中庸の苦しみ

 私の人生に、大した悲劇はない。

 私にとっては涙が止まらなくて生きているのが辛くなるほどの出来事でも、文章にしてみれば何ほどのものでもない。

 そこに劇的なものは何一つなく、比べるまでもなく凡庸でありふれて、詰まらない。


 物語を選ぶとき、面白さ以外に、少なからず自分との共通点を見出だすものに手が伸びる。

 自分の存在価値。生きる意味。どこにも所属できない不安。光の見えない場所で足掻く力。孤立する異端者。掴めない愛。親子の絆は実在するのか。運命とは何なのか。救いはどこかにあるのか。救いがなかったら、どうやって生きればいいのか。

 物語には、その答えがきっとある。

 そう期待して、手を伸ばす。

 確かに、そこには答えがある。感銘を受けるものもあれば、突き放されるような悲しみを味わうこともある。でもそこに求める答えは、一人にひとつ、人の数だけあると、最初から分かっている。だから落胆はしない。

 でも、必ず救いの手が差しのべられる物語は、時に無性に悲しくなる。

 だって、私の人生に救いは突然現れたりはしないから。


 私の努力が足りないからだろうか。行動力が足りないからだろうか。人望が足りないからだろうか。善行が足りないからだろうか。

 そうかもしれない。

 でも、悲劇が足りない、と言われているようで、どうしようもなく悲しくなる。

 身勝手な理屈だと、分かっている。悲劇がないのは幸運だと、悲しむことではないと分かっている。

 でも、この物語は私に近いかもしれない、と手を取って、そこに私とは似ても似つかない悲劇や勇気があると、少しずつ、ついていけなくなる。空しくなる。

 ああ、やっぱりそうか、と。

 詰まらない苦しみには、誰も目を止めない。

 劇的でなければ、目を覆うほどに悲劇でなければ、奇跡がなければ、掃かれて塵箱に捨てられる部屋の隅の埃に等しいほどに、価値がないのだと。

 同じように、生きているのに。

 中庸の苦しみは、世のどこにも在りはしない。

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