第10話 一週間
神の名の下に、人を殺した人間もまた、人殺しである。
少なくとも沙耶子が、なんとなくいるのかもしれないと考えている概念上の神は、判断の基準に神の名を使わない。
だが明確に人殺しをしていても、沙耶子の食料にならない場合はある。
人を処刑する職業の人間が、命じられて処刑を行った場合である。
今よりもずっと昔のことだが、職業として敵を殺していた兵士も食べられたのに、処刑役人は食べられなかった。
「それはたぶん、ルールの範囲内で、ルール通りの仕事を行ったからだと思うけど」
澄花もこの目の検証のために、確認したことはある。
たとえば日本では現在、死刑の執行は絞首刑である。
ならば殺すのは、縄を首に巻く者か、それとも床を開けるボタンを押す者か。
そこまでは確認できなかった澄花であるが、少なくとも死刑を宣告した裁判官には、人を殺した罪は刻まれていなかった。
「すると戦争でも、戦争犯罪に当たる人殺しと、戦闘行為の人殺しがあると思うけど?」
沙耶子の質問にも、澄花は答えられた。あの老人の殺した相手は、明らかに兵士であった。
「直接殺していたら、たぶんどんな理由でも人殺し」
正当防衛の場合は、さすがに確認出来ていない。
これまでの殺人は、澄花の目が判断した殺人と、沙耶子の食料になる殺人は、同じものとして処理されているらしい。
構成員が人を人を殺した場合、暴力団の組長などに殺人の罪が科されるかは、さすがにこれも分かっていない。
ただ三人が共謀して殺人を犯した場合は、三人とも殺人者扱いにはなる。
ここまでは沙耶子と澄花の、殺人についての認識に違いはない。
だが今回の場合、果たして教団の幹部がどれだけ、殺人に関与しているのか。
かつて存在した他の、教団の方針で明確に殺人を指示していた教祖に、果たして殺人の罪が刻まれていたのか、澄花は確認出来ていない。
そもそも人殺しを見ること自体、澄花には負担なのだ。沙耶子と出会ってから、いざとなれば殺してもらえると思うことで、その負担も軽くなっているが。
そして肝心の小室亮二に関してであるが、それもある程度調べられた。
彼は教団の幹部であると同時に、警備会社と興信所の社長でもある。
問題はそのどちらにも、警察のOBが定年後再就職していることだ。
「天下りってこと?」
「そこまで露骨じゃなくても、元警官を抱え込むことは、防犯・調査組織の鉄則よ。上手くいけばマッチポンプでいくらでも犯罪を見逃せる」
日本はまだしも検察と監察がいるので、末端の警察官が腐敗している場合は少ない。
こういうと警察に正義はないのかと考える澄花であるが、そこは清濁併せ呑む度量が必要になる。
犯罪組織は敵対する犯罪組織の情報を持っている。
それを上手く活用するため、警察は犯罪組織と組むことがある。アメリカなどでは司法取引で末端を逃すことさえある。
政治家が国家の安全のために、数千人が死ぬ政策を採ることがあるのと同じだ。
世界の全てが善性で満たされていないと発狂する子供は、むしろカルトなどにはまる場合が多い。
「かつての学生運動が大きく世間を動かそうとしたのは、要するに頭でっかちの子供の癇癪よ」
沙耶子にとっては世界はそういうものであるらしい。
しかし警備会社と、場合によっては警察にまで力が及んでいるというのは、沙耶子の当初の予想よりも、はるかに問題は厄介である。
はっきり言ってかける労力に対して、得られる食料のリターンが合わないかもしれない。
それに下手に20万の信者がいる教団を潰すというのは、教団に依存して自我を保っている人間も、普通の社会に放り出してしまうことになる。
ただ、手を引くには澄花が知りすぎてしまった。
教団側も澄花の事情を知っていれば、ある程度巧妙に手を伸ばしてくる可能性は高い。
この問題を解決しないと、澄花の人生にはストレスがかかるだろう。
澄花のために、この問題は解決しよう。
沙耶子は冷静にそう考えた。
この間と同じようにバスに乗り、教団本部へ向かう。
違うのは荷物の量だ。一週間のお泊りなので、バッグを一つ丸々使用する。
あちらに洗濯機などはあるし、寝巻きや作業着などの貸し出しもしているので、普段着だけでいいのはありがたい。
ただ沙耶子は澄花に注意はしてある。
監視カメラや盗聴器には気をつけるようにと。
沙耶子自身はカメラなどに映らなくすることも出来るし、遠くのことにまで気が付く。もっともそれなりにエネルギーはいるが。
だが澄花は違う。澄花はその目以外の特異な能力は持たない。
ここで使えるのがスマホである。
本部内ではスマホによる通信は出来ないが、盗聴されている場所ではメモ代わりに使える。すぐに文章が消せるのもいい。
あとは写真で殺人者を写しておけば、それを沙耶子に知らせることも出来る。
そしてロック機能も便利だ。少なくとも疑われない限りは、わざわざ無理に見ようともしないだろう。
沙耶子の注意は、そこまで行き届いている。
最近は食事をするのも難しくなったと沙耶子は思う。
人殺しは人の中ということで、やはり単純に人口の多い都市の方が、人殺しがいる確率は高い。
だが日本は治安が良く人殺しの発生率は低いし、人殺しを殺すための手段も難しい。
街のあちこちにある監視カメラは、公共のものだけでなくビルのものや店のものもあるので、その隙間を縫っていくしかない。
単純に食料を調達するだけなら、澄花がいないにしても、日本以外の国の方が圧倒的に殺人者は多い。
マフィア未満のチンピラであれば、多くの場合が殺人者である集団などを見つける方が、沙耶子にとって楽なのだ。
