5.青の兄妹
翌日、身体の疲れをすっかり振り払ったウルタミシュは、聖剣に慣れるために訓練場に向かった。
昇降機で崖下まで降下し、真正面にある木柵の扉を押す。踏み固められた土の上に砂が敷かれた訓練場には、時間が早いからかウルタミシュの他に人はいなかった。
聖剣を鞘から出し、一回、二回と素振りをする。ビュッと重い風音を鳴らす刃に不満を感じてウルタミシュは体勢を変えた。
正眼に構えても下段に構えても、どうにもしっくりこない。振るえないというほどではないが、重量があるために重心の安定感が低いのだ。
慣れない武器というのはある。今まで使っていたのは細く軽いシャムシールだった。それに対し、聖剣ヴァザメラクは長大な直剣である。同じ剣とはいえ、武器としての使い方は全く異なる。
影の長さが変わる程度の時間で暫く試行錯誤を繰り返し、置かれた巻藁を幾つか屑に変えていると、訓練場の入り口から弾むような声が掛けられた。ウルタミシュが振り向くと、知った顔がそこにあった。
「黄昏様! 任務で西方に向かわれていると聞きましたが、帰還されたのですね!」
「アトッサ」
ウルタミシュとほぼ同じ目線に、
アトッサはウルタミシュに駆け寄ると、握られた長剣を見てきゃあきゃあと一人で盛り上がっていた。
「それが聖なる剣ですね! あたしより大きい剣を扱うなんて……黄昏様は凄いです。それに代理人にも直接お褒めの言葉を頂けたとか。父様が言ってました。『ウルタミシュは大変若いのに、どんな年長の剣士よりも円熟した剣技をする』って! あたしも歴代で一番当代の黄昏様が凄いと思います。それから──」
イコラントはどんな場所だったのか、同盟守護者とは戦ったのか、好奇心旺盛な少女から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。ウルタミシュはアトッサの勢いに押されつつも、ひとつずつそれに答えていく。合間に挟まれる絶え間ない称賛に感謝を込めた相槌を打っていると、入り口からこれまた知った青年の声がした。アトッサの矢襖のような言の葉の羅列が止まる。
「こら、アトッサ。落ち着くんだ」
「セルセ兄さん! 少しぐらいいいでしょ!」
「少しじゃないだろ。一気に訊ねられたら、ウルタミシュも困ってしまうよ」
セルセと呼ばれた、笑いながら窘める青年はアトッサの実の兄だ。七つ下の妹と同じ染料で染めた髪はアトッサのそれより緑がかり、短く切り揃えられている。
ウルタミシュは、兄に注意されて拗ねるアトッサの肩に手を置いた。
「熱心なのはいいことだから、私は気にしない」
「ほら言ったでしょ? 兄さんは細かいんだから!」
一気に形勢逆転して勝ち誇るアトッサ、もっと妹に厳しくしてくれと項垂れるセルセ……と、セルセもまたウルタミシュの得物を見て驚嘆の声を上げた。
「もしかしてウルタミシュ、それが聖なる剣……!」
出会う人全員に同じ言葉を掛けられているな、と考えながらウルタミシュは刀身を傾け、ぎらりと陽光を反射してみせた。
「そう。預言の通りに選ばれたらしい。両手剣は使い慣れていないし、訓練場で色々試しているところ」
「やっぱり黄昏様はあたし達凡百の戦士とは違うんですね……!」
「流石に極端すぎるとは思うけど、僕もアトッサの意見と同じだよ……正確な預言を授かる代理人にも崇敬の念しか抱けないね。それにしても不思議な形だな。斬られたら治りが遅くなりそうだ」
炎のような刃は、なるほど切りつけられれば無事では済まなさそうだ。人を傷つける形を体現した聖剣……兵士としてはともかく、いち私人としてのウルタミシュは殺傷を好まない。あまりいい気はしなかった。
さて、儀礼用の剣には実用に耐え得るのか不安なものも存在するが、果たしてこれはどうだろう。少なくとも刃は落とされてはいない。
「そういえば、やっと定まってきたから、よかったら見て行って」
「もちろん!」
兄妹の声が綺麗に共鳴した。
万一手から抜けても惨劇を起こさないように鞘にしまい直して剣帯を鍔にしっかりと巻き、手を交差させるようにして頭上に構えり。
遠心力を使って振り回すと、攻防一体となった動きができる。ベルグラン式剣術の教本に書いてあったやり方だ。
まずはその場で最初のように素振りをやってみせる。数刻の修練でおおよそを掴んだウルタミシュは流れるような所作で一連の動きを披露した。合理的な剣さばきと全く振れない体軸は、長剣を扱う難度も重量も全く感じさせないものだった。
「なんだか打撃武器みたいですね。重量で叩き切るのかな」
