2-5

「ほら、辛気臭い顔はやめて飯を食え。まあ今日はパスタだけどな」

「パスタ?」

「トマトミートソースだ。好みで粉チーズをかけてみろ」


 赤いソースのかかったパスタを、玲の前に置く。

 このソース自体はトマト缶とミートソースの素を混ぜて煮込んだだけのものだが、簡単が故に安定した味になっている。

 余ったソースは明日の夜にドリアに使う予定だ。

 ライスを敷いてその上にソースをかけ、チーズを載せてオーブンで焼く。

 手抜きと思うことなかれ。こうした工夫こそが専業主夫の秘訣である。


「いっぱいかけてもいいの?」

「ああ、いいぞ。どのみち食料品はお前の金だ」

「そう言えばそうだった」


 納得した様子の玲は、パスタの上に粉チーズをふんだんに振りまく。

 全体的にソースがうっすらと白みがかった頃、彼女は端から巻いて口へと運んだ。


「っ! 美味しい」

「お前は本当に作り甲斐のある反応をするなぁ。一応おかわりもあるから、欲しかったら言えよ」

「欲しい」

「お前は食うのも速ぇなぁ」


 玲の分のおかわりを用意した後で、俺も自分の分へと口をつける。

 特に凝ったこともしていないが、家で作る程度ならこれで十分。

 あっという間に二人そろって完食した後、俺はつけっぱなしにしていたテレビへ視線を向けた。


「本当に……大人気アイドルなんだな」


 画面の中に映るミルスタの三人を見て、俺は無意識にそう呟いていた。

 音楽番組、バラエティ、ニュース番組、CM――ここしばらく見ない週がないくらいには、彼女らの活躍は目まぐるしい。それだけ忙しい日々を送りつつも、出席日数を守りつつ学校にも通っているという超人っぷり。

 改めて俺は、乙咲玲という規格外の生物に目を向ける。そして口元についたミートソースの跡を見て、一つため息を吐いた。


「……玲、じっとしてろ」

「何? ……んっ」


 ウェットティッシュを手に取り、彼女の口元を拭う。

 俺にされるがままになっている玲は、さながら自分の子供のようだった。


「ありがとう。でも恥ずかしい」

「だったら気をつけろ。……俺の前にいる乙咲玲は、まるでテレビとは別人みたいだな」

「ん、別人じゃない。オンとオフがしっかりしているだけ」

「でも学校でのイメージはちゃんとアイドルだぜ? 自意識過剰なら申し訳ないんだけどさ、この家にいる時だけだらしなくなってる気がするんだけど」

「それは、そう。私はここにいる時と、ミルスタの三人でいる時だけオフってことにしている。あとは常にアイドル。学校にいる時も、外を歩いている時も、休日だって誰かに見られている。イメージは、大事」


 なるほど、確かに。

 外でだらしなくしている所を人に見られれば、それはそのままミルスタのイメージにつながってしまう。

 普段通り生活しているように見えて、実は常に気を張っていたのだ。


「……すげぇな、お前。尊敬するよ」

「それはお互い様。私は凛太郎と同じことは絶対できない」

「忙しいからだろ? 時間さえあればお前にだって――」

「違う。確かにご飯は作れるかもしれないけど、凛太郎はそれ以上に小さな気配りをたくさんしてくれている」


 玲は俺が持ってきたコーヒーの入ったマグカップを手に取る。

 そのまま一口飲み、ほうっと息を吐いた。


「このコーヒーだって、私の好みの味。もう何も言わなくても淹れてくれる」

「ま、まあな」

「私が一度好きって言った食べ物や飲み物をちゃんと覚えていてくれるし、用意もしてくれる。制服に皺ができていたらいつの間にかアイロンをかけてくれるし、私用のシャンプーやボディソープの代えも気づいたら用意してくれてた」

