第25話 狗神
代議士の出席する会議において、火災が発生した。
後にこれは火災ではなく、発煙筒を使った陽動であったことが分かった。
だがそれよりも問題は、代議士が誘拐されたことである。
厳重な警備体制とまでは言わないが、必要なだけの警備はいたはずである。
そこから姿を消したのだ。
犯人からの要求などもなく、誘拐から二日後、代議士は遺体で発見された。
死因は出血死であり、腕の血管から徐々に血液を抜いていって、徐々に死に至らしめたと思われる。
そんな猟奇的で手間のかかる殺し方に、当然ながら動機は怨恨が疑われた。
しかし表の理由も裏の理由も、殺される線が多すぎてさっぱり特定出来ない。
単純に容疑者を調べるのではなく、殺す側にも専門の殺し屋を使うような、社会的地位を持つ者が多いのだ。
自分で殺した可能性は低い。おそらく側近を使ったか、そこからさらに人を雇ったのだろう。
しかし発煙筒を使った手口は大胆だが、証拠らしい証拠が残っていない。
誘拐してからの移送に使ったと思われる車はすぐに見つかった。しかし車は盗難車であり、そこに残された人間の痕跡は、誘拐された代議士と本来の車両の所有者のもののみである。
おそろしく派手なやり方ではあるが、証拠を残さないことに関しては細心。
そして血管から徐々に血液を抜いていくなどという殺し方は、相手に恐怖を与える以外の目的はなさそうに思える。
誘拐自体は他人を使っても、この殺害の方法は自分で行ったのではないか。
それだけの憶測が混じる、異質な殺し方である。
金銭目的では全くないということで、これはおそらく権力者側の抗争か、大きな金が動いていると見られる。
ただ、単に抗争というだけなら、ここまで執念染みた殺し方をする必要はない。
検察庁に勤める検事補佐官犬上は、幹部の一部のみが知る公権力における裏仕事の請負人だ。
似たような存在はもう一人いるが、犬上の方が理性的であり、荒事の後始末にも長けている。
担当する検事に呼ばれた犬上は、この事件の調査書を見せられた。
「妙な事件ですね」
「表か裏か、どちらだと思う?」
「どちらにしろ、裏が関わっていることは間違いないでしょうが」
表と裏というのは、社会の話である。
表の社会というのは言うまでもなく犯罪とは無縁の、良民たちの生活する社会である。
だが単純な犯罪であれば、それもまた表に分類されるのだ。
裏に分類されるのは、この世界の理ではかれないことだけである。
完全に他殺の状況で見つかった死体は、当然のことだが司法解剖に回される。
そして死因の特定であるが、出血によるショックであることは間違いない。
血が抜き取られたのは両腕の肘の血管からと見られる。あと目立った傷らしきものは、首筋にかすかな痣である。
一番不可解なのは、この殺し方だ。
採血のように血を抜いていくのは、確かに嫌らしい殺し方ではあるが、それにしても手間をかけすぎではないだろうか。
他の部分には全く証拠を残していないのに、こんな証拠を残す過程を得そうな、迂遠な行程を選んでいる。
理由を説明せよ。
「いくらでも他に無惨な殺し方は出来たのに、あえてこれを選んだ。いや、選ぶ必要があったのか?」
検事の言葉に犬上は、死体を撮影した写真をじっと見ていく。
「吸血鬼が吸ったのかもしれないが、あいつらがこんな残し方をする理由が分からない」
犬上の知識によると、吸血鬼は血を吸いながらも、その吸い痕を痣のように見せることが出来る。
だが吸血鬼が犯人だとしたら、死体を塵にするまで生命力を吸い付くすことが出来る。
遺体はいつまでも見つからない。遺体が見つからなければ、どう処理したかを考えなければいけない。
犯人が状況的に分かっても、起訴までは持ち込めない。
すると裏のグールが動いて、因果応報の結果だけを与えることになる。
あるいはただの隠蔽なのか。
ただ、単に殺すだけなら、火災現場でそのまま殺せただろう。
それを連れ出すのは、下手に自分だけが逃げるより難しい。
あるいは殺す前に何かを聞きだすのが目的で、拷問のために行ったと考える方が自然である。
誘拐についてはぎりぎり、常識的に可能な範囲である。
かなり綿密な計画と、ある程度の運を期待して成し遂げたものと言えるか。
車を乗り捨てた場所、そして解剖による殺害された時刻、迂遠な殺害方法を選んだことによる時間のロス、そして殺害現場を考える。
「評判の悪い議員だし、表だけに任せれば?」
犬上は適当に言うが、検事だって出来るならばそうしたいのだ。
「一国の議員が殺されて、迷宮入りというのは困る」
「面倒なこって」
「情報屋を頼った方がいいと思うか?」
「そりゃ単に解決するだけなら。けどあそこは高いでしょ」
「官房機密費から出るそうだ」
一国の政治においては、どうしても収支に記入出来ない金の流れというのは発生する。
そのための裏予算も組んである。そこから出せるというなら、自分の懐は痛まない。
「行ってくれるか?」
「行きましょう」
情報屋というのはほとんどが副業で、だいたいは人の集まるところに、自然発生するものだ。
たとえばクラブ、たとえば居酒屋、たとえばバーなど。
だがそういう固有名を使わず、単に情報屋と言うならば、新宿ビルの狭間の情報屋を指す。
「これの犯人につながる情報はありやせんが、この人は他の事件に関与してますね」
情報屋がいくら情報屋でも、ほとんど自分が殺害依頼をしたようなことを、情報として教えるわけにはいかない。
犯人の心当たりは、いくらでも出てくる。
あまりいいことではないが、この事件は迷宮入りしてもらわなくては困るのだ。
そして狼男と殺し屋殺しが殺しあうのも困る。
情報屋は基本的に、状況の大きな変化を好まないのだ。
それこそ表の世界に出て、自分の命のリスクを考えない限りは。
「そちらの殺人事件のことを調べたほうがいいかもしませんや。あとはまあ、こちらでも少し調べてみせましょう」
ひどいマッチポンプだが、世の中が円滑に動いていくためには必要なことだろう。
もっともこんな大事件が解決できないとなれば、警察内部の人事にも影響が出るだろうが。
もちろん裏切りは論外として、落としどころを探らなければいけない。
情報屋も、グールも、狼男も、そして吸血鬼も、社会の表には出ないが、社会のバランスを調整するためには必要だ。
まさにこれこそ、必要悪なのだろう。
犯人に出来そうで、犯人にしてもよい存在。
情報屋の情報操作が始まる。
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