死亡ルートしかない悪役令嬢に転生しましたがじいだけが癒しです

紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中

死亡エンドしかない悪役令嬢に転生しました

 どうも、私です。突然ですが死亡エンドしかない悪役令嬢に転生しました。


『なぜっ……』

『そんっ……』

『お姉っ……』


 目の前には色とりどりのイケメン達に囲まれるようにしてヒロインが居ます。場面はちょうどクライマックスのようで、『私』は血まみれのナイフを手に口の端をニタリと吊り上げました。


『永久……呪っ……!!』


 最後に高笑いをした私は、両手で握りしめたナイフを自らの首にあてがうと、グッと奥歯に力を込めて思い切り滑らせました。


 激烈な痛みが走り、私は自分の鮮血の海に倒れ込みます。


 駆け寄ってくる人たちに見下ろされながら意識は少しずつ遠のいていき、そしてふつりと切れたのでした。


 ◇


「っぶはぁ!」


 と、いう夢を見た。

 ではないけれど、勢いよく上体を起こした私は見慣れたベッドの上で冷や汗をかく。つぅと伝う雫がぽたりと握りしめた手の上に落ちた。


「……」


 まただ、またゲームのオープニング地点に戻されている。自分の体を触って確かめると、手のひらは小さく頬は丸い。間違いない、話がスタートする時の幼女の姿に戻っている。それを確認した私は布団に顔をうずめてワッと泣きだした。


「もういやぁぁあ!! これで何度目!?」


 お分かり頂けただろうか。グスグスと泣きながらめげる『私』は、この時点ですでに片手では数えきれないほどに死んでいる。

 どうやらここはゲームの世界で、前の世界で死んだ私は何の因果かやったこともないその話の悪役に転生してしまったらしい。しかも最悪な事にこの令嬢、破滅ルートしか用意されていないようで、いつもいつも事故だったり自滅だったりで死亡しているのだ。当然の事ながら、毎度死ぬほど痛いし怖いしツラい。こればかりは何度経験しても慣れるものじゃない。


 ぐしっと目元を拭った私はベッドから飛び出し、部屋の隅に控えていた人物に泣きついてグリグリと頭を押し付けた。


「じいや~~! 私を癒してじいやぁぁぁ!!」


 反応がない中、グスッと泣きながら見上げる。ロマンスグレーの髪を撫でつけたイケオジは私付きの執事だ。直立したまま眠っているかのように目を閉ざしている。見ての通りゲーム外ではぴくりとも動かないモブだけど、周回する内にいつの間にかこうして不満をぶちまけるのが恒例になっていた。だって――


「ひっ!」


 その時、どこからかシャラララという音が聞こえてきて私は肩をすくめる。おそるおそる見上げると、ゲームのオープニング画面と思しきモニターが宙に浮かんでいた。『奏でる世界は君の為』というタイトルの下に、はじめからとつづきからの項目が並んでいる。

 見ているうちに、誰も操作していないのに、つづきからが選択され決定音が鳴り響いた。クリアデータを読み込んで無情にも周回が始まってしまう。


(あぁ……)


 私の意思とは関係なしに身体が動き出し、幼い『私』は頭に付けていたリボンをむしり取った。


『じょうだ……!』


 それを床に叩きつけて何かを叫ぶ。ここが本当に不思議なのだけど、毎度セリフがスキップされてしまうので自分が何を言ったのかすら分からない。なだめるように寄ってきたじいやが、床に落ちたリボンを拾い上げて丁寧に結びなおしてくれた。


『お嬢さ……よく似……』


 何かを言った彼は、ぶすくれた私の頭をなでて柔らかく微笑んでくれた。その表情に私の心臓はキュゥンと締め付けられる。これだ、この笑顔だけが、作中『私』に与えられる唯一の優しさなのだ。


『わかっ……』


 思わず泣きそうになる私だけど、『私』は不愉快そうにじいやの手を振り払って部屋を出ていく。モブキャラである彼の出番はここまでだ。あぁ、さよなら私の癒し。また次の周回で会いましょう。