「……当たり前のことじゃねぇか?」

「絶対にそんなことはない。少なくとも、私はそんなに気が回らない」

「そういうもんかねぇ……」


 褒められれば少し照れるものの、特に考えがあっての行動ではないが故に困惑もある。

 別に気を回しているわけではないのだ。ただこうすれば喜んでくれるだろうと自然に——。

 あ、これが気をまわしているってことか。


「まあでも辛くも何ともねぇしな……」

「きっとそれが自然。私だって、アイドルの仕事は大変だけど辛くはない」

「へぇ……じゃあきっとそういうものなんだな」

「うん。そういうもの」


 玲が快適そうにしてくれているだけで、俺はいくらでも働ける気がする。

 自分のしたことが誰かのためになるということが、それだけモチベーションのキープに繋がっているのだ。

 初めは素直に受け取ったが、正直な所もう金だって別に——。


「あ、凛太郎。明日はちょっとしたお願いがある」

「ん? 何だよ」

「明日は学校がないから、午前中からレッスン。そこに持っていくお弁当を三人分作ってほしい」

「三人分⁉ お前どんだけ食べるつもりだよ……」

「違う。いくら何でもそんなに食いしん坊じゃない」

「説得力がねぇな。で、どうして三人分なんだ?」

「ミルスタの二人に凛太郎の話をした。そしたら二人もあなたの料理を食べてみたいって」

「お、俺のこと話したのか⁉ 外部の奴に話すなって言ったばっかりだぞ」

「二人は私にとって外部の人じゃない。それに、二人のことは信頼している。大丈夫」

「お前がそこまで言うなら……信じるけどさ」


 まあミルスタのメンバーにとっても玲のスキャンダルは己の首を絞めかねない。下手に言いふらすようなことはないと思うが、やはり彼女の危機管理能力は今後鍛えていく必要がありそうだ。


「別に三人分作ることに関しては構わねぇよ。えっと、カノンとミアだっけ? 好みとか知らねぇから玲と同じ物になるけど、それでもいいんだな?」

「うん。二人も食べられない物はほとんどないから、何でも美味しく食べてくれると思う」

「そっか。じゃあ楽させてもらおうかね」


 言い方は悪いかもしれないが、俺にとって料理は少なく作るより多く作る方が面倒くさくない。もちろん作業量が変わるわけではないのだが、同じ手間でも二人分より四人分作った方が得した気分になるという話だ。


「ただ今からじゃ大したもんは作れねぇな……せっかくの機会だけど、朝に作れる物だけで補う必要がありそうだ」

「そういうことなら、一つ提案がある」

「何だよ」

「お昼頃に、凛太郎が届けに来たらいい。それなら昼近くまで時間ができるから」

「俺が⁉ いや、さすがにどういう顔して持っていったらいいか分からねぇよ……」

「大丈夫。明日は個人練習の日だから、借りてるスタジオには私たちだけしかいない。それに、二人も凛太郎に会いたがっていた。もちろんあなたが嫌なら、そこまではしなくていい」

「うーん……」 


 面倒事と見るべきか、それともせっかくの機会だと見るべきか。

 同じクラスの玲はともかく、他の二人はそれこそ画面越しにしか会えない相手。そんな連中に会いたいと言われるなんて、普通に生きていればありえない話だ。

 そもそもの話、玲の世話役として先に挨拶をしておくべきかもしれない。

 幸い締め切り明けで、優月先生もまだゆっくり仕事をしている。俺がバイトとして入るのは来週からだ。


「……分かったよ。玲の仲間に手抜き料理を食わせるわけにもいかねぇからな。場所だけ教えておいてくれ。十二時過ぎた辺りで届けるよ」

「ありがとう。二人もきっと喜ぶ」

「だといいけどなぁ……」


 俺はただの高校生。それに比べて相手は国民的なアイドル。

 そんな偉大な連中が俺の料理を食べたがるなど、普段から疑り深い俺としては甚だ信じられない。とはいえ玲が嘘を言っているとも思えないし――うーむ。


(ま、細かいことは抜きだ。俺は飯を作って届けるだけでいい)


 無駄に何か期待するでもなく、ただ頼まれたことをこなす。

 ……サインをもらう程度なら許されるだろうか? 許されるよな?

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