3-1 ミルフィーユスターズ
「ここかよ……」
俺は目の前にそびえ立つ高層ビルを見上げていた。
ここは玲が所属しているファンタジスタ芸能のビルだ。こういった所に縁のない俺は、中に入る前から少々緊張してしまう。
まあここにいても何も始まらない。
俺は深く息を吐き、ビルの中に足を踏み入れた。
「あの、すみません」
「はい、ご用件はなんでしょうか?」
「十二時にミルフィーユスターズの乙咲と約束をしていた志藤です。繋いでいただけますか?」
「……少々お待ちください」
受付の人に乙咲の名前を出せば、しばらくここで待つように伝えられる。
突然高校生のガキが彼女の名前を出したことで若干訝しげな視線で見られたが、まあ仕方のないことだろう。
それから二分ほど。エレベーターが一階に降りてきたかと思えば、そこから動きやすい恰好をした玲が現れた。
「お待たせ。中は複雑だから、案内する」
「お、おう……」
「ん、どうしたの?」
「いや……いつもと雰囲気が違うって思ってな」
「そう?」
いつもは下ろしている髪を後ろで一つに結んでおり、どことなくスポーティな印象を受ける。服装も黒のアンダーシャツの上に白いノースリーブ、下はショートパンツで、玲の染み一つない太ももが露出していた。
「なあ、このまま弁当だけ渡して帰るわけにはいかねぇか?」
「駄目。もう二人とも楽しみにしている」
「はぁ……どうして俺なんかを」
こっち、という彼女の言葉に従い、手を引かれるままエレベーターへと乗り込む。そのまま十階ほど上がり、長い廊下へ出た。廊下にはいくつか部屋が並んでおり、それぞれ番号が振り分けてある。
「もしかして、これ全部スタジオか?」
「そう。音楽系のアーティストが多いから、事務所の中にたくさんスタジオがある」
「金かかってんなぁ……」
「このビルも五年くらい前に建て替えられたばかり。大手の事務所はやっぱりすごい」
玲は迷いなく廊下を進むと、一つ角を曲がる。その奥には防音室らしい頑丈そうな扉があった。というか、ここまで存在した扉はもれなくすべて防音仕様だったようだ。
「入って」
重そうな扉をゆっくりと開いた玲に導かれ、俺はスタジオの中に入る。
中に入れば、壁一面に貼られた鏡や巨大なスピーカーが確認できた。
そして――――スタジオの壁にもたれるようにして、二人の人間が談笑している様子も目に映る。
テレビでよく見るその二人は俺に気づくと、興味深げな視線を俺へと向けてきた。
「おかえりー、玲。その人があんたの言ってた"りんたろー"くん?」
「そう。お弁当を持ってきてくれた」
「いやー、悪いわね、我儘言っちゃって」
そう言いながら頭を掻いているのは、ミルスタの元気担当とも言える存在、カノンだ。
赤いツインテールがトレードマークの彼女は、俺と同い年だと知っていても若干幼く見える。
隣に並ぶもう一人のメンバーと比べてしまえば、なおさらの話だろう。
「手間を取らせてすまないね、"りんたろー"君。でもどうしても玲が懐いたっていう男がどんな人か気になってね。悪く思わないでくれると嬉しい」
ミルスタの三人目のメンバー、ミア。
彼女はクールビューティー――――どちらかと言えば王子様系の女子として売り出されている。
王子様と呼ばれるだけのことはあり、顔立ちは可愛いというより綺麗。男装でもしようものなら男が嫉妬するレベルのイケメンさを誇っていた。
ただそれは顔だけの話で、体つきは玲に負けず劣らずの女性らしさが際立っている。
「ああ、いや。俺も大ファンのミルスタの三人に自分の弁当を食べてもらえるだなんて思ってもみなかったから、すごい感激だよ。手間なんて気にしないで」
「「……」」
「……あれ?」
俺はよそ行きの笑顔を浮かべ渾身の優しい男ボイスを繰り出したのだが、対する二人はポカンとした表情をしている。
何か外しただろうか? 困惑と不安が入り混じり、思わず玲へ視線を投げた。
「あ、二人にはもう凛太郎の話をいっぱいしてある。ちょっと口が悪い話とか、普段は猫を被っていることとか」
「先に言えよ! 取り繕っちゃっただろ!」
つまりもうこの二人は俺の普段の様子を知っているわけだ。
くそ、優男キャラで乗り切ろうと思っていたのに。
「ぷっ……あはははは! やっぱり聞いてた通り面白い男ね! りんたろーは!」
「チッ、まあいいや。てかお前、いきなり凛太郎は馴れ馴れしいぞ。友達でもねぇんだから」
「別にいいじゃないの。アイドルに名前を呼ばれるのよ? ファンなら跳んで喜ぶことでしょ?」
「別にファンじゃねぇし」
「はぁ⁉ さっきのは態度だけじゃなくて言葉も嘘なの⁉」
「そうだよ。いくら国民的アイドルだからって全員が全員お前らのファンだと思うなよ」
「何よ! ってか玲からあんたの下の名前しか聞いてないし! あんただってあたしたちの下の名前しか知らないでしょ!」