 ◇


 話のチャプターは進み、成長した私は貴族の子息や令嬢が通う学園の中を歩いていた。廊下を歩きながら高い塔を見上げてニヤリと笑う。うわぁ、今回は高所からの落下エンドですかそうですか。やめようよー、自分が落ちるフラグだよこれー。


 もうさ……ひどくない? 『私』の死亡コレクションと化してるんだけどこのゲーム。っていうかどんだけ破滅パターンあるの。


 うんざりしながら中庭を見下ろすと、ヒロインと攻略対象がイチャついていた。花冠を作ったヒーローが輝くような笑顔でヒロインの頭にそのティアラを乗せている。あー、背景に花が見える。スチルにでもなりそうな良いシーンですねハハハ……私に用意されたのはあくどい顔のスチルばかりですが。


(ダメだ、心が折れそう……)


 見ての通り、物語に関係ないタイミングなら割と自由に動けるのだけど、抗おうという気はとっくにへしゃげていた。

 私だって最初の頃はいろいろ足掻いてみたのよ。よくある悪役令嬢物みたいに、謙虚に振る舞います!だとか、引きこもって趣味に没頭しますわ!だとか、逃亡して好き勝手に生きてやる!だとか。

 でも全部ダメだった。どんなに物語に抗おうとしても結局は本筋に引き戻されてしまう。そりゃそうだ、肝心なところではいつも勝手に行動が決められてしまうんだから。


(それが悪役令嬢。ざまぁされるしか道はないの?)


 ラストシーンの最中、高い塔の上から落下しながら私はそんなことを考えていた。ぐしゃりと自分の頭蓋骨が砕ける音が聞こえて、気が付くとまた自分の部屋で目覚めている。


「あのねじいや、今度は首の骨が折れたの。次は、次こそは何とかならないかな。頑張ってみる……」


 決して答えることのない相手に、乾いた笑いを浮かべた私はリボンをむしり取る。


 そんな日々が続く。

 シャンデリアが落ちてきて圧死。

 ヒロインに毒を盛るつもりがバレて逆に服毒自殺。

 攻略対象の一人に剣で切り捨てられるというパターンもあった。


「アハハ……またダメだったよ。お腹から血がどんどん流れてね、寒かった……」


 首吊り。

 投獄からの餓死。

 街から追放されて見知らぬ平原で野犬に喰い殺される。


「じいや……助けて」


 撲殺。絞殺。刺殺。呪殺。圧殺。裂殺。毒殺。溺殺。


「……助けて」


 助けなんて来ない。救いの手を求めて伸ばしても誰も握り返してくれない。私に与えられるのは当然の報いとでも言いたげな冷たい視線ばかり。


「だれかぁ……」


 そんな周回を繰り返すうち、私の心はすっかり擦り減ってしまった。なんとか正気を、人間らしい感情を持ち続けたいと思うのにそれすら難しい。

 気づけば、リスタート時にじいやに泣きつくことも無くなっていた。返事がない以上、壁に話しかけるのと何も変わらないと気づいてしまったからだ。


 心はどこまでも冷え切っていて虚しかった。周回するごとに体は綺麗に治るけど、鏡の中から見返してくる自分の眼差しはどんどん虚ろになっていった。


 何度目になるかわからないループの中、今回はギロチン台に固定されながら、民衆に石を投げつけられる。ふと視線を上げると、広場の端からこちらを見ていたヒロインが、ヒーローに手を引かれて去って行くのが見えた。

 幸せそうな背中、鞭打ちの跡なんてない綺麗な背中。私は腫れてオバケのようになった顔でそれを見送る。


(どうして私ばっかりこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう)


 ふいに、どうしようもない怨みが鎌首をもたげた。

 きっとあんたは両親からの愛情をめいっぱい受けて、大好きなヒーローに愛されて、大切な人たちに囲まれて一生を送るんでしょう? なら、どうしてあんたを操ってるプレイヤーは、また――


