14-1 夏と言えば海という風潮

 夏と言えば海。

 そんなセリフをよく聞いたことがある。


 まあ間違ってはいないだろう。実際サーファーや釣り人のような人種以外、ほとんどの人間は夏にならなければ海では遊ばない。

 しかしこれでは夏と言えば海ではなく、海と言えば夏なんじゃないだろうか? つまり海の中に夏があるわけではなく、夏の中に海があるという――――。


「だぁ! もうあっちーな!」 

 

 俺は時たま車が通るだけの影一つないアスファルトの上で、空に向かって叫んだ。

 暑さを忘れるために必死にどうでもいいことを考えていたが、それもまったく効果なし。すべてを焼き尽くす太陽の前では、人間の小細工など通用するわけがなかった。


「あいつら……バス停から遠いならあらかじめ言っといてくれよ」


 顎から汗を垂らしながら、俺は一人愚痴る。


 ここは東京からだいぶ離れた海辺の県。電車に乗って数時間。たどり着いた駅からバスでさらに一時間。そしてようやく目的地にたどり着いたと思ったら、そこから徒歩でさらに一時間。

 朝七時に家を出たはずなのに、気づけば正午を回っていた。

 そこまでして俺が目指す場所は、玲たちが泊っているであろうプライベートビーチ付きの海辺のホテル――――もとい海辺のコテージだ。


(ちくしょう……まさかこんな羽目になるなんて)


 日差し対策で帽子を被ってきたのだが、それを熱が貫通し始めている。

 おそらく、というか多分違うけど、この道は車で通ること前提で作られていると思う。歩くことに適しているとは思えないのだ。

 だって自販機一つないし、道の両サイドは雑草ばかりで影になってくれるような背の高い木すら立っていない。

 

 ぶっちゃけよう。もう帰りたい。


 玲が忘れられない思い出を作ろうと言ってくれたはずなのに、俺の心はすでに折れかけていた。


「ん……あれか?」

 

 道の先に、木でできた一軒家が見えてきた。

 あれが蜃気楼でなければ、きっと目的地のコテージだろう。

 

 助かった――――。


 まるで山で遭難していたかのような言葉が、自然と口から漏れた。

 持ってきた飲み物はすべて飲んでしまったし、これ以上歩くようなことがあればさすがに死を覚悟していたわけで。ようやく休めると思ったら、底をついていたはずの体力は少しだけ息を吹き返した。


 さて、コテージへとたどり着くためには、敷地内に入るための門に宿泊客用のカードキーを外から通すか、中から開けてもらうしかない。 

 当然俺はカードキーなど持っていないので、彼女らに開けてもらう手筈になっている。

 まずはスマホを取り出し、玲に電話をかけた。


「……もしもし」

『ん……うぅむ……』

「寝起きだな。めちゃくちゃ寝起きだな」

『おはよう……?』

「もうこんにちはだけどな。とりあえず門を開けてくれねぇか? 体から焦げたような匂いがすんだよ」

『それは大袈裟……』

「うるせぇ早く開けてくれ」

『あい……』


 それから少しして、目の前の門がゆっくりと開き始める。

 敷地内に足を踏み入れれば、コテージの方から見覚えのある金髪がこっちに向かって歩いてきているのが見えた。


「ようこそ、凛太郎」

「おい、こんなに歩くなんて聞いてねぇぞ」

「それは私も誤算だった。ごめん」

「怒ってるわけじゃねぇけど、今すぐに水がもらえなかったら少しだけ不機嫌になるかもしれん」

「ん、それは困る。とりあえず涼しくなってるから、中に入って」

 

 玲に案内されるままに、俺はコテージの中へと入った。

 木材特有の香りが鼻をくすぐる室内は、確かに冷房が効いていて大変涼しい。

 窓からは噂のプライベートビーチが見えており、日の光を反射してきらきらと輝く波が寄せては返していた。


「ただの水でいい?」

「ん? あ、ああ」

 