脂で切れ味が鈍る、刃こぼれするなど起こり得る事態──聖剣にそんなことがあるのかどうかは知らないが──でも殺傷能力は失われない。狭い場所での行動に向かないのは確かだが。
次は実際に切ることにした。もう練習中に相当な数の巻藁を切ったため、散った藁やら木屑が訓練場いっぱいに散らばっている。後で来るであろう清掃員に対して内心申し訳なく思いつつ、最後の一つになった藁の棒へ歩み寄った。倉庫に置いてあった西方の金属鎧を上から重ねる。
剣帯を解き、鞘を取り払い、抜き身のヴァザメラクを徐に構え──
追いかけるような鋭い風切音とともに、斜め上から木偶に剣を振り下ろして一刀両断。
重ねられたプレートメイル、下にあるかたく巻かれた藁、芯の木材ごと断ち切り、金属と木材が砂を打ってけたたましい音を立てる。二人から歓声が上がった。やっと納得できる切断面(少し波打ってはいる)が現れる。
「金属の板金鎧をものともしない切れ味! そんな業物に選ばれ、軽々と使いこなす黄昏様の名は
一拍ののち、アトッサは小さな背を目いっぱい伸ばすように立ち上がり、雄弁家もかくやといった賛辞の雨あられをウルタミシュに贈った。
「ありがとう。でも、まだ十全に使いこなせているわけじゃない。私も修練の身であることを痛感する」
ウルタミシュは心からそう言った。止まっている木偶を切れたとして、動く対象が複数いたらどうするか。単独行動の多いウルタミシュには、失敗を補ってくれる仲間はいない。独りでありとあらゆることをこなせなければ、いかに優れた武人でも不死隊ではあっという間に落命する。不死隊とは、死なないことではなく死を恐れない精神のことを指すのだから。
先程の動きを頭の中で再生しながら改善点を並べていると、セルセが好奇心を示す。やけに畏まった仕草で、神妙にひと言。
「ウルタミシュ、いや黄昏様。このクセルクセスと一度手合わせ願います!」
兄の言葉にアトッサも勢い良く同調し、両手で握り拳を作ってこれまで以上に熱い視線を送ってくる。
「アトッサも戦いたいような感じがするから、順番か二人同時かで」
「僕は順ば──」
「同時でお願いします!」
アトッサの大声がセルセの言葉を遮る。それでもよいかとセルセをちらりと見ると、彼も兄の寛容さを見せてやれやれと引き下がった。
「じゃあ、同時かな。私は鞘にしまうから、準備ができたらいつでも掛かってきていいよ。作戦会議してもいい」
「はい!」
「分かった」
不死隊なら(アトッサは不死隊見習いだけど)訓練場に丸腰では来ない。ウルタミシュが使っていたようなシャムシールと小ぶりな丸盾を携えている。装備に不備がないか確認しつつ、二人の支度が進むのを見守った。兄妹は何度か言葉のやり取りを交わし、頷いた。
来る。
アトッサが小柄な身体を生かした奇襲を仕掛けてくる。正面にはセルセが盾を構えた奥から攻撃の隙を伺っている。攻撃はアトッサ、防御はセルセが担っているようだ。あれだけのやり取りでよくここまで連携が取れるものだと感心した。
ウルタミシュが無意識に掛けている身体強化は、未だヴァザメラクの質量に対応し切っていない。僅かとはいえ身のこなしには鈍さが現れており、そこを突くように素早く動いて攪乱を狙うのは得策といえるだろう。
だが、彼我の実力差はそれでは覆せないほど大きい。実のところ、ウルタミシュは仕掛けられた直後から二人とも封殺できた。それをしないのは、手を抜くというよりは、丁寧に倒すことにしたからだ。
動きを読んだウルタミシュがアトッサの膝裏を掬うように足を払う。急に支えを失ったアトッサが後ろに倒れていくのを視界の端に捉えつつ、刀身は既にセルセへと横向きに振られていた。慌てて盾を構えてはいるが、ウルタミシュは剣の軌道を逸らすことなく、逆にセルセの攻撃範囲から逸れた。ゴッ、と重い音がしてセルセが盾を離す。ほぼ同時に聖剣の鍔がセルセの手中のシャムシールを捉え、刃が肩口に叩きこまれる時に曲剣を捥ぎ取った。
「終わり、でいいのかな」
「はあ、はあ……黄昏様、格が違います……」
「ってて……僕も降参」
地に背を付けた二人が立ち上がるのを助けながら、助言の言葉を掛ける。少し傲慢すぎるかと思いつつ。
「アトッサは、隙を狙うのは上手いと思う……でも、防御に回るときに隙ができる。セルセはアトッサが倒されてる時、明らかに体軸がブレてる。仲間が死んでも自分が死ぬわけじゃないから、積極的に狙っていった方がいいかもしれない」
模擬戦を終えると、既にそれなりの時刻になっていることに気付いた。息を整え終えたセルセがアトッサに帰ろうと促す。
「食事時だし、ひとまず終わりにしようか。いいかい? アトッサ」
