1-3

 俺の家は駅から徒歩五分程度の位置にある。

 五階建てのマンションの一室、そこが今住んでいる場所だ。


「一人暮らし?」

「まあな。色々事情があってさ」


 鍵で扉を開け、彼女を背負ったまま中に入る。

 部屋の造りは1LDK。リビングと寝室が別にあり、これで家賃は四万円台。東京にありながらなぜこんなに安い家賃で借りられているかと言えば、それは優月先生のおかげである。

 本来ならもう少し高かったのだが、彼女からの家賃手当によって破格の値段に落ち着いているというわけだ。


「とりあえずソファーに座って休んでろ。テレビは適当に見ていていい」

「分かった」


 乙咲をソファーに座らせ、靴を脱がす。それを玄関先へと持っていった後、俺はリビングから見える位置にあるキッチンへと向かった。


「豚肉を使うことは確定してるけど、何か食いたい物はあるか? ある程度なら要望も聞けるぞ」

「じゃあ……生姜焼き」

「へぇ、好きなのか?」

「うん。子供の時から」

「これまた意外だな……まあいいや。じゃあ生姜焼きな」


 比較的簡単な料理で助かった。

 冷蔵庫から豚肉とたまねぎ、半分残ったキャベツ、そして生姜のチューブを取り出し、調理に移る。

 生姜焼きはあまり研究を進めていない料理ではあるが、決して不味くは作らない自信があった。


「……手際がいい」

「そりゃ毎日作ってるからな。生姜焼きを作った経験だって一度や二度じゃない」

「男の子がそういうことをするイメージ、あんまりない。どうして毎日作っているの?」

「節約。生活費は全部自分で稼いでるんだ。それと将来の嫁さんのためだな」

「嫁?」

「そう。俺の目標は専業主夫。バリバリ働く嫁さんのために、味と健康をちゃんと考えた料理を出してやるのが夢なんだよ」


 この計画は順調に進んでいる。

 日々料理研究をしてメニュー本を作り、掃除や洗濯のテクニックを磨き、去年からは家計簿をつけるようにしている。

 今この瞬間に嫁ができても、満足させられる自信があった。ただ唯一の問題と言える点が、肝心の嫁に繋がる恋人と出会えていないこと。

 まあ、これに関しては高校在学中に見つかるとは思っていないし、すでに定職に就いた人と出会える大学卒業後くらいを目安に探し始めるつもりなのだが。


「悪いけど、白飯はレトルトで我慢してくれ。本当は炊くつもりだったけど、もうお前の腹も限界だろ?」

「ん……お気遣いに感謝」

「てか、マネージャーとかいるんだろ? なら飯を食わせてもらってから帰ってくればよかったんじゃないか?」

「見栄を張った。アイドルだから、がっついている所を見せるべきじゃないと思って」

「身内にくらいは見せてもいいんじゃねぇか……? まあこだわりを持って生きているってのは分かるけど」

「志藤君もこだわって生きているから?」

「まあ、な。ほら、できたぞ」


 そうこうしているうちに、生姜焼きが完成する。香ばしい醤油と生姜の香りが食欲をくすぐり、我ながらいい出来だと自分を褒めた。

 そして丁度温めが終わった白米を茶碗に盛り付け、自分の分と一緒に乙咲の前のテーブルに置く。


「今まで食べてきた生姜焼きの中で一番いい香り……」

「そりゃどうも。冷めないうちに食べてくれ」

「いただきます……!」


 乙咲が生姜焼きを口に運ぶ様子を、俺は少し緊張の面持ちで眺めていた。

 正直な話、自分の料理を人に食べてもらうという機会にあまり恵まれてこなかったのだ。

 雪緒には何度か食べてもらっているものの、女子相手というのは本当に初めてである。

 男好みの味付けにしすぎていないか————そんな不安が過ぎったのも束の間、それを払いのけるかのように彼女の言葉が響いた。


「美味しい……!」


 らしくなく体から力が抜ける。

 いつになく緊張していた様子の自分に、思わず笑みがこぼれた。


「そうか……安心したよ」

「今まで食べてきた中で一番美味しい。間違いない」

「それはちょっと大袈裟な気がするけど……まあ、褒められて悪い気はしねぇな」


 自分でも口に入れてみるが、いつも通りではあるものの確かに美味い。我ながら作るのが上手くなったものだ。どや顔したくなる。


「おかわり欲しい」

「まあいいけど……どうせレトルトだし」


 茶碗を受け取り、もう一つ飯を温める。それを受け取った乙咲は最初とまったく変わらないペースで食事を再開した。そんな様子を見せられると、倒れるほど腹が減っていたというのも納得してしまう。


