20-5

 カノンと共に俺の部屋まで戻れば、リビングに残っていた玲が驚いた様子で俺たちを見る。


「ん、どうしてカノンが凛太郎と一緒にいるの?」

「エントランスで鉢合わせてな。疲れてる様子だから、少し前から用意しておいたとっておきを振舞ってやろうと思って」

「とっておき?」

「本当は明日まて取っておくつもりだったんだが――――」


 俺はカノンをソファーに座るよう促しつつ、冷蔵庫を開ける。


「とっておきって何だろう。カノン聞いてる?」

「あたしもさっき合流したばっかだから、何も聞いてないわよ。でもニュアンス的には、疲れが取れる何かってことみたいだけど……」

「そう……」


 二人の会話を聞きながら、俺は冷蔵庫から黄金色の液体が詰まった瓶を取り出す。

 中には黄色い皮のついた果実を薄切りにしたものが漬けられており、見栄えはとても美しい。


「こいつが俺のとっておき。レモンの蜂蜜漬けだ」

「「おー……」」

 

 二人の感嘆の声が重なる。

 目の前のテーブルに置いてやれば、二人ともまじまじと瓶の中身を眺め始めた。


「本当は明日まで漬けておくつもりだったんだが、時間的にはもう充分だと思ってな。それに味も見てみたかったから、ちょっと二人で実験台になってくれよ」

「ん、とても歓迎。この時点でもう美味しそう」

「思ったよりも綺麗な見た目で俺も驚いたんだよな。うし、まずは食ってみるか」


 二人に取り皿を配り、それぞれ瓶から一切れずつレモンの輪切りを摘まむ。

 そしてほぼ同時に口に含み、ほぼ同時に目を見開いた。


「お……お、美味しすぎる!」

「美味しい……!」


 カノンと玲の感想に、俺は無言ながら頷いた。

 レモン単体で食べるとやはり酸味と皮の苦みが辛いという印象が強かったが、それを蜂蜜の甘さが完璧にカバーしている。

 そして甘いながらもレモン特有の清涼感というか、すっきりする感じが癖になりそうだ。


 ――――ちなみにだが。


 今回漬けたレモンはすべて国産の物を使っている。

 少し値は張ってしまうが、わざわざ国産を用意したのにはちゃんと理由があった。

 まず皮に農薬などが付着している可能性が低い。

 海外から輸入している物は長めに保存しなければならない仕様上、腐らせないための対策がなされている。

 しかしそうして薬が付着したレモンをそのまま漬けるのは、正直不安だった。

 故にそのまま漬けることのできる国産のレモンに拘ってみたのである。


 さらにちなんだ話になってしまうが、国産を手に入れることが難しい場合は、表面の黄色い皮をピーラー等で剥けば海外のレモンも問題なく使えるはずだ。

 手間は増えるが、皮に含まれる綿のような苦い部分を少し削ぐこともできるし、漬けやすくもなると思う。


 ――――とまあ、雑学はこのくらいにして。

 

 俺は立ち上がり、キッチンへと向かう。

 そしてグラスを三つ取り出し、それぞれに氷を半分ほど入れた。

 氷入りのグラスをテーブルに運んだ後、冷蔵庫で冷やしておいた炭酸水を二人の前に持っていく。

 

「氷で半分埋めたグラスに、蜜をスプーン二杯。そんで上から炭酸水を入れて……ここに漬けてあるレモンを載せて……っと。ほい、レモンはちみつスカッシュの完成だ」

「「おー!」」


 玲とカノンの興奮度も上がってきたようで、きらきらした目がグラスに向けられていた。

 同じ要領でもう二つ用意すれば、三人分のレモンスカッシュが完成する。

 

「本当はもっと夏本番って時に作れたらよかったんだが、純粋に忘れててな……って、そんな話はいいか。とりあえず飲んでみようぜ」


 三人揃って喉を鳴らしてレモンスカッシュを飲む。

 鼻から抜けるレモンの香りに、舌に優しい蜂蜜の甘味、そして炭酸の爽快感が気持ちよく入り交じり、俺を驚かせた。


「美味い……!」

「「おかわり!」」

「いや、速ぇわ」


 帰宅したばかりのカノンはともかくとして、さっきまで色々食ったり飲んだりしてた玲がおかわりを欲しがるのはいささかキャパがおかしいような気がする。

 ぶっちゃけ今更だが。


「仕方ねぇな……」


 などと言いつつも、自分が手間をかけて漬けた物を美味いと言ってもらえるのはやはり嬉しい。

 呆れたような笑みを浮かべながら、俺は今一度レモンスカッシュを作る。

 

