10-2

「あ……ごめん、ちょっと声をかけづらくってさ」

「まあ、そうだよな」


 乾いた笑いを漏らしながら、彼は下駄箱から靴を取り出す。

 その顔には罪悪感が色濃く浮かび上がっており、少し痛々しい。


「その……相変わらずモテるんだね」

「そう、なのかなぁ……別に何か変わったことをしているわけじゃないんだけど」


 そりゃそうだ。柿原はただ普通に過ごしているだけ。根が聖人なこいつは、デフォルトで人に優しく接してしまう。

 ここにプラスして顔もいいと来たもんだ。俺が女だったら好印象しか抱かない。まあ、競争率が高いのは面倒臭いのでガチ恋はしないと思うけど。


「なあ、凛太郎。これから少し話せないかな?」

「え?」

「ちょっと相談事っていうかさ……梓のことなんだけど」


 ぴくッと肩が反応してしまう。

 今の俺はその名前に敏感だ。


「……ごめん、先約があるんだ。夏休みに入ってからでもいいかな?」

「そ、そっか。じゃあ仕方ないよな。じゃあ……これだけ言わせてくれ。俺、一つ決心したことがあるんだ」

 

 柿原はやけに真剣な顔で、俺の方へと向き直る。


「俺、梓を二人きりでデートに誘う」


 ————ああ、そう。へー。


 あまりにも真剣な顔で言うもんだから、てっきり告白する決心でも付いたのかと思った。

 元々奥手な人間のようだし、むしろこの決心がついただけでもめちゃくちゃな進歩なのかもしれない。申し訳ないことにあんまり興味がないんだけど。


「つ、ついにって感じだね」

「ああ。来年は受験で忙しくなるだろうし、もうチャンスは今しかないって思ってさ」

「そうだね。祐介君も二階堂さんも結構上の学校目指しそうだし」

「俺はそうでもないけど、梓はかなり上を目指しているみたいなんだよなぁ……同じ大学に行けるといいんだけど」


 うひょー、こいつはもうベタ惚れだぜ。

 目の前で繰り広げられる青春が眩しすぎて、そう言ったものに耐性のない俺は頭がくらくらしてしまう。

 いや本当にもう他所でやってくれねぇかな。頼むよ。


「頑張れ、祐介君。俺ずっと応援しているからさ」

「ああ、ありがとう。それじゃあ昼飯買って帰るから、先に行くよ」

「うん。じゃあまた」


 靴を履き替えた柿原は、そのまま玄関口から外へと出ていく。

 ため息を吐きながら彼の背中を見送っていると、後ろから肩を叩かれた。


「凛太郎、お待たせ。誰かと話してたの?」

「ん? ああ、雪緒か。ほら、少し前まで柿原と話してたんだよ」


 校門へと向かっている柿原の背中を、顎で示す。

 

「そういえば調理実習の時から結構仲いいよね、凛太郎」

「仲いい、ねぇ。外から見ればそう思われるかもしれねぇな……」

「? 実際は違うのかい?」

「別に。邪険に扱っているつもりはねぇけど、まだ素で接してねぇからなぁ。仲がいいって言うのはちょっと気が引けるっつーか」


 柿原からどれだけ友人として扱われようと、俺の方からはそう扱えない。口には出さないが、それが少しだけ申し訳ないと思っていた。


 俺は、他人に素で接することに抵抗がある。人に言われなくても、自分の性格が決して良くないことくらいは分かっていた。そしてそれをわざわざ他人に合わせるために変えるつもりもない。

 勝手に期待されて、勝手に幻滅されるのはごめんだ。

 面倒くさいことになるくらいなら、ずっと猫被ったままでいい。

 