 ザシュッ、ゴトンと、自分の首が落ちる音がする。……そしてまた目が覚める。

 起き上がった私は、ここにきてようやくな疑問に目を瞬いた。


 そうだ、このプレイヤーは、どうして飽きもせず周回を繰り返しているんだろう? すでにプレイ数は30回を越している。見た限り攻略対象はメイン5人+隠しキャラが1人しかいない。それぞれのストーリーをなぞるだけなら、せいぜい10回もやれば十分なはずなのに……。


 何が目的なのかとオープニング画面を見上げた私は、そこに浮かんだ文字に目を見開いた。


 ――スチル回収率96%


 オレンジ色の夕陽が差し込む部屋の中で、その文字だけがやけに煌々と光っている。ベッドから降りた私は、その画面をじっと見つめた。湧き上がる感情を処理しきれなくて、口の端をひきつりながら上げ自嘲する。


「あ、あはは、なんだ、そうだったんだ」


 胸を掻きむしる様に掴む。そうでもしなければ、今にも叫び出してしまいそうで


「そっか、そう、だよね、私だって、買ったゲームはやり込む、し」


 はくはくと、吸い込んだ息を上手く吐き出せない。

 滑稽でしかない。つまるところ私はただの一枚絵コンプリートの為だけに、延々殺されていたと言うわけだ。

 今度こそ心がぽっきりと折れる音がした。蹲った私は声を押し殺して泣く。


「っふ……うぅ、うぅぅ」


 悔しい、哀しい、本当に自分は何もできないんだろうか……?



 どれだけそうしていただろう。嗚咽を漏らしながらグスグスと涙を拭っていた私は、異変を感じながら辺りを見回した。


(……始まらない?)


 これまで、ほとんど間髪入れずにスタートしていたオープニングが始まらない。どうしてしまったんだろう。ついに飽きてくれたとか? あと一歩のところで? まさか。


 警戒しているとさらにとんでもない事が起こった。宙に浮かんでいたオープニング画面がスーッとこちらに降りてきたのだ。びっくりした私は固まってしまう。まさかとは思いつつも、その画面にそっと触れてみると――反応があった。


「う、うそ……」


 でも期待した分、落胆もすごかった。試しに『はじめから』を選んでみたのだけど「権限がありません」と一蹴されてしまったのだ。ガッカリしながら『つづきから』を選んでみるも、結果は同じだった。ため息をついて手を下ろそうとした私はそこで動きを止めた。


「……」


 セーブデータの右下に『データ削除』の項目がある。その項目をつついて、一つしかないセーブデータを選ぶと「本当に削除しますか?」のウィンドウが出てきた。


 消せる。そう理解した瞬間、私の心臓は痛いくらいにバクバクと暴れ始めた。


(消して、しまえば)


 もし、もしも、ここでコンプ直前のデータが消えたら、ものすごいやる気がそがれるのでは? 二度とこんなゲームやらないでくれるかもしれない。

 バカな考えだと頭の冷静な部分が諭す。プレイヤーがそうしてくれる根拠はどこにもないし、下手したらやっきになってまたゼロからやりなおすかもしれない。そうなったら苦しみが余計に長引くだけだ。


「それでも……」


 これから行うことは幼稚な復讐でしかない。だけど私は決めてしまった。簡単な話だ。理不尽な死を与え続けるプレイヤーに対して、私は『セーブデータ消失バグ』という形で一矢報いてやりたかったのだ。


 「本当に削除しますか?」の表示にはじれたようにエフェクトが踊っている。震える手がゆっくりと「はい」に、近づいていく。


 これまでの記録を消したら、私の意識はどうなるのだろう?