 そんな光景に夢中になっていると、いつの間にか冷蔵庫まで移動していた玲がペットボトルを一本放り投げてくる。

 キンキンに冷えた水だ。

 俺は急くように蓋を開け、中身を喉に流し込む。


「————っ! うめぇ……」

「こんなに幸せそうな凛太郎、初めて見た」

「今まさに生きていることを実感しているからな……こんな顔にもなるわ」


 熱を帯びていた体がスーッと冷えていき、脳も本来の活動を取り戻す。

 あんまり体をいじめる行為は好きじゃないが、こんなに水が美味くなるのであればたまにはいいかもしれない。


「——おや、ようやく来たね、りんたろーくん」

「ん?」

 

 いつの間にか、吹き抜けになっている二階からミアが俺たちを見下ろしていた。

 彼女はそのまま一階へ下りてくると、冷蔵庫に向かって俺の飲んでいる物と同じ水を取り出す。


「お前も寝起きか?」

「まあね。昨日まで炎天下の中でずっと撮影だったから、意外と疲れていたみたいでさ」

「あー……じゃあそいつは悪かったな」


 この謝罪は、玲へ向けたものだった。

 朝に強くない彼女としては、突然起こされたのはかなりしんどかったことだろう。


「ううん。凛太郎にここまで歩かせたのは私の責任。本当ならタクシーの一つでも呼んでおくべきだった」

「体力が有り余ってる高校生男子にそこまでのサポートは必要ねぇよ。気にすんな」


 よし、強がるくらいの余力は戻ってきたな。


「そんで、カノンは?」

「ああ、あの子なら――――」


 ミアが二階を指差す。

 するとどこからか扉の開く音がして、吹き抜けの手すりの向こうに赤い髪の生えた頭が半分ほど見えた。


「んー……何? 騒がしいんだけど……」

「カノン、凛太郎が来た」

「んあ? ようやく?」


 階段から、髪を下したカノンが下りてくる。

 ステージの上ではツインテールがトレードマークになる彼女が髪を下ろしていると、やはりいつもよりも大人っぽく見えるものだ。


 しかし、一つ問題がある。

 

 彼女はおそらく寝間着であろうキャミソールを着ているのだが、肩紐がズレて胸が見えてしまいそうになっていた。

 正直興味がない――――とまで言ったらさすがに嘘になるが、理性が負けてしまうほどには性欲が煽られないため、俺は黙ってカノンに背を向ける。


「ん……何? 何で顔を逸らすのよ」

「カノン、乳○見えそう」

「へ?」


 玲、はっきり言い過ぎです。


「り――――りんたろーの馬鹿! 変態!」

「謝らんぞ。俺が来るって分かっていてその格好で出てきたのはお前だ」

「それは正論! ごめんなさいね!」


 急いで二階へ戻っていく足音がする。

 こういう素直なところは、やはり彼女のいいところだ。

 ラブコメよろしく理不尽に殴られるようなことがなくて一安心である。


「そうだ、りんたろーくん。実はボクらまだ朝ご飯を食べていなくてね」

「今起きたならそりゃそうだろうな」

「できることなら朝食兼昼食を作ってほしいなーって思うんだけれども」

「ほう?」

 

 俺は横目で玲に視線を送る。すると彼女も一つ頷き、ミアに同意を示した。


「撮影が始まってからしばらく凛太郎のご飯を食べていたなかったから、そろそろ恋しくなっていた。……頼める?」

「そう言ってもらえて悪い気はしねぇな。食材はあるのか?」

「冷蔵庫にたくさん詰まってる。BBQ用の肉とかが多いけど……」


 BBQもできるのか。後で用意してやろうかな。


 とりあえず冷蔵庫を開けてみれば、確かに様々な食材が詰まっていた。

 野菜やら肉やらは一通り揃っており、調味料に関しては大味な物が多いが、とてつもなく手の込んだ料理を作ろうとしない限りは何の不便もないだろう。

 

「んじゃ塩焼きそばでも作るかな」


 とりあえずはサッと作れる物で済まさせてもらうとしよう。

 適当に豚肉やネギ、キャベツを手に取り、おそらくはBBQ用の麺をその上に積んだ。


 俺は綻ぶ顔を見られないように、いそいそとキッチンへと向かう。

 このコテージに備え付けられているのがいわゆる"アイランドキッチン"という物であると確認してから、実は試してみたくてたまらなかったのだ。

 

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