「……なあ、アイドルって楽しいのか?」

「楽しい。小さい頃からの夢だったから」

「はー、すげぇな。この歳でその夢を叶えちまったわけか」

「たくさん努力した。それに運もよかった。今は掴んだチャンスを離さないように、もっと頑張っている」


 立派な奴だ。働きたくないなんてほざいている俺とは住む世界が違う。


「志藤君も夢のために努力してる。すごい」

「……本気で言ってるのか?」

「ん……? 本当にそう思ったけど」


 専業主夫になりたいだなんて、馬鹿にされるとばかり思っていた。

 だからこそ信頼している雪緒以外には話さないでいたのに、予期せぬ形で褒められてしまい思わず気が抜ける。


「どんな夢であれ、そこに向かって努力する人は皆すごい人。私はそんな人たちも応援したい」

「……今日初めてお前のファンになったかも」

「今まではファンじゃなかった?」

「正直あんまり興味なかった。……声かけてみるもんだな」

「私も志藤君のファンになった。また食べに来たい」

「それはダメだ」


 乙咲からの要求を、俺はノータイムで突っぱねる。彼女もきっぱりと断られるとは思っていなかったようで、分かりにくく目を見開いていた。


「どうして?」

「どうしてってお前……トップアイドルなんだぞ? そんな奴が男と一緒にいるところを誰かに見られれば、すぐにスキャンダルだ。もうただの高校生じゃねぇんだぞ?」

「それは……そうかもしれないけど」

「俺のせいでお前の夢が潰れることになるかもしれないんだ。そんなの責任取れねぇし、絶対にごめんだね。だから学校外では極力関わりたくない」

「……」


 乙咲がスキャンダルを撮られることに関しては別に知ったこっちゃないが、その相手が俺なんてことになればもう平和に生きていく自信がない。

 自意識過剰だったとしても、何かあってからでは遅いのだ。


「今日だってリスク高い中で連れて来たんだ。これ以上の綱渡りはしたくねぇよ」

「……分かった。じゃあ、我慢する」

「そうしてくれ。お前のアイドル活動のため、俺の平穏な生活のためにな」


 だいぶ落ち込んでいるように見えるが、話をなあなあにしないためにも厳しい言葉をかける必要があった。

 きっと乙咲も空腹の時に俺の料理を食べたから、必要以上に気に入ってくれているだけ。時間を置けばきっと冷静になってくれることだろう。トップアイドルは美味い飯に困ることなんてないだろうし。


「お前、この辺りに住んでるのか?」

「ん……ここから三十分くらい歩いたところ」

「微妙な距離だな……んじゃタクシー呼んでやるから、それに乗って帰れよ。まあ運賃までは面倒見れねぇけど」

「え……?」

「え? じゃねぇだろ。お前の方が金持ってんだから、俺にたかられても困るって」

「そ、そうじゃなくて」

「まさか、泊まる気だったのか?」


 乙咲は何も言わず頷く。

 頭痛がしてきた。こいつの危機管理能力の甘さは何なんだ。


「さっき忠告したばっかじゃねぇか! アイドルが男の家に泊まるなんて、誰にもバレなかったとしても大問題だ! 常識的に考えろ!」

「うっ……反論できない」

「分かったらちゃんと家に帰ってくれ……疲れてるのは分かってるけどさ」

「ごめんなさい。ちゃんと言うこと聞く」


 何故俺はクラスメイトに説教なんぞしなければならないのか。

 無駄にカロリーを使ったことにうんざりしつつ、俺はスマホでタクシー会社に連絡を入れる。

 十分くらいで家の前まで来てくれることを確認し、俺はそれをそのまま乙咲へと伝えた。


「今日のことは忘れろ。俺も忘れる。これからも俺たちは、そこそこ面識のあるクラスメイトだ」

「……どうしても?」

「どうしても」

「分かった。努力する」


 努力じゃ困るんだが————まあ反省はしているようだし、これ以上強くは言うまい。

 窓の外を確認してみれば、ちょうどタクシーが到着するところだった。

 俺が送るのは玄関まで。ここより先は他の住民に目撃される可能性がある。


「……じゃあ」

「ああ。……お前に美味いって言いながら食べてもらって、自信はついたよ。だからその……それに関してはありがとうな」

「私も、志藤君が親身になってくれて嬉しかった。だから、さっきはそこそこ面識のあるクラスメイトって言ってたけど……友達って名乗るくらいは許してほしい」


 ――――駄目?


 どこか不安そうに首を傾げ、乙咲はそう問いかけてきた。

 この問いにノーと返せる男がいるのなら、ぜひとも目の前に連れてきてほしい。


「……分かった。クラスメイトだしな。それくらいなら不自然でもないし」

「よかった。嬉しい」

「俺なんかと友達になって何が楽しいんだか……まあいいや。そんじゃ、また学校でな」

「うん。また学校で」


 そう言い残し、乙咲は俺の部屋を後にした。

 彼女が乗り込んだからか、下に止まっていたタクシーも動き出す。


「はぁ……」


 仕事も含め、何とも疲れる一日だった。

 二人分の食器を洗いながら、今日の出来事に思いを馳せる。

 誰かに自分の飯を食べてもらうというのは、やっぱり悪くない。いい刺激になったとは思いつつ、反対にもうこんなことがないようにと願うばかりだ。

 しかしそんな俺の願いとは裏腹に、俺の平穏は次の日にも崩れることになる――――。



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