第19話 放たれた獣

 グールは逃げ出した。しかし沙耶子はそのままにしてはおかない。

 塵となった男たちの衣類などは集めて、残りの生き残った者からグールに関する情報を集めていく。

 パスポートを作っていただけに、その写真などはここでも確認出来た。

 そして第二の目的でもあった、善行社の内部帳簿なども手に入れる。

 もっともこれは表のものであり、やはり裏の帳簿はこんなところには置いていないらしい。


 グールは普段はこちらの警備会社にいながらも、清掃業者の方の仕事も手伝っていたらしい。

 確かにグールは吸血鬼に比べれば、人間の社会に溶け込みやすい種族だ。

 瞳の虹彩が縦長に割れることをコンタクトで隠せば、おおよそ人間との見分けがつかない。

 日本語を喋れないらしいので、また知っている人間のところへ逃げ込んだのだろう。


 そして連続殺人とグールの関係も、思っていたものとは違うのが分かった。

 そもそも連続殺人犯が手配すべきが、清掃業者であってグールではない。

 杜撰な死体の処理をした結果、グールがそれを拾い食いしたのだ。

 せっかく殺し屋として使えるグールを入国させておきながら、その管理は上手くいっていないようだ。


 監視カメラの記録なども全て破壊し、火をつけた。

 現代の日本において放火は、殺人よりも重い罪である。

 だが沙耶子は放火犯の捕食は許されない。もちろん放火によって人が死ねば、それは殺人と判定されるのだが。

 エネルギーを吸い尽くして塵となった男たちの衣服をまとめて燃やす。

 まだ気絶している連中が、煙が回る前に脱出できるかは運次第だろう。沙耶子にとってはどうでもいいことだ。


 優先されるべきは、まずグールの排除。

「お前はもう帰りなさい。朝が来る前に」

「沙耶子様は?」

「私はあのグールを片付ける」

 それに対してスーツの男は、ただ目礼した。そして窓から飛び出して着地する。そのまま悠々と夜の街へ消えていく。


 沙耶子は力を使う。

 一度に四人の人殺しを捕食して、かなりエネルギーが満ちている。

 グールを相手には、普通の人間を相手にするのとは違う、吸血鬼としての力が必要だ。

 沙耶子の肉体は、数百の蝙蝠に変じて、夜の空を飛んで行く。

 後に残ったのは、消防装置が作動した火に巻かれたビルディングだけであった。




 そのグールは自分を追う気配に気付いていた。

 この飽食の国に来てからは感じなかった、絶対的な狩猟者の視線。

 ビルの間を飛び跳ねて逃げていっても、どこまでも追いかけてくる。


 逃げ切れない、と判断した。

 気配の視線が上空からなのは感じていたが、まさか一匹の蝙蝠が追跡者だとは気付かなかった。

 ビルの谷間から降りて、この大都会の中にある公園の中に潜む。

 生命の気配がそれなりにするここならば、わずかに隠れられる可能性はあるし、人の目もそれほど気にしなくていい。


 カツン ――と靴音が響いた。

 公園の石畳を歩んでくる、圧倒的な死の気配。

 ぶわりと肌の毛穴が開き、どっと汗が出てくる。


 グールは捕食者だ。死体漁りと揶揄されることもあるが、死体がなければ自分で作って、それを食べる存在だ。

 肉体的な性能は圧倒的に人間を上回るし、爪や牙から麻痺毒を分泌する。

 人間を食わなければ生きていけない存在ではあるが、人間に施しを受けたりはしない。

 殺してもいい人間を用意してくれるなら、人間と手を組んでもいい。そう考えるのがグールである。


 暗闇の中でも見えるグールの瞳が、石畳の上の少女の姿を映していた。

 そしてその少女も、草むらの中に潜むグールの存在を感知している。

「隠れているの? それで隠れたつもりなの?」

 沙耶子の声が自分に向けられているものだと知り、グールはゆっくりと姿を現す。


 月光の下に佇む男は、およそ30歳ぐらいに見える。

 顔立ちは東南アジア系か。グールの特徴である灰色の肌を隠すため、日焼けと見せかけるファンデーションを使っている。服装は旅行客に見せるためか、どこかオリエント柄のシャツを着ていた。

