11-1 夏休みは波乱に満ちている。
セミの鳴き声が、ガンガンと耳に刺さる。
腹が立つくらいにギラついた太陽が、これでもかというほど俺の脳天を焼いていた。
まさしく夏。俺が一番嫌いな季節。
七分丈のズボンと白い半袖のTシャツを着た俺は、この夏休み初日というありがたい日にわざわざ照り返しの厳しいアスファルトの上を歩いていた。
本当なら今頃、クーラーの効いた部屋でダラダラと夏休みの宿題に取り込んでいた頃だというのに――――。
(ただ、行かないわけにもいかないよなぁ……)
うざったらしいくらいの晴天を見上げ、ため息を吐く。
現実逃避がてら、足を止めてスマホの画面を見た。
『駅の近くのファミレスで待っています』
そうメッセージを送ってきているのは、うちのクラス委員である二階堂梓だ。
俺は今日、彼女に対して国民的アイドルと水族館デートをしていたことについての説明をしなければならない。
何故わざわざそんなことを……と何度も思った。しかしこの誘いを断って、万が一にでも拡散なんてされたら最悪だ。
何だかんだ言って、俺は二階堂がどんな人物なのかほとんど知らない。今ある知識はすべて噂から仕入れたものであり、あの真面目な姿勢は俺のように猫を被っているだけなんてことも十分あり得る。
この件をネタにして、金銭などを要求してこないことを祈るしかない。
間もなくファミレスに到着した俺は、憂鬱な気持ちで扉を開けた。
店員に待ち合わせであることを伝え、店内を見渡す。すると一番奥の席に、見覚えのある顔が座っていた。
「……お待たせ、二階堂さん」
「志藤君……ごめんなさい、急に呼び出して」
近づいてきた俺に対し、二階堂は複雑そうな表情で頭を下げる。
ああ、そんな風にするなら黙っててくれればいいのに――。
「いや、大丈夫だよ……気になる気持ちは、分かるから」
なんて取り繕いながら、俺はドリンクバーの注文を済ませる。
適当にメロンソーダを注いで持ってきたならば、彼女が話を切り出すのを待った。
「ずっとね、ここ最近気になっていたの」
「うん……」
「水族館にいたの、あれ、乙咲さんだったよね? 一緒のTシャツを着て……もしかして、志藤君の彼女って乙咲さんなの?」
概ね予想通りの質問が飛んできた。
俺はストローを用いてメロンソーダを一口飲むと、今日何度目かのため息を吐く。
「……二階堂さん、それは君の勘違いだよ」
「え?」
二階堂さんからの最初のラインが届いてからの四日間、俺はひたすら彼女に対しての言い訳を考えていた。
そして俺はすでに、完璧に言いくるめるための台本を作り上げてきている。
「実はね、あの時俺は見栄を張っちゃったんだ。二階堂さんたちは四人で楽しそうにしていただろ? それが何だか羨ましくて、彼女がいるなんていう嘘をついてしまったんだよ」
「そ、そうだったんだ……でも、それなら何で乙咲さんと一緒にいたの?」
「————ここから先は、君が絶対に言いふらさないって約束してくれないと話せない」
俺は深刻な雰囲気を醸し出しながら、二階堂の目をじっと見つめる。
空気感が変わったことに気づいたのか、彼女は気圧された様子で頷いた。
「分かった。それなら教えるよ。——実は、俺と乙咲さんは少し遠い親戚同士なんだ」
「え⁉」
「"はとこ"ってやつかな。同じ学校に入学できたってこともあって、たまに彼女の新曲作りを手伝ったりしてるんだよ。今回は恋愛の曲だったから、デートっぽいことをしてみようって話になってさ」
「……そ、そうだったんだ」
唖然とする二階堂の表情を見て、俺は勝ちを確信する。
これぞ俺の考えた、ギリギリ信じてもらえるであろう嘘。
はとこという絶妙に遠い親戚関係を持ち出すことで、まず下手に突っ込めないようにする。従弟程度の血縁なら調べればギリギリ情報が出てきてしまうかもしれないが、さすがにはとこだったら警察でもない限り調べ抜くことはできないだろう。
残りの高校生活くらいなら、これで騙し抜けるはずだ。
————いやまあ、無理があることくらいは分かっているけども。
「乙咲さんもアイドルだから彼氏とか作る訳にもいかないみたいでさ、それで親戚である俺が一肌脱ぐことになったんだよ。本当にたまにだけどね」
「そっか、恋人ってわけじゃないんだ……」
「うん、生まれてこのかた彼女なんてできたことないよ」
ははは、と乾いた笑い声をこぼす。
対する二階堂は、何故か安心したように胸を撫で下ろしていた。一体これは何に対する反応なんだ?
