第11話 毒薬
一週間の研修の間、基本的に行うことは、修行である。ただ修行と言っても怪しいものではなく、純粋に生活力をつけることだ。
即ち、炊事、洗濯、清掃などである。
一日目の夕方からそれは行われ、澄花と沙耶子は一緒になって食事を作る。
沙耶子にとっては少し意外だった。
新興宗教団体はこういう時、普段から知っている人間同士は別に離して、信者との人間関係を構築させようとする場合が多い。
あくまでも危険さを見せずに接触してくるのは、逆にそれが恐ろしい。
澄花が洗脳されないように、こういったカルトの手口は色々と説明しておいたが、それに当てはまらない。
だからこそ信用してしまうかもと、さすがに心配になった。
大浴場で風呂に入った後は、宗教的と言うよりは、人間関係の構築に入る。
見本としてマッサージをしてもらい、今度は逆にマッサージを返すのだ。
「手当て、という言葉がありますよね。あれは本当に手を当てるということが、治療の一種だと考えているのです。体を揉みほぐすだけでなく、自分の体温が相手に伝わるように、そう心がけてください」
確かに沙耶子の知る限り、奇跡を使う者は指先か、掌を向けることが多かった。
「貴女、こってるところが全然ないのね」
沙耶子自身は病気も怪我もない。それが吸血鬼なのだから。
横目で見る限り澄花は、それなりに苦労して被験者を揉んでいるようだった。
これが終わると、もうすっきりとした体で寝るだけである。
だが消灯の前に、澄花は沙耶子を外の散歩に誘った。
この集落は基本的に、家の鍵などかけたりはしないらしい。
本部の玄関などもだ。もっとも監視カメラなどはさりげなく存在しているが。
建物からたっぷりと離れてから、澄花は切り出した。
「ここの人たち、気持ち悪い……」
どうやら洗脳の可能性はないようである。
沙耶子は周囲を見回すが、さすがにここまで盗聴しているような気配はない。
遠距離からの視線も感じない。大丈夫だろう。
「気持ち悪いって、具体的には?」
「嘘ばかりついてる……」
まあ、そういうものだろう。
ヨーロッパで聖職者と触れ合う機会の多かった沙耶子は、基本的に宗教家というのは全て、偽善者だと考えている。
特に布教活動をする人間はだ。宗教の奴隷として人間を縛りつけようとする。
その宗教の持つ宗教的価値観に、人間を縛り付ける。
よってその教義を疑うことなどは許されない。ヨーロッパで中世に数多行われ、そして今でもより高尚に行われていることだ。
だが澄花には、絶対的な価値観の基準がある。
その目で、全ての罪を見る。
彼女にとって食事のために人を殺す沙耶子を除いては、ほとんどの人間は偽善者だ。
やらぬ善よりやる偽善、偽善がなければ世の中は回っていかないとも思うが、澄花にそれは通用しない。
彼女は絶対的な善、あるいは正義の基準を持っている。
まともな洗脳のやり方では、それを欺くことは出来ない。
杞憂だったかと考える沙耶子であるが、備えは万全にしておいていい。
明日からは分かれて行動することも多くなるだろう。
「澄花、私は自分のために貴女を利用している。だから私がそれを偽らない間は、私を全面的に信じていいわ」
「何をいまさら。それにこの教団を善か悪かを決めるのは私じゃないわ」
澄花は自分のメガネを指差したが、実際は違う。
「決めるのは私の目よ」
それはともかく。
「でも沙耶子が料理出来るなんて意外だった」
「貴女、私をなんだと思ってるの?」
「だって沙耶子、料理なんてしなくてもいいじゃない」
「誰かに食べさせることはあるでしょう」
少し無駄なお喋りもするのであった。
修身という言葉がある。
今ではあまり聞かなくなったかもしれないが、掃除や洗濯など、日常の生活をしっかりとすることが、道徳の向上につながるという考えとでも言うべきか。
愛善光明会では教義はないが、行いの正しさを考えましょうというのが理念としてある。
朝食を作ってその片づけをすると、まずは掃除をする。
それから今日は、午前中は美術館をたっぷりと時間をかけて回る。
美術館には西洋絵画、西洋彫刻、日本の茶器などの他に、宝石がそのままに飾られていたりもする。
時価数千万円のルビーだのサファイアだのと言うが、まあ知らない人は普通に騙されるのだろう。
これらは確かに天然物であれば、数億の値が付いてもおかしくない。
しかし人造ならば数十万の物だ。不純物の濃度なども調整出来るため、カットなどの技術料が高いだろうが、それほど貴重なものではない。
「装飾品としてネックレスとかにしてるならともかく、宝石単体にはさほどの価値もないわね」
そっと呟く沙耶子である。
そして澄花にもはっきりと分かる。
学芸員のように展示物の説明をしていくのは女なのだが、詐欺師だ。
中でも分かりやすいのは結婚詐欺。確かに身奇麗で、地味に男の視線を引きそうではある。
だがこういうタイプの知能犯は澄花は怖くない。
どんな嘘をつかれていても、澄花にはそれが分かるからだ。
怖いのは暴力で人を支配しようとするタイプ。
特に怖いのは、人を殺してその金品を奪う、一般的な凶悪犯だ。
沙耶子は強大な力を持つ。それこそ人間であれば、軍隊でなければ対抗出来ないほどの。
だからこの教団の持つ暴力に関しては、それほど心配していない。
だが彼女の暴力は、その対象が殺人者に限られているため、好き放題に暴れられるわけではない。
食料を確保した上でなければ、その吸血鬼としての力もかなり制限される。
澄花からしてみれば、この教団も頭から尻尾まで、全て崩壊させてほしいというのが本音だ。
だが沙耶子曰く、信者20万にその関連者を合わせればさらに多い教団を壊滅させるのは、企業を倒産させるのと同じことなのだ。
