第21話 来訪者
この夏休み、澄花は宿題も終わらせて、充実した日を過ごしている。
充実。人生になかなか夢を見られない澄花にとって必要なのは、他人と関わらない穏やかな人生を送ること。
そのために必要なのは、金である。
両親の残してくれたマンションに、遺族年金、生命保険。
計算すると節約すれば50歳ぐらいまでは余裕で生きられると思った。
だが実際にはインフレや年金制度の変化など、国の基盤が揺るげばそういった部分から削られる可能性がある。
まして澄花は生涯もなければ病気もない。
強いて言うならこの目からの情報が精神分裂症などにでも診断されるのかもしれないが、とにかく金は要る。
というわけでこうやって臨時で金を稼ぐのは、実は澄花にとってありがたいことなのだ。
各種経費は全て沙耶子が負担して、税金を引いた金額を澄花が得る。
その中で澄花が、卑近なことではあるが、沙耶子がどうやって生活しているのか気になるのだ。
沙耶子はあっさりと答えた。
「犯罪」
意外ではないが、そういう露悪的なことを言ってほしくない。
もっとも沙耶子の場合は、法律が彼女の生まれた後から出来ているので、それより前の時代の通りに生きているのだ。
ある程度は時代に合わせているだけでも、世界は自分に感謝してもいい。
手段を選ばなければ、金を稼ぐのは簡単だ。
しかも沙耶子には、人間には不可能なことが出来る。
そして権力の側にも、沙耶子の手は伸びている。いつでも切り離せるように、あまり強い結びつきにはなっていないが。
愛善光明会も沙耶子も、悪ではあるが権力とのつながりを断っていないという点では、必要悪とも言えるのだろうか。
「けれど権力者側につながりを持っていても、どうしても勝てない存在はあるのよ」
政治家でも警察でも、彼女が恐れるものではない。
「それは?」
澄花は当然ながら質問するが、沙耶子は少し首を傾げて考え込んだ。
「答えるのは簡単だけど、宿題にしておきましょうか。この件が片付くまでにね」
別に意地悪なわけではなく、沙耶子は楽しそうに言う。
「政治家でも警察でもないと、軍隊? あとはマスコミ?」
澄花のこれまでの世界観では、そこまでぐらいが想像の限界である。
「確かにクーデターを起こす軍隊は強力だけど、文民統制が上手くいっていると暴走はしないのよね。それに軍政をつかさどる人間も政治家みたいなもんだし」
軍を掌握するのが大切だとは、澄花も分かっている。過去の歴史を見れば古くはローマから、軍が最高権力者の首をすげかえるというのはよく見てきたことだ。
「それとマスコミは弱いわね。ペンは剣よりも弱いから」
ある程度の影響力はあるが、マスコミなどはしょせん社会のシステムの中の一つである。そして会社という機構を作っている。
その中の有力者を一人抱きこんでしまえば、いくらでも情報操作は可能なのだ。
情報は間違った情報を流すのでもなく、ただ正しい情報がどれなのかを惑わすだけでいい。
そんなことを話している間に、ビルの中に入ってくる者がいた。
沙耶子の視界はその人間の姿を見て、一瞬だけ厳しい表情を浮かべた。
「澄花、客が来たけど、私はすぐ傍にいるからね」
そして暗幕の後ろに消える沙耶子であるが、客が来たからといってそんな言葉をどうして残したのか、すぐに分かった。
今日は予定にない開店なので、廊下に置かれた席に座らず、その客はお供の二人を連れて、部屋の中に入ってくる。
自分の周囲の照明を調整し、客の目からは見にくいようにしていた澄花は、すぐにその男に気付いた。
小室亮二。
沙耶子がこの夏に大規模な捕食計画を立てた、最初のきっかけだ。
「今は営業中か?」
どちらかと言うと穏やかとさえ聞こえる声で、小室は問いかける。
「はい。占いをご希望ですか?」
「まあそれもだが、お前さんが責任者かい?」
「いえ、私はただの占い師。オーナーはこのビルの所有者です」
「ふうん」
威圧感。そして余裕。
そんなものを感じなくても、照明の光のあるこの場所では、いくらでもこの男の過去は見える。
罪を犯した過去が。
「じゃあ占ってもらおうかな」
「分かりました。それではこちらを」
この男が来た時点で、澄花はある程度は覚悟していた。
何より暗幕の背後には、沙耶子がいてくれる。
ただお付きの二人は人殺しではない。それが問題だ。
名前と生年月日を書いてもらう。ここに嘘はなかった。