だが食料の安定供給のためには、やはり澄花が必要だ。
しかし彼女は本来ならば、こういった都会には住みづらい人間だろう。
実のところ宗教団体というのは、澄花とは相性がいいはずなのだ。
確かに平然と嘘をつく人間が上にはいるわけだが、よほどのカルトでない限りは、末端は何も考えない善良な人間が多い。
だから今のうちに、そういった集団への恐怖感を植えつけておかなければいけない。
この教団はそのためにも、丁度いい集団である。
昼前に到着した一行は、この間と同じように、まず昼食を振舞われた。
沙耶子は相変わらず持参のエネルギーチューブである。
彼女はアレルギー体質ということになっており、食事をしない。
実際のところ沙耶子は、何かを食べられないわけではない。それに水はそれなりに飲む。
ただ自分のエネルギーに全くならないのに、他人の分の食事を摂取することに抵抗を覚えるだけだ。
これから一週間、宗教施設内での生活が始まる。
正確には宗教施設の集落での生活なのだが。
最初に貴重品があれば金庫で預かると言われた。だがあらかじめ澄花も沙耶子も、身分証明書になるようなものは持ってきていないし、クレジットカードの類も持ってきていない。
自動販売機があるので、そこで使うための小銭と、脱出時に必要かもしれないので、わずかに紙幣も持ってきてはいるが。
なおこの研修に参加するのに、食費の五千円を払っている。まあ妥当と言うよりは、明らかに安い。
最初に無料や低価格で人を釣るのは、宗教のみならず商売の鉄則である。
人を集めてその有効性に依存させてからが、回収の段階になるのだ。
澄花は、その特殊能力以外は普通の人間である。
だから相手が完全に善意である場合、罠にはまる可能性もある。
よって沙耶子は澄花に対し、先に洗脳をしておいた。
洗脳と言ってもそんな大袈裟なものではなく、脱洗脳のための暗示であるが。
午後にはこの間は案内されなかった、幾つかの場所を案内される。
なんと本部内に会社のオフィスもあって、そこからリモートワークでアウトソーシングもしているのだとか。
(あれ?)
沙耶子はスルーしているようだが、澄花は気付いた。
「ねえ、ちょっとおかしくない?」
「何が?」
沙耶子は本当に気付いていないのか、それともどうでもいいと思っているのか。
「アウトソーシングでインターネットを使うなら、集落の方にもネットがつながってないとおかしくない?」
「どうして? 仕事でだけ必要なんでしょ?」
このあたりの感覚はひょっとしたら沙耶子が長生きの吸血鬼だからだろうか。
「仕事でネットを使うような人なら、日常でもネットを使うと思うんだけど」
「そうなの?」
やはりそうらしい。
「沙耶子ってネットは使わないの?」
「そんなことはないけど、今はこれがあるから」
スマホを取り出して見せるが、澄花の家にパソコンがあるところは……そういえば見せていない気がする。
確かにネットのライトユーザーは、スマホしか持っていないということはあるが。
「パソコンに詳しいなら、将来はそういう仕事もいいんじゃない?」
「いや、私の詳しいは、仕事に出来るレベルじゃないから」
意外な弱点なのかもしれないが、沙耶子はインターネットには詳しくなく、興味もない、と。
だがそこでふと澄花も気になった。
「沙耶子の秘密、今のネット社会だと、一度広がったら隠せなくなるんじゃない?」
「一箇所にとどまらなければ、だいたい大丈夫」
ただ澄花の言う通り、文明の発達と共に、暮らしにくくなっていることは確かだ。
それでもあと数百年は大丈夫だと思う。
あと澄花の言葉から、沙耶子は気になることがあった。
それは集落の中でも、ネットがある家があるのではないかということだ。
本部では他にも希望した子供たちに、より高度な教育を受けさせる塾なども開講している。
なるほどこうやって人材も育成し、教団の力を維持・強化するわけか。
(信者数は20万といったけど、子供を除いて半分の人数として、傘下企業の力などを考えると、国会議員の一人ぐらいは送り込んでいても不思議はない。いや、信者数に加えて金銭での支持があるなら……)
思ったよりもずっと、この教団の力は強いのかもしれない。
沙耶子はこの教団を、悪とすることは決めていた。
そのためには単に人殺しを殺すだけではなく、犯罪の証拠も集めなければいけない。
だが警察OBがいて、あるいは国会議員までつながっているとすると、単純に個人の暴力だけでは難しい。たとえそれが吸血鬼であっても。
組織的に動く人間の手によって、はるかに強大であるはずの吸血鬼は、何人も狩られていった。
それを恨むというのは筋違いだろう。人間は感情があり思考する生物だ。吸血鬼により身内を食料にされれば、殺したくなっても仕方がない。
思ったよりも面倒そうだが、それは同時にやりがいもあるということだ。
(狂信の輩相手に戦うのは、随分と久しぶりの気がする)
吸血鬼の持つ欲望は、食欲。そして退屈をまぎらわせること。
面倒から単に逃げて、退屈に殺されるのだけは真っ平ごめんだ。
澄花はおそらくまだ、この状況の困難さを全く分かっていない。
戦争に例えるならば、戦闘員の数は少なくても、20万人の支援を受けた、2000人の砦を攻略するようなものだ。
それも密かに、己の正体を明かさず。
久しぶりに楽しめそうだった。
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