確かに言われてみれば、社員数が20万もいる会社は大企業であり、そこから関係している団体も含めれば、どれだけの影響力があることか。
イスラム過激派や、キリスト教でも原理主義は多くの人々を殺し、社会に悪影響を与えたが、その全てを否定するわけにはいかない。
昼食の後は2000人が入ると言われるホールに集められる。
この時に重要なのは、まだ信者でいない者たちは、隣席を既に信者である者で埋められるということだ。
そして現れるのは、愛善光明会現会長小室奈緒子。
彼女が話すのはこの一年間の、教団の慈善活動について。
また教団からの支援を受けた人物や団体が、どういった業績を残したかについて。
なんとも平和なセミナーだと沙耶子はいささか退屈していたが、語り口は穏やかで、健全な宗教めいて狂信は感じられない。
この宗教には、敵がいないのだ。
多くの宗教は世間の堕落や、あるいは他の宗教に、世間の価値観を敵として認定し、結束力を高めると共に、信者を一般社会から離そうとする。
この洗脳の手順が、この段階では行われていない。
洗脳というのはそれが、一般的な常識から離れていれば離れているほど、解除しやすい。
だがこの教団の悪質なところは、現在の社会で生活出来る信者には適度なガス抜きを、それが出来なくなった信者にはこの隔離した集落を用意していることだ。
会長の言葉の中には、世の中の情報の拡散についての警告もあった。
新聞などの既存のマスコミ惑わされないこと、そしてネットという新たな情報の海にも惑わされないこと。
だいたい匿名で発信される情報は、責任を持たなくてもいいだけに質が悪いこと。
世間一般のそういった情報の海に溺れる必要はないし、もしも悪意に晒されたなら、その時はこの場所が逃げ出す場所になってくれる。
沙耶子の方はあまり実感がなかったが、澄花の方は気付いた。
この本部は公共の場所を除いては、ネットと隔離されている。
現代の犯罪の情報があっという間に拡散されてしまう社会でも、この集落に避難すれば逃げられるのだ。
沙耶子の場合はおそらく、この集落でなくても、外国に逃げたり文明かされていない社会に行けばいいだけなのだろう。
なるほど世間の、善意からの悪意から逃れるためには、この場所は悪くない。
澄花のような、情報を人間から直接得る者以外は。
あと、大事なことが一つ分かった。
愛善光明会の会長小室奈緒子は、直接には人を殺していないし、明確に人を殺す命令を出してもいない。
つまりこのコミュニティは、澄花にとっては絶対の悪ではない。
20万からの人間が生活を失うようなことは、まずないということだ。
もっとも殺人以外の罪は色々と見えるので、そのうち何か公権力の介入が入るかもしれないが。
二日目も無難に終わったが、その夜沙耶子は動く。
そっと寝床を抜け出して、玄関へ向かう。
宿泊所には監視カメラがあるが、沙耶子はそれに体が映らないようにして通過した。
さて、狩りの時間である。
宿泊所のすぐ近くの本部には、入り口に警備員が詰めている。
人の目であるので、沙耶子もカメラのように映らないようにすることは出来ない。
だがそれなら変身すればいいだけだ。
ここで注意点は一つだけ。
吸血鬼の力を使いすぎないこと。
この研修に参加する前に、ちゃんと食事はしてあるが、力を使いすぎればそれだけ消耗も激しい。
変身はその中では、まだしも力を消費しない部類に入る。
本部施設に入っていくような人間の姿は、何人か確認していた。
そのまま問題なく本部に入り、さて何を探すか。
それは唯一、金の流れである。
沙耶子はこれまで、大きな組織を相手に、食事をしたことがある。
その中で人殺しを見つけるための一番簡単な手段は、金の流れを把握して、その末端で活動している実行部隊を確認することだ。
この教団は沙耶子の知る中では比較的、カルト色が薄い。
それはおそらく神道を宗教のベースに置いているからであろう。神道と言うか、正確には自然崇拝だが。
人の気配を探りながら歩く。
だいたい犯罪の証拠というのは、一番厳重に守られている。
そしてこの施設で一番厳重なのは、会長室だ。
本部の中の案内図などはないが、だいたい重要な場所は奥にある。
堂々と会長室とプレートのある部屋の前に到着した。
この会長室は外から探るに、業務を行うのと来客への対応、そして居住スペースが隣にある。
今はまだ会長の奈緒子は椅子に座ってパソコンに向かっている。
教団の信者たちは早寝早起きだが、会長はそうでもないようだ。
さて、どうするか。
この会長室の前も、監視カメラが存在している。
今は姿を消しているが、当然ドアを開けるなら、その様子は撮影されるだろう。
中に人がいるのはむしろありがたい。部屋の鍵はカードタイプのようだ。
一度カメラの範囲外に戻り、教団の幹部らしき人間に変身する。
それから普通にノックをして、返事を待ってからドアを開けた。
椅子に座ってパソコンをいじっている奈緒子は、スーツ姿である。
こちらを見たが、特に注意を払っているわけではない。
「何か?」
「はい。実は今回の研修の参加者に、おかしな人がいて」
「また?」
またと言うからには、これまでにもあったことなのか。
それが何者かは分からないが、マークされていることには間違いない。
歩み寄った沙耶子は、相手が顔を上げるのを待った。
「それで――」
視線が合った瞬間、相手の動きを止める。
「貴女は誰にも会っていない」
澄花には効果がなかった、邪視の能力。
とりあえず教団の会長ではあっても、こういった力には弱いようである。
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