「では五分間で過去をおおよそ占いで知り、今のことを占います。その先のことをしりたければ五千円となります。よろしいですか?」
「ああ、構わないよ」
澄花は部下の二人を見る。
「個人的に知りたくないことも明らかにされてしまうかもしれませんが、よろしいですか?」
「んん……まあその時には止めるわ」
「分かりました」
そして澄花は小室の過去、その罪に触れた。
暴力と、精神的な荒廃が、幼少期から見える。
だがこれは物質的なものではない。精神的な苦痛だ。
「ご家庭は……裕福というはけではありませんが、物質的には満たされていたようですね。お母様の方が、お父様よりも存在感があった」
小室の手がぴくりと動いたがそれだけだった。
宗教に慣れたものは、その神秘性を全く信じなかったりする。
それは神秘的なものではなく、単純に事実として存在するものだと。
奇跡のようなことは起こるし、起こせる者もいる。
だがそれが即、崇拝の対象になるとは限らない。
澄花は続ける。
「長じてからも、人生の節々にお母様の干渉を感じます。それに対して……単なる苛立ちをぶつけるとか、そういうことは出来なかったようですね」
少なくとも成年に達するまでは、小室も最後の一線を越えることはなかったようだ。
「社会……かなり歪な社会の中で、生きている過去が見えます。その中で罪……いえ、他人の人生を無茶苦茶にしてしまうような出来事もありましたか」
小室の顔から表情が消えた。
殺意が見える。
澄花に対する殺意だ。害意ではなく、あっさりとそれを超えたもの。
だが澄花は続ける。
「若い頃にあったその行動による業が、今でも人生に絡み付いています。特に最近はまた、それが形となって降りかかってきているのでは?」
安全だとは分かっていても、緊張感はある。
沙耶子がこの男を殺したとして、他の二人をどうすればいいのか。
ここで決定的なことを言ってしまうのはまずい。
「今も身近に、他者を偽ろうとしている人もいるようです」
五分には少し短いが。
「ここまでが無料です。この先は有料になりますが、どうしますか?」
「いや、いいよ。思い当たることは色々とある」
手を広げた小室からは、襲い掛かるような気配は消えていた。
「しかしまあ、あまりいいことが聞けなかったな。じゃあ」
そのまま去ろうとした小室であるが、澄花にも気になったことがある。
「一つ教えていただきたいのですが」
「何か?」
「この占いは主に女性やお若い方が来られるのですが、どうやってお知りになったのですか?」
この問いは別に、危険でもないはずだ。
「お嬢ちゃん、この街にはな」
目をすがめた小室には、やはり独特の雰囲気がある。
「あんたみたいな本物が何人かいる。その一人が、今の事情を解決するためには、ここに来たらいいと言ったのさ」
それは、つまり――。
澄花とは違い、また沙耶子などとも違った、超常の存在。
澄花が注意していたとしても、最初から小室がこちらに害意を持っていれば、今の会話でも充分に警戒には至るかもしれない。
「それだけかい?」
「ええ。分かりました」
詳しいことは沙耶子も知っているかもしれない。
そして小室と二人の取り巻きは去っていった。
じんわりと冷や汗をかいていた自分に気付いて、また少し震える。
「驚いたわね」
「沙耶子は気付いてたんでしょ?」
「もちろん。でもまあ、直接こちらを狙ってきたわけではないのかしら」
そう言う沙耶子は、小室が座っていた椅子のあたりを少し見る。
澄花には意図が分からなかったろうが、盗聴器の類でも仕掛けたのかと思ったのだ。
だがそれほどのことはしていない。
意識の中に、この店の存在は刻まれた。
だがまだ己の敵対者とは認識していない。
澄花から何かを言われる前に、沙耶子は考えていた。
この街には情報屋というものがあり、色々な情報を扱っている。
その中では精度こそ低いものの、当事者以外には分からないであろう情報を握っている者もいる。
その程度の占い師は、沙耶子の長い生涯の中では何度も見てきた。だからそれほどの脅威とは思ってもいなかったのだ。
「少し、こちらも調べないといけないのかもね」
気だるげに言った沙耶子は、捕食のための狩人の表情になっていた。
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