「そんなぁ……」
妹はセルセに文句を言うために口を開きかける。しかし、直後に大きく腹の虫が鳴り出してしまったためにそれ以上の言葉は出てこなかった。ウルタミシュも帰還してから何も口にしていなかったことを思い出し、簡単に訓練場の中を片付けた。
「ウルタミシュも、帰るなら一緒に食べないか? 僕も任務の話を聞きたいんだ」
断る理由もない。場所は任せ、任務を受けた日のことから話せる範囲で話しながら歩く。さっき一度聞いたはずなのに、セルセよりアトッサの方が感激に打ち震え、ウルタミシュへの敬意の言葉は止まることがなかった。
蜂蜜に浸した
「代理人が、イェセク軍の編成改革を試みてる。入隊の間口を広げて、銃による大規模な軍を編成するんだって。もしかしたら戦争が起きるのかもしれない」
「ここを戦地にしたくはないな」
夢中で食事にかぶりつくアトッサを見やりながら、ウルタミシュは呟いた。セルセも頷く。
食事はすっかり終え、今やウルタミシュとセルセは経済や政治の話を延々と繰り広げていた。飲み物の杯が空になるや否や店員の女性がすぐさま次を注いでくるため、店を出る機会を逃し続けている。アトッサは疲れたのか、それとも話が退屈だったのかすやすやと眠って夢の中だ。
「いずれは放牧と貿易以外の産業も展開していかないと。このままの状態では、いざという時に国交を絶てばそれこそ孤立──」
「──待って。あの一団は何」
小窓の外に見かけた不審な集団を発見したウルタミシュは、手でセルセの喋りを遮った。
発酵馬乳を満たした杯から口を離し、彼らの様子を注視する。
巡礼者の一団かと思ったが、何かを探るような動きから違うと判じる。何者だ。イコラントへの任務に向かう前は見かけなかった。
視線の先を確認したセルセが、ウルタミシュに耳打ちする。
「最近増えてるんだ。エンデキからやって来た新興宗教らしい……噂では、血腥い儀式を行っているとか」
「……? どうして取り締まらない。大結界は機能しているように見えたけれど」
ダシェナ派のお膝元であるこの街に、異端の怪しい宗教者をのさばらせておくなんて。しかし、ダシェナニには代理人とその側近数名によって大結界が張られている。城壁もないこの街が野盗や他勢力の侵略を受けずにいられるのは、結界のお陰である。帰還の時も特に異常があったようには見えなかったため、ウルタミシュは頸を傾げた。セルセは質問するより先に疑問に答えた。
「泳がせてるんだ。親衛隊の話では、実態が掴めるまでは大結界で弾かないようにしてるらしくてさ。普通の新興宗教にしては増え方がおかしい。どこかが一枚噛んでるんじゃないかって」
「ということは……」
話の全容が段々掴めてきた。親衛隊が彼らの素性を調べ、問題があるようならば結界で弾く。エンデギも教団の支配下にあるのだから、不穏分子がこれ以上増えないように叩く……その役目は。
「そう、不死隊の出番ってわけだ。あー、今回こそは念願の潜入任務になるといいなぁ。折角第四位『白昼』の称号を授かったのに、平原から出たことは人生で一度だってない」
セルセとアトッサの父は代理人の側近だ。子供達が命を任務で散らすことを望まず、自分の跡を継いでもらいたいとの考えらしい。不死隊に入ることも反対されていたものの、ごねてなんとか入れてもらったのだとか。
「僕もウルタミシュみたいに華々しい戦果を挙げたいよ。父様も『我が家の後継者がみだりに命を危機に晒すべきではない』なんて堅苦しいこと言ってないで、任務に向かわせてくれてもいいのにな」
「それも愛情の一つだよ。不死隊が危険なのは事実だ」
こういうところは兄妹だと思う。だがウルタミシュにしてみればセルセもアトッサも考えが甘い。実際「不死隊」といっても死亡率は親衛隊の比ではなく、単独潜入はかなりの危険が付き纏うのだ。隊で第二位の黎明は長期任務で数年は帰還しておらず、三位の夜深は重傷を負って療養中。ウルタミシュがアトッサと同じ年で入隊して以降大怪我を一度もしていないのは、実力のみならず運命が味方しているからだと噂する者もいた。
「だからといって、踏み固められた道をただ行くだけは嫌なんだ。エンデギなら、僕にも機会はあるかな」
「規模にもよると思うけど……可能性はある。私も行くかもしれない」
昨日任務から帰ってきたばかりだけど、とウルタミシュは心の中で付け加える。まあ、それでも誰かが不必要に死ぬくらいなら自分が向かった方がいい。
特に、帰りを待つ人がいる誰かなら。
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