21-1 文化祭準備

「おーい、そっち持ってー」


 クラスメイトの女子が周りに呼びかける声が教室に響く。

 新学期も始まり文化祭での出し物も決まってから、すでに十日以上が経過した。

 最近ではほとんど毎日こうして放課後教室に集まり、文化祭の準備をしている。

 さすがに部活までなくなるわけではないため参加できない者もちらほら見られるが、部活の顧問次第では直前一週間は部活を休みにするくらいには独特の協力体制ができあがっていた。


 皆が積極的に動き回る中、俺は床に座り込んでひたすら絵の具を吸わせた筆を動かす。

 そうして色を塗っているのは、教室内で使う装飾用の看板だ。


「さすがは漫画家アシスタント。塗るのも手際がいいね」

「はっ、むしろベタ塗りばっかさせてもらってるから、こういう方が得意なんだよ」


 雪緒に看板自体を支えてもらいながら、はみ出さないように綺麗に塗っていく。

 俺は割とこういう作業が好きだ。

 淡々と進める作業は結果が分かりやすいし、やっていて飽きない。

 

「それにしても……忙しそうだよね、彼」

「うん? ああ、まあ実行委員だしな」


 ちらりと廊下に視線を向ければ、別のクラスの人間や上級生と何やら話し合っている柿原の姿が目に映った。 

 奴が本当に優秀な人間だからこそ、周りの人間は頼るべく近づいてくる。

 故に二年生でありながら、柿原は常に話の中心にいるようだ。

 三年生すら意見を聞いてくるのだから、その手腕は相当なものなのだろう。

 

 柿原は数人に指示を出した後、持っていた書類のような物を抱えて早歩きで去っていく。

 忙しい時まで廊下は走らないという規則を守るなんて、俺からすれば律儀すぎると言わざるを得ない。


「優秀すぎるってのも考え物だな」

「だね。最近になってから結構疲れたような顔をしてるし、正直心配だよ」


 周りの人間はあまり気づいていないように思えるが、やはり柿原の顔には疲れの色が見える。

 できれば負担を減らしてやりたいと思って何かできないかと協力を申し出ても、柿原自身は「大丈夫」の一点張り。

 文化祭実行委員の仕事がよく分からない以上、勝手に口や手を出すわけにもいかず。

 完全にキャパシティを越える前に何とかできたらいいのだが――――。


「二階堂さんもいるし、多分大事には至らねぇだろ。とりあえず俺たちは俺たちの仕事をしようぜ」

「……そうだね」


 その後も、俺たちは黙々と看板作りに精を出すことにした。


 そうしているうちに何だかんだで一時間ほど経過した時のこと。 

 

「だから俺たちにだってやらなきゃいけないことがあるって言っただろ⁉」

「そう言って言い訳して一つも手伝わないなんてずるいって言ってるの!」


 廊下の方から怒声が響いてくる。

 教室内が一気に静まり返り、何事かと廊下に数名が顔を出した。

 さすがに俺も雪緒も気になったため、控えめに廊下を覗き込む。

 すると男子数名、女子数名に分かれて睨み合う別クラスの連中が視界に映った。


「ああ、青春だね」

「ああ、青春だな」


 俺たちは他人事だと思って呑気に彼らの様子を見る。

 先頭に立つ女子はおそらく文化祭実行委員。持っている書類がさっき柿原が持っていた物と同じ物だ。

 そして彼女と言い合う男子は、確か野球部の二年生エース。

 夏で三年生が引退し、今はキャプテンになったとか何とか。


 さっきの声とそれぞれの立場を照らし合わせれば、彼らの揉めている原因はすぐに分かる。

 文化祭の準備を急かす実行委員女子と、新チームになった野球部を姿勢によって引っ張っていきたい部長。

 実行委員の方は文化祭準備をもっと手伝ってもらいたいが、野球部の方は新チームとしてもっと練習していきたいのだろう。

 野球部は今夏の大会でだいぶ惜しいところで負けてしまったらしいし、来年に向けた熱量が燃え上がっているに違いない。

 どちらの立場も理解できなくはないが……。


「お前たち! 何をしてるんだ!」


 対立の場に柿原が戻ってきて声を上げる。

 彼は二人の間に割り込むと、ある程度の距離を取らせた。


「何で喧嘩なんてしてるんだ⁉」

「「だってこいつが……」」


 二人からすれば悪いのは相手。まあ当然か。

 何となく事情を察した柿原は奥歯を噛み締めた後、息を吐く。


「はぁ……野球部としてはもっと部活がやりたくて、クラスとしてはもっと準備に時間を割いてほしい。そういうことだな?」


 柿原の問いかけに、それぞれが頷く。


「お互い立場ってものがあるのは分かるよな?」

「「……」」

「けど、妥協しなきゃいけないところがあることも分かるよな?」

 

 二人は黙ったまま柿原の話を聞いている。

 それぞれに必要だったことは、冷静になる時間だ。


 別に互いに嫌い同士ってわけじゃない。

 できれば強い言葉なんて使いたくない。そのはずなんだ。


「相手の立場になって、一度考えてみてくれ」


 二人は気まずそうに目を合わせる。

 そしてお互いに何かを理解したようだ。


「……ごめんなさい。部活だって大事だよね。ずっと"部活なんて"後回しにしてほしいって思ってたけど、それだけ頑張ってるってことだもんね」

「こっちこそ……その、悪かった。実行委員としては文化祭を成功させたいもんな。考えていることは一緒だった」


 文化祭を成功させたい実行委員と、来年こそは部を勝ち上がらせるために部員を引っ張って行かなければならない野球部部長。

 確かに率いる立場としては同じだ。


「明日から練習時間を少し減らすよ。重い物を運ぶ時とか、そういう時は遠慮なく頼んでほしい」

「……分かった。そうさせてもらうね!」


 廊下にあった張り詰めていた空気が和らぐ。

 柿原がホッと胸を撫で下ろしたところで、事が無事解決したということが理解できた。


「ありがとうな、柿原。ちょっと自分のことだけに夢中になり過ぎてたみたいだ」

「和解できたみたいでよかったよ。じゃあ俺は行くから……」


 そう告げて、柿原はまた忙しそうに早歩きでこの場を去る。

 いつの間にか野次馬たちも普段通りの作業に戻っており、何事もなかったかのように時間が流れ始めた。


「おお、やっぱりすごいね、柿原君」


 雪緒の言葉に、俺は頷いた。

 カリスマとでも言うべきなんだろうか。あいつの言葉は多くの人間に届きやすい感じがする。

 一々説得力があるというか何というか。


(あんなのモテないわけがないんだよなぁ……)


 優秀であるが故に、今でさえ去っていく彼の背中に温度の高い視線を送っている女子がいる。

 そう、モテないわけがないのだ。

 なのに、それなのに――――。


「あ、志藤君! 柿原君見なかった?」

「……ああ、二階堂さん。祐介君なら向こうへ歩いて行ったけど」

「そっか、ありがとう」


 どうしてこの人はあいつの活躍ポイントをことごとく見逃すのだろうか。

 もはや逆にすごい。

 この女一人で、あのすべてを持って生まれたような柿原祐介という男を不憫キャラにできるのだから。

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