「まあこの話は置いておこうぜ。勉強場所はうちでいいか?」

「え、それはこっちのセリフだよ。お邪魔しちゃっていいのかい?」

「何だかんだ新居に招くタイミングがなかったからな。昼飯も作るからよ」

「やったっ、ちょうどお腹が空いてたんだよ」


 俺は雪緒を連れて、マンションまで帰る。

 初めて俺の新居の前に立った雪緒は、その大きさに唖然としていた。


「こ、こんなところに住んでいるのかい……? 家賃も相当高いんじゃ……」

「ちょっと色々あってな。……ま、いつか話すよ」


 玲との関係は、いずれ雪緒には話さなければならないと思っていた。

 彼女もミルスタの二人には事情を話している。それはミアとカノンがかけがえのない仲間であるからこそであり、俺にとってそれと同じ関係に当たる人物が、この稲葉雪緒だ。

 このまま隠し事をしながら過ごすのは、やはり気が引ける。


 部屋に招き入れると、雪緒は周囲をきょろきょろと見渡し始めた。

 前の家にもあった家具を見つけてようやく俺の家だと確信したのか、彼は安心したように息を吐く。


「やっぱり知っている物があると安心するね。前と違いすぎて一瞬ドキドキしちゃったよ」

「俺もしばらくは慣れなかったよ。そうだ、昼飯は焼うどんでいいか? これならすぐ作れるんだけど」

「うん。問題ないよ」

「んじゃソファーで待っててくれ」


 俺はキッチンへと向かい、あらかじめ購入しておいたうどんと、ネギ、豚肉、キャベツを取り出す。

 それぞれを一口大に切り、フライパンで炒め合わせる。醤油とだしの素で味をつけ、塩コショウで整えて完成。


「ほら、できたぞ」

「わぁ! ありがとう!」


 やけにテンションの高い雪緒の前に、作りたての焼うどんを置く。

 俺も隣に座り、「いただきます」と一言告げて箸を動かした。


「いただきますっ。————んー! 美味しい!」

「ならよかったよ。お前に飯作るの久々だったからなぁ」

「そうだね。ちょっと寂しかったよ」

「おいおい……気持ち悪い言い方すんなよ」


 二人してうどんをすすった後、俺たちは当初の予定通り課題に取り掛かった。

 数ある課題の中で、数学の問題集を解く課題がもっともシンプルであり、かつ時間がかかる。まず仕留めてしまうならこいつからだ。


 カリカリと、シャーペンを走らせる音だけが響く。

 俺も雪緒も数学の成績は悪くないため、特に躓くことなく問題を解き続けることができていた。故にここまで来るとただの作業となる。時たま応用問題のような難しい物が現れた時だけは相談したりするのだが――――。


「なあ、雪緒。これなんだけどさ」

「ああ、これならここをこうして……」


 と、このように雪緒に聞けばすぐに解き方を教えてくれる。

 もちろん答えを教えてくれるほど雪緒は甘くないため、コツを教えてもらったらそこからは自分で解く必要があるのだが、教え方自体が上手すぎて今まで解けなかったことが嘘みたいに簡単にできてしまった。

 友人びいきももちろんあるだろうけど、下手な教師よりも正直言って分かりやすい。

 

 こうしてお互いがお互い課題を進めること数時間。

 日が暮れ始めた頃に、俺たちはほぼ同時にシャーペンを置いて息を吐いた。


「だいぶ進んだんじゃないかな? 数学はもう終わったし、古文の問題もずいぶん解けたし」

「そうだな。ちょうどいいし、一息入れようぜ。コーヒー飲むか?」

「お願いしていい?」

「もちろん。エナジードリンクも飲み切っちまったしな」

 

 あんまりカフェインを取りすぎるのもどうかと思うが、ここさえ乗り越えればあとは楽しいだけの夏休みが待っている。

 糖分を欲しがる脳みそに従い、いつもはブラックで飲むところにミルクと砂糖を混ぜた。

 雪緒の好みはミルク少なめ、砂糖少なめ。覚えている通りに淹れたコーヒーを持って、テーブルの上に置く。


「至れり尽くせりだね。ありがとう」

「小難しい課題について教えてもらってるし、お互い様だ。そうだ、今日はどうする?」

「どうするって?」

「泊まってくかって話。一晩集中したらもうほとんど終わるんじゃないか?」

「え、いいの……?」

「お前の家さえよければな。課題が怠くなったらゲームでもしようぜ」

「う、うん!」


 雪緒はやけに嬉しそうに笑みを浮かべる。

 ここ最近、学校では一緒にいたものの、放課後は玲のために時間を使っていたからほとんど共に過ごすことはなかった。だから夏休みの初日くらいは、長く一緒にいたっていいだろう。

 

 ————それに。


「凛太郎、ちょっと顔色が悪くなったけど……大丈夫?」

「ん? あ、ああ。問題ないぞ」

「そう?」


 危ない危ない。顔に出てしまっていたか。

 俺はスマホの画面をつけ、日付と曜日を確認する。

 今日は金曜日、つまり明日は言うまでもなく土曜日ということだ。


『今度の土曜日、一緒にご飯に行きませんか? ……水族館に乙咲さんと一緒にいた理由が聞きたいです』


 そう、明日は二階堂との約束の日。

 この憂鬱さを乗り越えるためには、雪緒との心安らぐ時間が必要になる。


(すまん、雪緒……)


 勝手に清涼剤扱いしてしまうことを、心の中で謝罪した。

 

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