 どうでもいいか。


(消えてしまえ……)






 この部屋には私以外、誰もいないはずだった。

 だからこそ、後ろから伸びてきた白手袋が私の手をそっと包み込んで止めた時、何が起こったのかとっさには理解できなかった。


「お嬢様、なりません」


 虚ろな眼差しで振り仰いだ私は、哀しそうな顔で首を横に振る老人の姿を認める。記憶の底からその存在を思い出し、無意識の内に名を呟いた。


「じい……?」


 物語の最初に、私の頭を一度だけ撫でる役割のモブキャラは頷く。彼は落ち着いた声ではっきりと繰り返した。


「どうかそれだけは、お考え直し下さい」


 こちらの問いかけに反応した。その事に気づいて真っ先に込み上げたのは、途方もない怒りだった。キッとにらみ付けた私は向き直ってその胸元を力いっぱい叩く。


「じいっ、じい! このバカ!!」

「っ、」

「なんで、どうしてッ! この期に及んで止めるのっ……動けるならどうして助けてくれなかったの! なんで今まで反応しなかったのよぉ!!」

「私にも何が何だか……どうしてこの時だけ動けるのか」


 じい自身も混乱したように眉根を寄せている。皮肉気に笑った私はその体を突き飛ばした。


「あぁそう、緊急時のシステムってわけ? ワガママな悪役が暴走したらなだめて止める役割なのね。本編と一緒!」


 聞き分けのない子供のように私は地団駄を踏みながら叫ぶ。これまでの鬱憤をすべて目の前のじいにぶつけた。


「もう嫌なの! 終わらせてよ! 終わらせ!! どうせあんたなんかに、私の苦しみなんて分かんないでしょぉっ!!」


 うわぁぁーんと、泣きじゃくる。ハッピーエンドなんていらないから、ただ静かに眠らせて。それだけでいいのに。なんでそんな些細な事さえ私には許されないんだろうか。


 どれだけ泣いていただろう、徐々に勢いを失くした私はしゃくり上げながら鼻をすする。

 ふいにふわりと、頭に重みを感じた。毎周触れられていたせいなのか、その感覚は妙になじんだ。


「ずっと、聞いておりました」


 ハッとして思わず顔を上げる。そこにあるじいの眼差しは、私があんなにも心のよりどころにしていた時のままだった。


「貴女様がここにお戻りになられる度、吐き出す苦しみに、慰めの言葉すら差し上げられない自分に歯がゆい思いをしてばかりでした。もしかしたら今回、こうして動けたのは神様が一度だけチャンスを与えて下さったのかもしれません」


 じいは私の両肩にしっかりと手を置く。差し込む夕陽がその顔に刻まれた皺をくっきりと浮かび上がらせていた。


「お嬢様、諦めてはなりません。ここまで貴女が受けてきた痛みだとて、今の貴女を構成する内の一つ。消してしまうのは本当の意味での死となります」


 本当に削除しますか?と、表示されたままの画面をチラと見た彼はこう続けた。


「その数字が100%になった時に何が起こるのか、それは私にも分かりません。ですが、傷ついて来た貴女にはそれを確かめる権利があるのです」

「でも……でも怖い。最後まで死亡エンドしかなかったら?」


 自分でも気づいていなかった本当の気持ちに気づいて、私は頬に手を当てた。


「あ……私、怖い。最後まで自分が報われる道はないんじゃないかって……おそれてる」


 私という存在は、どこまで行ってもプレイヤーのヘイトをぶつけるだけのサンドバッグでしかないんじゃないかって。それを確定させてしまう事が怖かった。

 諦めたつもりでも、心のどこかでは期待していたのだ。その希望を打ち砕かれるのが怖くて、その前にデータを消そうとした。


「やだ……やだよぉ……私悪い子だって決めつけられてるの、悪役令嬢なの、きっと最後までみんなに嫌われて死ぬしかなくて……」

「たとえそうだとしても、最期の時はじいがお傍におります」


 片膝をついてこちらに視線を合わせたじいは、恭しく私の手を取り両手で握りしめる。繋がった手から流れてくる暖かさは、死んだとばかり思っていた私の心をぐずぐずに溶かしていった。


