第20話 捕食者
人間はどうして、自分は大丈夫だと思ってしまうのだろう。
さらに言うなら、自分だけは大丈夫と思ってしまうのだろう。
人を三人も殺しておいて、それを雑に処理しておいて、どうしてまた人間の目の届きにくい夜の闇に出かけられるのか。
未成年者の年齢が引き下げられる予定の日本においては、19歳はいまだに未成年扱いである。
だが死刑相当の犯罪であれば、量刑は緩和されず、成年扱いとして死刑となる場合もある。
自分は死なないと思っているのだろうか。
上級国民だとかの事件もかつてはあったが、その子弟に関して事件化がされづらいことは確かである。
だがそれは忖度などよりは、弁護士などが適切な処理をすることによって、事件化するだけの証拠を消してしまい、言動へもチェックがされるからだ。
幸いと言うべきかどうかは分からないが、その少年にはまだ警察のマークがついていなかった。
さすがに薬で死人まで出しているので、周囲の取り巻きも一時離れ、それでも平然と夜の街を歩く。
危機感が足りない。
もしも事態の関係性を知る者がいたら、復讐されるのではないだろうか。
いつも手足のように使っている取り巻きがいないので、色々と不便がある。
生まれた時からなんやかやと他人に動いてもらってきた人間は、遊ぶことさえ自分だけでは出来ないらしい。
行き付けの店に行ってみるが、普段の取り巻きの姿が見えない。
女を釣ってくるのにも金と薬だけを出していた男は、カウンターで酒を頼む。
まだ未成年なのだが、酒とタバコ、そして薬と女の味はしっかりとおぼえていた。
グラスを出すバーテンの、沈んだ瞳の中の軽蔑の色にも気付かず、男は店内を物色する。
食いたいものはいくらでもあるのに、手が届かない。
もどかしい。ただ欲望だけが感情の底に、澱のように溜まっていく。
金ならあるのだ。ついでに薬もある。
これを使って女との快楽に耽るのが、男にとっての遊びであった。
遊んでいたわけだから、人が死んでしまってもセーフ。
そんな価値観は、さすがに引かれるものがある。
まして女性たちの行動範囲を、警察が調べまわっているとなれば、普通なら息を潜めて網にかかるのを逃れる。
だが、自分だけは絶対に捕まらない。
そんな根拠不明の自信が、男にはある。
悪事をしたという自覚もない。ただの快楽の追求で、相手もそれを楽しんだのだ。
死んでしまったのは相手が貪りすぎたからで、自分の責任ではない。
そんなことを思えるからこそ、こうやって無防備に、喉笛を曝け出すことが出来る。
獲物をつり出す餌もない。
献上する臣下を持たない支配者は、その感情に振り回される。
不意に、隣の席に女が座った。
遊んでいるというよりは、匂い立つ上玉の気配。
美貌でありながらも浮ついたところはなく、それでいて危険なまでの色気がある。
沙耶子だ。
変身ではなく、やや濃いメイクをして、この男の隣に座った。
この鮮やかな餌に、食いつかないでいることが男に可能だろうか。
もちろん不可能である。
声をかけるべきか。しかしなんと言えばいい。
取り巻きがいる間は、男も動けるのだ。しかし自分を肯定するものがいない状態では、男はひどく役立たずであった。
女がカクテルを飲み、手で髪をなびかせて、その白い首筋を晒した。
ああ、これは女が誘っている。
視線で一瞥さえされていないのに、男はそう思った。
あながち間違いではない。沙耶子は餌を男の目の前に置いたのだから。
やがて男が下手な口説き文句で沙耶子に語りかけ、沙耶子はもう一杯カクテルを頼むと、気だるげに男との会話を開始した。
目の前で起こっている事態を、食らい場所で過ごすバーテンは、不思議な感情で見ていた。
獲物を食っては食い散らかす、品のない獣が、巨大な蜘蛛の糸の上で、もはや動けないようになりながらも、それに気付いていない。
美貌の女は神秘的な雰囲気すら漂わせ、バーテンがそれとなく注意をする隙も与えない。
曖昧な会話の果てに、女は店を変えようと言い出した。
男は操られるようにそれに同意し、その後を追う。
何か、とても不気味なものを見た。