「じゃ、じゃあ! 志藤君って今好きな人って……いるの?」
「え?」
「何となく聞いてみたいなって……」
二階堂はもじもじしながら、突然そんなことを口走った。
さすがにここまであからさまだと分かってしまう。
こいつ、多分まだ俺に気がある。
というか、よく考えれば当然の話だ。
水族館で出会った時にはすでにどことなく意識されているような感覚があったが、俺に彼女がいると聞いて一度その感情は消えた。しかしその障害となる彼女が本当は存在しないと知れば、また話は変わってくる。
「好きな人か……」
玲との関係の話題から逸れたのは、俺としては僥倖。このまま新たな話題の方へ乗っかろう。
というわけで、その好きな人についても考えてみる。
ふわりと浮かぶのは、あの綺麗な金髪。
それによって湧き上がる一人の少女のイメージを、俺は頭を振って振り払った。
「いないよ。好意的に思っている人はたくさんいるけど、こう……恋人になりたいって目で見ている相手は今のところいないかな」
「そうなんだ……」
「二階堂さんは? いつも一緒にいるあのメンバーの中に意中の相手がいたりしないの?」
「い、いないよ! いないいない!」
必死に首を振っているところを見るに、これはマジのやつだな。
柿原、泣いていいぞ。牛丼くらいなら奢ってやるから。特盛までなら許す。
「柿原君も堂本君もすごく頼りになるかっこいい男の子だけど、恋愛対象だって思ったことはないの。最高の友達だとは思うんだけど、そういう目では……見れないかなぁ」
「……へぇ、そういうものなんだ。もしかしたらだけど、長く一緒にいすぎてそう思うのかもしれないね」
「あ、そうかも。その人のことを好きだと思っている時の、こう……ドキドキがないっていうか」
————マジで柿原が哀れになってきた。
もはやネタにもならん。
何とか彼のアシストをしてやりたいのだが……。
「じゃあ結局気になっている人はいないのかな……?」
「……ううん。今は、いる」
「そ、そうなんだ! いいね! 青春だね!」
やめろ、瞳を潤ませながらこっちを見るな。
こういう時に心の底から自分が鈍感系主人公でなかったことが悔やまれる。いや、もういっそのこと鈍感系を演じればいいんじゃないか?
よし、それだ。この際ずっと気づいていない振りをしよう。
「だ、誰だろうなー。ちょっと当ててみたいから、好みのタイプとか教えてくれないかな?」
「え⁉ い、いいけど……」
これで好みのタイプを聞きだせれば、そのうち柿原にそれとなく伝えられるかもしれない。今は男として見られていなくとも、まだ未来が確定したわけじゃないはずだ。ここから挽回すれば、きっと柿原の恋も叶わないものじゃなくなる――――と思う。知らんけど。
「家庭的で、ふとした時に儚げな表情を見せるような人……かな。前とか後ろをついて行くような関係じゃなくて、隣に立つことを許してくれるような人が好き」
「ほ……ほう」
想像以上に真面目な回答が来てしまい、少したじろぐ。
というか本当に二階堂が俺に好意を抱き始めているとして、果たして俺のどの部分が彼女のお眼鏡に適ったのだろう。
そこまで接点のない俺たちが絡んだ場面と言えば、本当に調理実習の時くらいなものだ。
確かに隣に立ったけども。料理を一緒に作って家庭的な部分を見せたけども。「そんな優しい顔するんだなぁ」って言われたけども。
————あれ、思い当たるなぁ。
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