「たとえ物語の端にしかいない脇役だとて、私は貴女様に癇癪をぶつけられるためだけに存在するのですから」

「じい……」

「他の誰がなんと言おうとも、じいはお嬢様の事が世界で一番大好きですよ」


 また涙が込み上げてきたけど、今度のは怒りからでも哀しみからでもなかった。不明瞭に声を上げるこちらの涙を優しく拭いながらじいは続ける。


「大丈夫、本当の貴女は誰よりも良い子。優しさと忍耐と、そして本当の悲しみを知っている……そんな子を神様は決して悪いようにはしないと思います」


 撫でられる度、硬化してチクチクとささくれ立っていた心のトゲが優しくそぎ落とされていく。こんなに近くに居てくれた。独りじゃなかった。それだけで私はもう充分だった。『おわり』への恐怖が消えていく。

 再びゲームが起動する気配がする。自分でもぐしっと涙を拭った私は、目の前の彼をまっすぐに見つめた。


「じい、私やってみる。最後まで見届ける」

「いってらっしゃいませ。私はいつまでもここでお待ちしております」


 大好きな笑顔を記憶に焼き付けて、私はリボンをグッと掴んだ。むしり取ったそれを床に叩きつける所からストーリーが始まる――


 ◇


 ラストになるかもしれない回が始まった。私は始まって早々、それまでとは何かが違うことに気づいていた。


『お姉さま……これはその、ごめんなさいっ。今度の学祭で着るドレスが無くて、どうしても合わせて見たかっただけなんです!』


 なんと、セリフがスキップされない。私は何十周目かにして、ようやくこの物語の全貌が見えてきた。


『腹違いの妹の分際で生意気ですわ! 王子の寵愛を受けるのにふさわしいのは由緒正しいこの私、下賤な貴女にはこのくらいの髪の長さがお似合いよ!』


 高飛車に言い放った『私』が、ヒロインの髪を掴んでハサミでバツリと切ってしまう。わぁ、この場面こんなこと言ってたんだ、そりゃ断罪されるわ。

 そんな感じで割とガチないじめとか酷い言葉が続く。まさにテンプレ的な悪役令嬢と言った感じだ。


 でも今回は何かが違うんだ。言葉では上手く言い表せないけど、全体的な雰囲気というか……なにより『私』の意思が少し効く。大筋から離れられないのは今まで通りだけど、めちゃくちゃ気合いを入れれば少しだけ動けるみたいだ。セリフが跳ばされないのでタイミングが合わせやすいのかもしれない。


 そして決定的に話の流れが変わったのは、私の機転によるものだった。そのシーンは学校の乗馬の授業で、意地悪をした『私』が森の中にヒロインを置き去りにしてしまうという展開のはずだった。


『それじゃあね! せいぜい門限までに戻ってきなさいよ』


 オホホホと高笑いを上げた『私』は馬の手綱を引いて去ろうとする。ここだ!と、決意した私はえいやっと気合いを入れて体を横に倒してみた。


『きゃあ!』

『お姉さま!?』


 作戦は成功して『私』はバランスを崩して落馬してしまう。驚いた馬はすぐに走り去っていってしまった。駆け寄ってきたヒロインがひねった足首を優しく介抱してくれる。それを見ながら意地っ張りな『私』はトゲトゲしい態度をとった。


『な、なによ。このくらいで恩を売りつけようなんて……』

『何言ってるんですか! 家族なんだから心配するのは当たり前でしょう!』


 怒ったように言われ、私は頬が熱くなるのを感じた。ややあってそっぽを向く。


『……バカじゃないの、意地悪した相手を助けるなんて、どうかしてますわ』


 いいぞいいぞ、このままこの悪役令嬢を懐柔してくれヒロインーー!! もしかしたらっ、もしかしたら!?