バーテンは冷えた背筋を震わせながらも、その記憶を引き出しの奥に押し込めていった。
「というわけで、連続殺人犯は始末したわけ」
夏休みも終盤、明るい太陽の下で、ツヤツヤとした顔の沙耶子が報告する。
それを聞いた澄花は、深く深く溜め息をついた。
殺人者がこの世から消えた。それは喜ばしい。
だがわざわざ余罪までも洗いざらい報告してくるのは、嫌がらせなのだろうか。
沙耶子は澄花を特別扱いしてくれているが、こういった特別扱いはいらない。
グールが死に、殺人犯が死んだ。
あとは愛善光明会だ。
「警察はどう動くの?」
「しばらくは情報は流せないわね。下手に排除したことを教えると、善行社の方にマークが行くだろうし」
沙耶子は全てが終わってから、それとなく情報を流す予定である。
連続殺人犯はしばらくは、逃走したか匿われているかで、警察の動きがそちらに取られるかもしれない。
税金の無駄遣いをさせてしまって申し訳ないが、グールと殺人者の二人を始末したのだから、トータルではプラスと見てほしい。
沙耶子が情報を流さないのは、保身のためもある。
下手にグールや、自分のような吸血鬼が関わっているのが確かになれば、権力側のグールが動く。
それこそ対人間ではなく、対グールや対吸血鬼を想定した、訓練を受けて装備を整えたグールがである。
沙耶子の経験からすると、グールでは種族的に吸血鬼には勝てない。
だがそれこそ、超常の存在を相手取ることを想定したグールが、簡単に倒せる相手とも思えないのだ。
それにグールは、人間を殺さなくても、人間の死体さえ手配出来れば生きていける。
まずありえないことであろうが、その性質的には、殺人を犯していないグールがいる可能性もあるのだ。
「それで、これからはどうするの?」
とりあえず場所を移そうと、二人は占い屋にやってきた。
今日は定休日ではあるのだが、沙耶子曰くそれを知らない人間が、そこそこ休みの日にやってくるらしい。
なにしろこのネット社会の中で、最初こそあったサイトも消して、今では完全に口コミでの伝達に頼っているが、今は逆にその方が効果的な宣伝になるそうだ。
直接に行ってみないと分からない占い師など、楽しすぎるではないか。
二三人のお客さんが来ればいいなと思いつつ、冷房の中で澄花と沙耶子は話す。
「いよいよ当初の目的、小室亮二を狙っていくわけだけど」
襲撃を受け、行方不明になった社員がいる以上、自分の身の周りにも注意するはずだ。
捕食のための難易度は上がっているが、これは暗殺などと同じで、圧倒的に攻撃側が有利である。
自分が誰に狙われているか分からない。
自分がどうして狙われているか分からない。
そもそも本当に狙われているのが自分か分からない。
行方不明になって死体さえ見つからない社員が、荒事に従事していた者だと気付けば、復讐が目的かとまでは気が付くかもしれない。
だがそしたら復讐の対象はどうなのか。専門の違う社員も、あの炎上したビルの中では殺されている。
これが分からないと困るのは、自分がいつまで気をつければ分からないということである。
アウトローの連中は、ルールの縛りを嫌う。
そのくせ社会的なものとはまた違うルールを作ったりするのだから、本当に救えない。
何かに狙われているかもしれないと思っても、それで自分の自由が制限されるのは我慢がならない。
それ以前の問題として、沙耶子の捕食手段から逃れるのに、充分な手配が出来ているはずもないというのもある。
この間のグールは、あれはあれで食欲を満たしてくれたが、あまり舌に慣れていない味であった。
やはり16人も殺している、人間の血を早く吸ってみたいものだ。
出来れば夏休み中に済ませてしまいたいが、別に焦る必要はない。
非常食は常に用意されているし、困れば澄花にまた見つけてもらえばいいのだ。
優雅に余裕の姿勢を崩さない沙耶子であるが、この世の中は長命の彼女であっても、予想だにしないことが起こるものである。
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