22-3
「レイは歌詞を覚えてくること。いいわね?」
「ん。分かった」
結局とんとん拍子に話が進んでしまったが、俺としてもこの機会をもらえるのはありがたい。
今日のスタジオ練習では満足行く練習ができなかったし、人と合わせる時間が欲しいと思っていたところだった。
相手が柿原や堂本でなくとも、他人に合わせて演奏するという経験が役立たないということはないだろう。
「それにしても……凛太郎君くらいだよね、ボクらと一緒に芸能事務所に来る人なんて」
「俺はいまだに悪目立ちしないか心配だよ」
「ははっ、二人きりで歩いているところを見られるならともかく、ボクら三人と一緒に歩いていたら芸能関係者くらいにしか見えないよ。君は堂々としていればいいのさ」
堂々と、ねぇ。
そんな芸能人になったわけでもない俺がこいつらの近くを胸を張って歩けると思っているのだろうか?
先に言っておくが、とてもじゃないけど無理だ。
そんな俺の性格を理解しているからか、ミアは口元を押さえてくすくすと笑う。
「……ねぇ、何かミアとりんたろーの距離が近いと思わない? 呼び方も何となく違うっていうか」
「うん。もう少し離れて欲しい」
カノンと玲が俺たちを見て何かをぶくつさ言っている。
距離と言われてミアの方を見てみるが、確かに普段より俺と彼女にある空間が狭いように――――見えなくもない。
というかもはやこれはもう気のせいだろ。そのレベルの誤差と言わざるを得ない。
「やだなぁ、ボクと凛太郎君の距離感なんて前からこんなものでしょ? ね、凛太郎君」
そう言いながら、ミアは俺の腕を自身の腕で絡め取ってきた。
抱き込まれた際に二の腕に柔らかい感覚が伝わり、俺の脳はかき乱される。
くぅ、何故女というのはこうもいい香りがするのか。こっちにはその気がないのにクラっとさせてくるのはやめてほしい。
「……ミア、凛太郎から離れて」
「えー、どうして? このくらいはただのスキンシップじゃないかな?」
何故玲とミアの間に火花が散っているんだ。
ともかく無駄な喧嘩が起きても困るので、俺は空いている方の手でミアを引き剥がそうと――――。
「……離れて」
————引き剥がそうとした腕は、今度は玲によって絡め取られていた。
片方だけでも脳が狂いそうになる柔い感覚が、両方に増える。
この感覚はマジで駄目だと思う。マジで駄目だと思う。
世の中大切なことは二度言っておいた方がいいらしい。
「鼻の下、伸びてるわよ」
「伸びてねぇよ。舐めんな俺の猫かぶり歴」
「そう言うってことはやっぱり喜んでるってことじゃない。元々物理的に鼻の下が伸びるわけないでしょ」
それは確かに。
カノンの指摘で俺は墓穴を掘ってしまったらしい。
ちなみに俺は死ぬ気で堪えているだけでちゃんと男子高校生の性欲を持ち合わせている。
我慢して我慢して何とか最後の一線を越えないよう努力しているのだ。
頼むからその線を容易く跨がせるような行動はやめてほしい。
「はぁ……ほらあんたら、そんな簡単に男に触れちゃ駄目って何度も言ったでしょ? さっさと離れなさい」
ここまで来るとカノンが救いの女神に見えてくるな。
「ミアが離れるなら、私も離れる」
「ボクもレイが離れるなら離れてあげるよ」
互いに譲ろうとせず睨み合う玲とミア。
その頑なな態度にさすがに苛立ったのか、カノンは鬼の形相を浮かべて二人の頭に拳骨を落とした。
「いい加減にしなさい! プライベートでだらけるのはいいけど、はしたないのはこのあたしが許さないわよ!」
「「うっ……」」
二人が拳骨を落とされた部分を手で押さえたため、ようやく俺の腕が解放される。
俺はカノンに礼を言うために顔を上げると、そこを狙いすましたかのようなデコピンが何故か俺の額を打ち抜いた。
「いって⁉」
「あんたもあんたで、引き剥がそうと思えば無理やりにでも引き剥がせたでしょ。甘んじてデレデレした罰よ」
「お、お前……」
「何よ、文句あるの?」