『騒がしいと思ったら……こんな森の中で何をしているんだ?』


 そして、ここで出会うはずだった攻略対象が現れて、二人で救出される。

 いつもどおりヒロインを下げて男に媚びを売る『私』だったけど、何かを変えられた事に私は心の中で歓声を上げていた。


 手ごたえを感じた私は、それから同じような手口でやれるだけやってみた。ここぞというところで自分にヘマをさせて恥をかかせるのだ。するとどうだ、ドジっ子とツンデレ属性を付与したことにより、それまでは無かったはずの悪役令嬢のシーンがどんどん追加されていく。

 不本意ながらヒロインとお茶会をするハメになったり、憎まれ口を叩きながらピアノのレッスンをしてあげたり、向こうから提案されて手作りのお揃いドレスを着て夜会に出たり……。


『まったくもう、貴女って子は本当に変わってますわね』


 その夜会の最中、苦笑しながらヒロインに言う『私』は、もう完全にデレていた。ベランダに出た私たちは、月明りの下で話し合う。正真正銘、これは今までに無かったシーンだ。


『ここまで真剣に私と向き合ってくれる人なんて、小さい頃にじいやぐらいしか居なかったわ……』


 少しシリアスな雰囲気で『私』は自分の腕を掴む。『小さい頃に』というフレーズに、私は内心動揺を隠せなかった。嫌な予感は的中した。次の自分のセリフに、それまで浮き足立っていた気持ちがサーっと冷めていくのが分かった。


『じいが居なくなってから、私は本当に独りだった。お父様もお母様も、私を道具としか見ていなかったから……』


(……そっか、そうだよね)


 薄々感じては居たのだ。オープニングから10年ほど経過した本編中にじいが出てきたことは一度もない。つまりは、そういう事なのだろう。

 ボロボロと涙を流しながら『私』は顔を覆う。じいが亡くなっていた事に対する胸の痛みと、『私』自身の後悔がない交ぜになって零れ落ちる。


『私、本当は貴女が羨ましかった。貴女は私には無いものばかり持っている。素直な心とか、人を思いやれる優しい気持ちだとか』


 でもじい、私頑張るよ。あなたがこの世にもう居ないとしても、この悪役令嬢がヒロインとキチンと話し合って、自分がしてきた罪と向き合えるように背中を押してみる。


『わかってるの! 妬んで僻んで嫌がらせばかりしているような私なんて、誰からも愛されるわけ無いって……っ! だけど自分の嫌なとこ、どうしても抑えられなくて、だから今まで貴女にひどいこと、いっぱい……』


 大丈夫、あなたは少し意地っ張りだっただけ。ほら、勇気を出して。


『い、今まで、本当にごめんなさい。貴女が笑いかけてくれると私すごく嬉しいの。だから、お願い……これからもずっと……!』


 飛びつかれると同時に春のような暖かさに包まれる。めいっぱい抱きしめられた『私』の耳元で、ヒロインの声が響いた。


『嬉しい……やっと本音が聞けた』


 華奢な体を抱き返しながら、私は信じられない気持ちでいっぱいだった。本当に……大丈夫だった。神様は――ううん、このシナリオを書いたライターはちゃんと悪役令嬢にも救いの道を残してくれたんだ。

 胸がいっぱいになってしまって、涙と嗚咽しか出てこない。お互いにしばらく泣き合っていた私たちはようやく体を離す。『私』は、改めて目の前の彼女に笑顔で手を差し伸べた。


