第26話 狼男と吸血姫
情報屋からの連絡で、沙耶子は面倒なことになったな、とは思った。
日本の権力サイド、内閣でもなく議会でもなく、一応は官公庁に所属している超常の存在が動き出したのだ。
単にその時の政府に従うのでもなく、かといってその時の官公庁の支配者に従うのでもない。
表の力では解決できず、だが表の力で解決したように見せる。それが裏の力の役目である。
「話が違わない?」
「まあ、検察の頭か固いもので」
「あの代議士は政府と言うか、与党にとっても邪魔な存在だったのではないの? 長く権力を握り続けてしまった結果、国益に反することもしていたのでしょう?」
「それはそれとして事件は解決するべきだ、と考えている者が多いようで」
利害関係においては容疑者が多すぎて、そして日本の権力サイドにとっては、出来れば速やかに死亡してほしかった人物。
それなのに社会秩序を保つために、事件自体はしっかりと解決する必要がある。
沙耶子にも分からないではない。それは警察が不祥事を隠すことに似ている。
あれは身内の犯罪に手心を加えるというのが分かりやすい見方であるが、もっと大局的に見ると警察の信用度が落ちれば、警察自体の費用対効果が下がってしまうのだ。
権力者が清廉潔白である必要は全くない。ただ、出来れば清廉潔白に見えたほうが、社会としては望ましい。
トップに立っている人間が腐敗していると、組織全体が腐敗する。それを防ぐためにクリーンな仮面を被る必要があるのだ。
この場合は、現職代議士を誘拐して殺してしまうような存在は、必ず捕まえなければ行けない。でなければ警察の捜査能力にも不審感を抱かれるということだ。
いや、そもそも不祥事を起こすなよという話ではあるのだが。
権力サイドが求めているのは、生贄の羊。
本当の真犯人などは必要ではない。ただ、分かりやすい悪役が必要なのだ。
出来れば死んだ代議士の汚職や犯罪が見つかって、悪党の内ゲバに見せかけるのが一番好ましい。
事件の真相が明らかにされる必要はない。ただ民衆が納得すればいいのだ。
だが沙耶子には条件が限定されている。
「うちは人殺しに満たない犯罪者は殺さない路線でやっているの」
「殺し屋殺しですかい」
その質問には沙耶子は答えなかった。
殺し屋殺しは殺し屋専門、あるいは復讐専門の殺し屋であり、裏社会の中でもさらに都市伝説となっている。
大戦中は上海でその活動が行われていたと聞くが、日本でも解決不能の事件に携わっているとも聞く。
情報屋にとってでさえ、通常のルートでは手に入らない情報だ。
だが彼には先祖代々受け継がれてきた、これまた裏社会での都市伝説となる力がある。
未来視、とわずかにその力を知る者たちの中では思われている。
さらにもう少しだけ踏み込んだ人間は知っている。
情報屋は未来を知るわけではない。
だが因果律への干渉が可能であり、それによって変化した未来を告げるのだ。
それは未来予知とどう違うのかと言われれば、情報屋にとってもその未来は、確定した後でなければ分からない。
つまり自分の都合のいい未来が手に入るとは限らないのである。
そして一度変えてしまった未来を再度変化させることは出来ない。
あとは世界の流れを変えるようなことも無理だ。つまり変化の幅には制限がある。
グールも、狗神も、殺し屋殺しも殺せない。
殺されない程度にするのが精一杯なのだ。
だからこの未来も、一度決まってしまえば変えることは出来なかった。
死の気配をまとう女。それが自分を訪れている時に、この男が来ることを。
「ずいぶんと美人な客だな」
犬上と沙耶子の接触であった。
犬上。人狼、あるいは狼男。
伝説上の人狼と違うところは、満月の夜でなくても、昼であっても変身できるということだ。
別に銀のナイフに弱くはない。グールのような食事制限もない。
弱点と言うべきかは分からないが、平均的な寿命がやや人間よりも短い。
個人の圧倒的な暴力が絶大でないこの現代では、それはマイナス要素が強いのだろうか。
しかしまさにその身体能力が必要とされるような環境では、確かに重宝されるだろう。
それにこの東京においても、無用な能力ではない。
「話中なら出なおそうか?」
「いいえ、こちらはある程度終わったので」
沙耶子はそう言って、犬上の攻撃範囲に入らないようにする。
「また、状況が変わったら」
「お待ちしてやす」
立ち去った沙耶子の後姿を見送ってから、犬上は情報屋に向き直る。
「例の件だが、色々とややこしいことになってたみたいだな」
殺害された代議士のことを調べると、色々と明らかになっていった。
代議士自体はただの俗物であるが、その利権のために裏の調整弁に触れようとした。いや、手に入れようとした。
そう、犬上自身にさえも。
それが判明すると、この件は多くの者が納得いかなくても、迷宮入りにしてしまった方がいいのではと思えてくる。
「生贄の羊が必要ですかい」
「冤罪を被せるのは趣味じゃないんだ」
「本来なら死刑になっていそうなやからに、その報いを受けさせるついでにすればいいでしょう」
「詳しく聞こうか」
そう言って椅子に座った犬上は、めんどくさそうな顔をしていたが、それはもう慣れたことでもあった。
沙耶子には、澄花のために殺してやらないといけない人間が存在する。
そして今、警察や社会のために、人殺しの罪を背負ってもらわないといけない者も存在する。
愛善光明会と善行社。正確には潰さなければいけないわけではなく、澄花は人殺しに死んでほしいし、沙耶子は人殺しを捕食したい。
本来なら沙耶子は、その人間が殺されたという痕跡さえ残さずに殺すことを選ぶ。
だが今回の場合は、生贄の羊はちゃんと死体として見つかってもらわなければいけない。
しかし例外もある。
その背後に大きな組織があれば、犯人たちは海外に逃亡するぐらいは出来たのではと思わせるものだ。
澄花は愛善光明会が現在は完全な悪ではないと知りながらも、彼女自身の精神の平穏のためには、消滅してほしいと考えている。
沙耶子もあの、ドロップアウトした人間をある程度受け止める集団が、完全な悪だとは思っていない。
だが、都合がいいのだ。
諸悪の根源となり、生贄の羊となる。その理由自体ははるか前に存在している。
宗教的なセーフティネットなどというものは、暗黒時代のヨーロッパを経験した沙耶子にとっても、嫌悪の対象でしかない。
澄花が偶然に発見した、罪に問えない殺人の事実。
それがいよいよ、報いとなって利用されようとしている。
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