゃミア! カウントよろしく!」

 

 ミアがスティックを鳴らし、曲の始まりをカウントした。

 この曲のイントロは、一拍速くボーカルが入り、そこからギターが入る。

 つまり始まる段階での主役は玲とカノン。

 玲が歌い、カノンが弾く。

 柿原はどちらもやらなければならないギターボーカルという役職だったからこその危なっかしさみたいなものがあったが、パートごとに分かれている彼女らにそれはない。

 

 あと――――めちゃくちゃ上手い。


(そりゃそうなんだけどさ……)


 カノンの立場は、今のところ堂本と同じだ。

 趣味で長いこと楽器を練習していたが故に、こうしてスムーズに演奏できていることが当然と言える。

 そして玲に関しては歌唱のプロだ。

 元々男性が歌っていたこの曲を、見事に歌いこなしている。

 いつもはどこかふわふわした鈴の鳴るような声なのに、どこからこんな低音が出るのか不思議で仕方ない。


(っと、聞き入ってる場合じゃねぇ)


 二人だけのパートが終われば、ここからAメロが始まる。

 ここからは俺もミアも演奏に加わる。

 一度でも人と合わせて演奏した経験が生きているのか、昨日よりもスムーズに加わることができた。


 ミアの演奏も、素人目線から見れば間違いなく上手い。

 堂本のドラムには力強さと迫力があったが、彼女のドラムからは狂うことのない精密性を感じる。

 一打一打が凄く丁寧というか、いやまあ素人が何を言っているんだって話なんだけれども。

 ただ音楽慣れした耳がないなりに、そう感じ取れたという話だ。


(————楽しい)


 曲が進むにつれ、じわじわと胸の底からそんな感情がこみ上げてきた。

 何とかついて行ける程度の実力しかなくとも、誰かと合わせるという行為はこんなにも楽しい。

 

 楽しい、はずなんだ。


「……っ」


 ラストのサビが近づいてくることを音で感じながら、俺は奥歯を噛む。

 この三人との演奏が楽しいが故に、余計に柿原たちとの練習が悔やまれた。

 あの時だって、きっと楽しめたはずなんだ。

 仕事や勉強と違い、俺たちがこうして演奏しているのはただの趣味。

 楽しくない趣味に意味はない。

 

 ラスサビに入ると同時、俺は今までよりも激しく弾いてみることにした。

 どうせ練習だ。むしろこれくらい激しく弾けるようになっていた方が、本番焦らなくて済むかもしれない。

 ただがむしゃらに弾いていると、近くにいたカノンがニヤリと笑うのが見えた。

 ————と同時に、軽快に奏でていたギターの勢いが上がる。

 自分が勢いを上げたからこそカノンが合わせてくれたと思うと、それはそれで嬉しく思えた。

 そして俺たちが盛り上がれば、必然的にミアと玲の二人の火力も上がる。

 最終的に最高潮の盛り上がりに達したまま、俺たちはこの一曲を駆け抜けた。


「やるじゃない、りんたろー。まさか最初の最初にあんたに引っ張られちゃうなんてね」

  

 ま、ミスもいっぱいしてたけど――――。


 そう付け足して、カノンはまたからかうように笑う。

 確かに、あれだけ自分で激しくしたのにそのせいでいくつかミスを重ねていたのは反省すべき点だ。

 ぶっちゃけ勢いで誤魔化したと言っても過言ではない。

 だけど、そのおかげで何かが吹っ切れたような気がした。


「……ありがとうな、カノン」

「え⁉ な、何よ……らしくもない」


 素直に礼を言っただけでらしくないとは、失礼な奴だ。

 まあこいつは俺の事情をすべて知っているわけでもないし、仕方ないと言っちゃ仕方ない。


「んー、よく分からないけど、もう一回行くわよ! 今度はちょっとテンポ速めで! りんたろーを甘やかすためにちょっとテンポ下げてたの気づいてるからね! ミア!」

「あれ、気づかれてたか」

「当り前よ。それに関しては別にいいけど、意外とりんたろーができる・・・ことが分かったんだから、もういいでしょ?」

「うん。次は普通のテンポでやらせてもらうよ」


 などと言う話が聞こえてきたが、危機感はあまり覚えなかった。 

 一度思い切り弾いたからこそ、今なら指がいつも以上に上手く動く気がする。

 

 ————明日、学校で柿原と話をしよう。

 

 告白がどうのとか、そういう話は関係ない。

 とにかく柿原が楽しく俺たちと演奏できるように、言葉を交わすんだ。

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