『私と、友達になってくれませんか?』


 その瞬間、世界の何かが弾けた。言葉では上手く説明できないのだけど、解き放たれた感覚が全身を包んだのだ。

 それまで体を共有していただけの悪役令嬢と、私の意識が混ざり合って同化していく……。あぁ、そうか、『私』を後押ししてくれていたのは私自身だったのね。


 その時、目の前にいたヒロインが急にニマニマとしだした。それまで見たことのない表情に驚いていると、彼女は晴れやかな笑顔で勢いよく万歳をした。


「や……ったぁぁぁー!!」


 そしてそのまま、飛びつく勢いでこちらに抱き着いてくる。ぎゅうぎゅうと抱きしめながら彼女は泣いていた。


「ついに真エンド! 長かったー! 和解ルート最っっっ高!!」

「……は?」


 突然飛び出たメタ的な単語に、思わず素の声が漏れる。真エンド? 和解ルート? それにも気付かず、彼女は饒舌に語りだした。


「ああもうほんと悪役令嬢尊い! さすがあたしの最推し! マジギリだわー、何なのよ制限時間内にスチル回収95%以上って、それ以外に生存ルートないとかどんだけ? よかったー、ホント間に合ってよかったー!」

「……あなたがこの世界のプレイヤーだったの?」

「え? 何か言った? いやぁホント焦っ……ん?」


 腰に抱き着いてこちらを見上げてた彼女は、急に冷や汗をかきながら尋ねてきた。


「え、なに、プレイヤーって、どうしてそれを」

「たぶんだけど、私、転生者ってやつで……その、ずっとこの悪役令嬢の中で意識があって」


 至近距離にあった顔が、面白いぐらいにサーっと青ざめていく。ぎこちない動きで離れた彼女は、すさまじい勢いで土下座した。


「すっ……みませんでしたァ!」

「えぇ……」

「えっ、嘘!? NPCだとばかり!! えっえっ、ちょっとまって、じゃあ何? ずっと死亡エンド体感してたってこと!? 記憶引き継いで!?」

「あー……うん」

「ひぃぃ!!」


 少しためらってから頷くと、彼女は平身低頭謝り続けてくれた。言葉の端々からようやく真相がわかる。


 予想通り、ここは『奏でる世界は君の為』という乙女ゲー。の、リメイク版の世界だった。

 前世で原作版をめちゃくちゃやりこんでいた彼女は、心の底から待ち焦がれていたリメイク版の発売を待たずして不幸にも交通事故で死んでしまった。ああ無念……せめてリメイク版をプレイしてから死にたかった。と、思ったのもつかの間、気が付いたらそのヒロインに転生しているではないか。

 隠しキャラと悪役令嬢のオープニングが追加されているところを見ると、この世界は生前あんなにも待ち焦がれていたリメイク版のようだ。ならば、最初っから真エンドを目指してやろうじゃないかと、RTAばりに最短ルートでかっ飛ばしていたと。そういうわけらしい。

 これでセリフが全とばしだった理由がわかった。暗記するほどやりこんでいた彼女にとってはテキストなんて読む必要がなかったのだ。最後となるこの周は、すでに真エンドへの条件を満たしていた為、感慨プレイだったらしい。


 なんだか力が抜けてしまって、私はへなへなとその場に座り込む。ヒロインちゃんは縮こまる勢いで謝罪を重ねてきた。


「あの、本当にごめんなさい。まさか転生者だと思わなくて……」


 少しだけ、あの時のどうしようもない黒い感情がよみがえる。だけど一つ首を振った私は柔らかく微笑んでみせた。


「いいよ、私のためにここまで頑張ってくれたんでしょう?」


 そうだ、彼女が全力で走り切ったからこそ、私は今ここに居ることができる。今さら怨みツラミをぶつけたところで何になるんだろう。


「生存ルートを選んでくれてありがとう」


 えへへと笑う様はやっぱりヒロインらしく可憐で、立ち上がらせる為こちらに手を伸ばしてくれる。


「これからは自由だよ、カナキミのストーリーは終わったけど、ここからはあたしたちが好きに紡いでいくんだから」


 私たちが居たテラスに、攻略対象たちを含めた登場人物が何事かとわらわらと出てくる。ゲームの呪縛シナリオから解放された彼らは、そこかしこで自由に喋りだしていた。


 ……だけど、当然のことながら、その中に私が探し求める姿はない。


「どうしたの? お姉ちゃん」


 うかない顔つきをしているであろう私を覗き込むように、彼女が視線を合わせてくる。ひたと見据えられた瞳は彼とよく似た色だった。愛おしさを含んだ眼差し。私という存在を何よりも大切に想ってくれる……。