「……いや」
母親みたいだな――――。
そう言いかけて、俺は自分の立場を思い出す。
言葉に詰まった所を訝しげな視線で見られ、俺は思わずカノンから目を逸らした。
「変なりんたろーね。ほら、あんたらもシャキッとする!」
「カノンの拳骨は相変わらず効くね……」
ミアの口ぶりからして、何度か彼女らは鉄拳制裁を受けているようだ。
一瞬で大人しくなったところを見るに、もしかしたら何度かこういう目にあったのかもしれない。
確かに暴走しがちなイメージはあるし、カノンもずいぶんと苦労していることだろう。
「……ま、お遊びもこのくらいにしておこうかな。とりあえず明日は事務所集合でいいのかな?」
「いいんじゃない? りんたろーも場所は覚えてるわよね」
俺は一つ頷く。
数か月前のことをそう簡単に忘れたりはしない。
「じゃああたしらが先に言って、またりんたろーを後からロビーまで迎えに行くわ。ちゃんと楽器は持ってくること、いいわね?」
「分かったよ……ん?」
ようやく話がまとまったと思ったその時、突然どこからか腹の鳴るような音が聞こえてきた。
音に釣られ、俺と
「————お腹空いた」
まあ、犯人はこいつだろうなという察しはついていた。
何だかんだ話しているうちに、夕食に対してそろそろいい時間になってしまっている。
俺も本来の役割を果たさないといけない頃合いだ。
「飯作るよ。お前らも食ってくだろ?」
「いいの?」
「この場にいるのにお前らだけ帰れっていうのもおかしいだろ。材料が足りないなんてこともないから、遠慮せず食ってけ」
「そう? じゃあお言葉に甘えるわ」
俺はエプロンを持ってキッチンへと向かう。
「そうだ、お前ら食いたい物ってあるか?」
「あたしは玲の食べたい物でいいわ」
「ボクも同じく。一番お腹を空かせているのはこの子だろうからね」
やっぱりどこまでも仲がいいんだな、こいつらは。
さっきの流れも、一触即発に見えて実のところはただのじゃれ合いでしかないのだろう。
————多分。
「じゃあ玲の食べたい物に合わせて作るけど、肝心のお前は何が食いたいんだ?」
「オムライスがいい」
「ああ、そいつは仕込みいらずで助かるよ」
鶏もも肉は用意してあるし、玉ねぎも残っている。
ここに人参とピーマンも混ぜれば、多少なりとも野菜を摂ることができるはずだ。
「そうだ。凛太郎って、とろとろのオムライス作れる?」
「とろとろ?」
「そう。半熟のやつ」
リビングから声をかけられて顔を出してみれば、玲がこちらに歩み寄ってきてスマホの画面を見せてくる。
そこに映っていたのは、チキンライスを包むような昔ながらのオムライスではなく、ライスの上で軽く火を通した卵を切って開くタイプのオムライスだった。
「こいつが食いたいのか?」
「あ、ごめん。そういうわけじゃない。でも作れるなら食べてみたいって思ってたの」
「できないことはないけど、今日は無理だな。デミグラスソースを作るのに結構時間がかかるから」
「分かった。じゃあ今度お願いしたい」
「あいよ」
それだけのやり取りを終えて、俺は調理へと戻る。
(デミグラスソース……デミグラスソースねぇ)
ハンバーグにも使える幅広いソースだから、もっと上手く作れるようになりたいと思っているのは事実。
問題なのは本格的にしようと思えば思うほど"赤ワイン"を購入しなければならないという点だ。
未成年で購入するには抵抗があるし、売ってもらえてもそれはそれでその店に対する信用が下がってしまう。
噂によると料理用のワインなどの酒類は高いらしいし――――ううむ。
「何か、このやり取り羨ましくない?」
「うん。素直に羨ましいね」
俺と玲のやり取りを聞いて他二人が何か話しているようだが、キッチンの奥へと引っ込んでしまった俺には知る由もなかった。
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