「あ、とりあえずデフォルトで作ったけど、アレンジしたかったら瓶の中身使っていいぞ。少し味を濃くしてみたり、逆に炭酸を足して強くしてみたり」

「じゃああたしは小さじ一杯足してみようかしらっ!」


 彼女に蜜を入れるようのスプーンを渡した後、俺は驚く。

 意気揚々と蜜を足すカノンの隣で、最初とまったく変わらない勢いのままレモンスカッシュを飲み干す玲の姿があったからだ。

 マジでこいつの胃袋はどうなってるんだ? 広すぎやしないだろうか。


「……けぷっ」

「ちょ、ちょっと⁉ 普通アイドルがゲップなんてする⁉ 自覚を持ちなさいよ! 自覚を!」

「ごめん。気が抜けた」

「そうよねー炭酸と同じで抜けちゃうわよねー……って上手いこと言ったつもり⁉」

「それはカノンの拡大解釈。滑ったのはカノン」

「別に笑わせようと思ってないわよ!」


 どこまでも「むきー!」という声が似合う女だ。

 

「りんたろーだって目の前でゲップするような女は嫌よね⁉」

「え? ……いや、別に女だってゲップするし屁だってこくだろ。一々気にしねぇよ」

「馬鹿! アイドルはゲップなんてしないし! トイレにだって行かないのよ!」

「いつの時代の話してる?」


 一昔前の厄介なファンみたいなことを言い出したカノンを前にして、俺は思わず苦笑いを浮かべる。

 プロ意識が高いことはさすがと言わざるを得ないが、こんな場でくらい気を抜いてもいいんじゃなかろうか?

 まあそれを俺が言うことではないけれど。


「ともかく! 玲はもう少ししっかりしなさい! あんたは神秘的な美しさを売りにしてるんだから、ゲップなんてしたら一気にファンが離れるわよ!」

「……それはそうかもしれない。気を付ける」

「ならよし!」


 まるで大御所のように頷いたカノンは、気が済んだのかようやく新しく作り直したレモンスカッシュに口をつける。

 やはり仕事の面としては彼女が一番しっかりしていると言えるだろう。

 普段は騒がしくいじられキャラなカノンだが、ミルスタの中で一番尊敬できる人間はと聞かれれば彼女の名前を挙げるかもしれない。


「あ、そう言えばりんたろー。あんた最近楽器練習してるんだって?」

「ん? ああ、文化祭でちょっと協力することになってな。スリーピースバンドのベースを担当することになった」

「ふーん……」

「それがどうかしたか?」

「いや、あんたさえよければなんだけど、あたしらともちょっとやってみない?」

「やってみないって……バンドをか?」

「そう言ってるのよ」

 

 カノンはチラリと玲に視線を送り、彼女の頭をわしゃわしゃと撫で上げる。


「あう……」

「前に趣味の範疇でやってみようってミアとあたしの間でなったんだけど、この子が乗り気じゃなくてね」

「だって……楽器弾くより歌う方が好きだから」

「まあそれ自体は別にいいのよ。別にあたしたちも強要したいわけじゃなかったし。この話自体はレイがベースをやらないって言った時点でお流れになったんだけど、あんたがベースをやってくれればこの子は歌うだけで済むから、また挑戦できるんじゃないかって思って」


 そう言いながら、カノンはどことなく期待したような視線を俺に向けてきた。


「……今の話からすると、お前とミアは楽器経験者なのか?」

「人前で演奏したことはないけどね。あたしはギターが好きだから一人で練習してたし、ミアは一時期ストレス発散目的でドラム叩いてたのよ」

 

 多少なりとも意外に思ってしまうが、不思議なことでもない。

 確かにドラムの音は気持ちがいいし、上手く叩ければ叩けるほど爽快感を覚えられるのは想像できる。


「玲はいいのか?」

「うん。皆でそういうことするの、ちょっと楽しそうだから」


 どうやら玲の方も乗り気ではあるようだ。


「今月はあんたらの文化祭の都合であたしらも結構休みもらえてるし、協力してくれるならりんたろーが練習してる曲で合わせられるように覚えてくるわ。どう? 悪い条件じゃないと思うけど」

「……だな。俺の方から断る理由はない」

「じゃあ決まりね。ミアの方にも伝えておくわ」


 カノンは心底嬉しそうな表情を浮かべ、早速スマホを取り出してラインをいじり始める。

 国民的アイドル三人と組むバンド、か。

 最近になって、素直にこの状況を楽しめる自分が出来上がってきている気がする。

 

 それがいいことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。

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