 思い出したらもうダメだった、自然と涙があふれてくる。


「えっえっ、なに? どっか痛いの? いやだ、もう死ななくてもいいはずでしょ!?」


 涙の防波堤が決壊する私のそばにしゃがんで、彼女はこちらの話を辛抱強く聞いてくれる。


「じいが……じいが居ない……」

「じいって、あのオープニングにちょっとだけ出てた?」


 なんで、居ないの。私やっぱりワガママだ。世界は大団円なハッピーエンドを迎えたはずなのに、私も幸せだって満足しなきゃいけないのに。


(あなたが居ない世界なら、もう一度ループしても構わないって思ってる)



 泣き続ける私の肩を抱いて、彼女はよしよしとあやしてくれる。


「そのじいは、お姉ちゃんにとってとても大切な人になったんだね。あたしも王子たちと大切な絆を結んだけど、それ以上みたい。ちょっと妬けちゃうな」


 いきなり立ち上がった彼女は、こちらの両手を掴んでぐいっと立たせる。ふいを突かれた私は目を瞬いた。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん」


 最高の笑顔でまっすぐに見つめられる。月明りが自分の涙に反射して世界はキラキラと輝きだしていた。


「じいは私のお母さんと違って明確な死亡描写があったわけじゃない、話からフェードアウトしただけ」

「え……」


 真剣な顔をした彼女は、挑みかかるようにニィッと笑う。正直、他のどんな攻略対象よりもよっぽど男前だと感じたのは気のせいだろうか。


「可能性はゼロじゃない」

「だって、そんな都合のいい話……」


 あるわけない。と、言いかけた私の口をパッとふさいで彼女は続ける。


「ダメダメ、信じてみなきゃ。これまでずーっと辛い思いをしてきた悪役令嬢なんだから、そのぐらいのご褒美あったっていいじゃない? っていうか私がシナリオライターだったら入れるし。ご都合主義だろうがなんだろうが、ラストは爽やかな方がいい!」


 急に空を見上げたヒロインちゃんは、すぅっと息を吸い込むとどこかに向かって叫びだした。


「ちょっとこらぁー神様どもっ! 世界のプレイヤーたるこのあたしが望んでるの!! クリア特典でも、追加DLCでも何でもいいから後日談持ってこぉぉい! あたしの! 最推しが! まだ泣いてんのよっ、この世界には誰も悲しまないハッピーエンドしか要らないんだからねーッ!」


 詫び石よこせー!だの、レビュー荒らすぞー!だの喚く姿にクスッと笑いが込み上げてしまう。そんなむちゃくちゃな。


 だけどその時、確かに感じたのだ。胸にこみ上げてくる期待が心臓を穿つ。私は信じられない思いで立ち尽くすことしかできない。まさか、この予感は

 小さくガッツポーズを決めた彼女がこちらを振り返る。


「行って、お姉ちゃん!」


 もう返事を返す余裕すらなかった。踵を返した私はよろめく足で歩き出す。少しずつ走る速度を増し、つんのめる勢いで夜会会場をすり抜けた。


 何度も転げた。折り返しの階段を駆け上がるのももどかしかった。涙で視界が歪みながらも目指すのはただ一つの部屋だ。


 ――いってらっしゃいませ。私はいつまでもここでお待ちしております


 煩わしいヒールの靴なんて脱ぎ捨てていた。何度も、何度だって繰り返し開けた扉のノブを壊れる勢いで掴んで開ける。


 見えてきたオープニングの部屋の中、歪む視界の先に居たのは――






「よく頑張りましたね、お嬢様」


 言葉にならない声を上げた私は、涙でぐちゃぐちゃになりながらその胸の中に飛び込んだのだった。



 おわり

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