 この男は、どれだけの人間を殺し、そして食ってきたのだろう。

「ねえ、どれぐらいの人を殺してきたの?」

 日本語は通用しないかと思って最初は英語で、次は広東語で質問してみた。

「500ぐらいだ」

 広東語が通じた。助かった。

 まあ通じても通じなくても、殺すことに変わりはないのだが。


 沙耶子にしても、広東語はそれほど詳しくはない。それに食事相手とコミュニケーションを取るのは、あまり趣味のいいことではない。

 そしてそれはグールの男にとっても同じことのようだった。


 腰から取り出したのは、伸張型の特殊警棒。グールの武器である鉤爪ではなく、人間の武器を使う。

 人間の社会に適応したグールだ。

 日本になど来なくても、発展途上国ならばいくらでも、人間の捕食は可能であっただろうに。


 どうせ理由も想像がつく。金か、それとも人間関係、いやグール関係か。

 沙耶子がここしばらく吸血鬼の姿を見ないように、おそらくグールの数も減っていっているのだろう。

 知恵と道具の利用に適した手を持つ人間は、狼や虎、そして熊や象など、多くの自然界の獣と戦ってきた。

 そして今は社会という名の道具を使って、吸血鬼やグールを追いつめつつある。

 グールよりも強く、そして太陽の光を浴びても死なない吸血鬼の沙耶子であるが、いずれは自分にも滅びが訪れるのだとは思っている。

 もっともそれは人間にしても同じであり、人間が全ていなくなれば、やはりそれでも沙耶子も生きてはいられない。

 人の生み出した猥雑の街、東京で吸血鬼とグールが殺し合いを始める。




 グールには沙耶子の正体が分かっていない。

 そもそも土着的に生きるグールは、確実に死体を手に入れるための土地が必要なため、外に広がって無制限に人間の社会と接触しようとは思わない。

 それでも生存に必要なために、グールはある程度人間と接触する必要がある。


 人間が滅びたら自らも滅びるという点では、グールも吸血鬼と同じである。

 だがグールには吸血鬼ほどの圧倒的な力はないが、吸血鬼に比べれば弱点らしい弱点もない。

 そんなグールが吸血鬼を、既に滅びたか御伽噺の存在と思っていても無理はない。


 グールの振り下ろした特殊警棒を、沙耶子は片手で受け止めた。

 グールの筋力と沙耶子の筋力の間で、特殊警棒は弾性限界を超えて曲がる。

 役に立たなくなった武器を捨てて、グールはその鉤爪を伸ばした。

 人間ではない、とグールは沙耶子の存在を見ている。

 だが吸血鬼とまでは分かっていない。もし分かっていたら対決など考えず、全力で命乞いしていたであろう。


 吸血鬼はグールより不死性に富み、グールよりも怪力で、グールよりも足が速い。

 あるいはこのような人通りの少ない場所ではなく、人目が多い通りの中で、目撃者を多く作っただろう。

 逃げ切れないのは悟っても、勝てないのを悟らなかったのが、グールの敗因である。


 麻痺毒を持つ鉤爪で襲い掛かり、沙耶子に両手で切りかかる。

 だが沙耶子はその両手を、自分の両手で手首の部分を掴み、動けないようにした。

 普通の喧嘩であれば、ここから頭突きか膝蹴りなのだろうが、怪力の吸血鬼は違う。

 両手を握ったまま全力で捻り、肩を脱臼させる。

 痛みに強いグールであっても、この瞬間には隙が出来る。

 脱臼したままの肩を、片手では持ちながら、地面に引き倒す。


 勝負あった体勢だ。

 ここで相手に言葉がしっかりと通じるなら、少しは交渉の余地もあっただろう。

 しかし沙耶子は面倒な手段を取らず、グールの肩口へと牙を突き立てる。

 人間のものとは違い、あまり美味くは感じない血液。

 だがその持つエネルギーは、たかだか一人や二人を殺した人間とは比べ物にならない。




 塵となる。

 グールの服をまとめた沙耶子は、公園内のゴミ箱にそれを捨てた。

 もし回収業者が気付いて不審に思っても、そこからグールの存在や、沙耶子の存在には気が付かないはずだ。


 大量に人を殺していたグールを捕食したことにより、沙耶子は完全に満腹となった。

 これで好き放題に吸血鬼の力は使える。権力サイドのグールと万一戦うことになっても、今ならば後れを取らないだろう。


 次は澄花の求めていた、連続殺人犯。

 警察が身柄を確保するより先、権力者側が闇から闇へ事件を葬る先に、沙耶子が捕食しなければいけない。

 それからはゆっくりと、善行社の連中を減らしていく。


 夏休みの課題は、どうにか終わりそうである。

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