「……確かにそうだ」
俺はカノンもミアも芸名でしか知らない。言われてみれば本名を知っているのは玲だけだ。
「ほーらごらんなさい。だからあたしは悪くない!」
「そうかもしれねぇけど……何か態度がムカつくなぁ」
「普通芸能人にそんな態度取れる⁉ あんたすごいわね⁉」
「今回ばかりは俺に分があるからな。俺にはこの弁当を好きなようにする権利がある」
俺はカノンの目の前に持ってきた弁当を揺らして見せる。すると彼女の腹から大きな音が鳴り、揺れる弁当箱に釣られるようにして視線を泳がせ始めた。
「おやおや、相当腹が空いてるようですわねぇ。どうしてもと言うならくれてやってもいいですわよ?」
「せ、性格悪!」
「何とでも言え! ――――ま、玲との契約がある以上渡さざるを得ないんだけどな」
「何なのあんた⁉」
ふむ、カノンは思ったよりもからかうと面白いタイプだったか。
俺は彼女の目の前に包んであった弁当箱を置き、中を開いて見せる。すると今までご立腹だったカノンの表情が変わり、それと同時に隣にいたミアも感心したような声を漏らした。
「ほう、料理の腕も聞いていた以上だね。ボクらのためにこんなに凝ったものを作って来てくれたのかい?」
「一応な。普段玲に食べさせてる物が大した物じゃないって思われるのも癪だし、ちょっとは力を入れたよ」
弁当の中には、煮込みハンバーグや唐揚げなどの肉類の他に、ポテトサラダ、アスパラのベーコン巻きなどが詰めてあった。煮込みハンバーグはもちろんひき肉の段階から作った物であり、唐揚げも独自に配合した醤油やニンニクで作ったタレに一晩漬けた鶏肉を使っている。
玲に恥をかかせる訳にもいかず、かなり本気で作った自覚はあった。
「え……嘘でしょ? この煮込みハンバーグも手作りなの?」
「当然だ。玲の弁当を作る時にレトルトやら冷凍は使わない。人数が増えたからって手を抜く真似はしねぇよ」
「な、何か……すごい負けた気分」
愕然としているカノンをよそに、俺は三つ作った弁当の内の一つを持ち、玲に差し出す。
「ほら、お前のだ。――――どうした?」
「……別に」
玲はどことなく不機嫌そうに目をそらす。
弁当の中身が気に入らなかったのかと問いかけてみるが、それに対しては首を横に振った。
「違う。そうじゃない」
「じゃあ何だよ」
「初対面なのに、カノンと何だか仲が良さそう」
今のが仲がいいだなんて、こいつの目は節穴なのだろうか?
「あらら? ふーん……レイはこの大親友であるカノンちゃんが他の人と仲良くしていることに嫉妬しちゃったんだぁ。愛い奴め!」
「それもあるし、いきなり凛太郎と仲良くできていることにも嫉妬してる。だから両方」
「……ほんっっっとに素直ね、あんた」
さっきまでからかうような視線を送っていたカノンだったが、今は呆れたような表情をしていた。
ここしばらくの付き合いで分かったことだが、確かに玲は今時あまり見ないレベルに素直で、物怖じしないで言葉を発する。本来嫉妬の感情なんて人に言いにくいものだと思っていたが、彼女にとっては違うらしい。
「まあまあ、友人が増えるのは嬉しいことじゃないか。ボクも新しい友達ができて嬉しいよ、りんたろー君」
「お前ら……ちょっと警戒心がなさすぎじゃないか? 一応一般人の男なんだから、軽率に友達とか言わないでもう少し……ほら、何かあるだろ」
「おや? 君はボクらに友達と言われるのは不服かな?」
「いや、別に不服ってわけじゃ……でも知人とかでいいんじゃないか?」
「不服じゃないならボクがどう呼ぼうが勝手だろう? 確かにまだ知人レベルかもしれないけれど、いずれは深い仲になっていく予定なのだから間違ったことは言っていない」
「確かに――――って、深い仲って何だよ」
「深い仲は深い仲さ。そこの解釈はお任せするよ」
「……俺、お前のこと苦手かもしれん」
「ボクは君のそういう素直な所が結構好きかもしれないよ。これからよろしくね」
「よろしくするかどうかは……まあ、善処するよ」
俺の返しにある程度満足したのか、ミアは愉快そうに笑みを浮かべる。
何だかとんでもない奴に目をつけられた気がした。きっとこいつは玲よりも面倒くさい。ずる賢いというか、策略家というか――――言いたくないが、俺と正反対に見えて実はよく似たタイプだ。
「凛太郎のコミュニケーション能力を見誤っていた。まさかこんなに早く二人と仲良くなれるとは思っていなかった」
「仲良く……? 本当にそう見えているなら、やっぱりお前の目はだいぶ節穴だぞ」
ここに来てよく分かった。
玲を含め、ミルスタの三人と俺は住む世界が違う。
感性というか、何というか。相容れないという訳ではないが、親和性があるかと問われればそれはノーかもしれない。
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