第8話 善き殺人

 とある日曜日、澄花と沙耶子は教団のバスで、山中の本部へと向かっていた。

 紹介者というか招待者は、春菜の友人の母親であり、こういった新興宗教は女性の間に広まることが多い。

「暇だから」

 沙耶子は断言する。


 男は平日は遅くまで仕事をして、休日には回復のために休みが必要だ。

 それに比べたら主婦は暇、というのが沙耶子の意見であるらしい。

「家事労働は時給に換算すると――」

「で、それに手を抜いて文句を言う人は?」

 澄花を押し留めるように沙耶子は言葉を続けた。

「家事だけじゃなく育児だって、いくらでも手は抜けるものなのよ。昔と違って今は施設もあるし、女はただでさえ守られているし」

 そうなのかどうかは、家事は自分の手の回る範囲、育児もしたことのない澄花は分からない。

「小人閑居して不善を成すって言うけど、女にだって暇を与えるべきじゃないのよね」

 それはさすがに女性の立場に配慮していない気がするが、反論のための人生経験は足りない澄花であった。

 なお沙耶子は長命なだけに、そこそこ育児の経験もあったりする。




 東京から早朝にバスで数時間も向かうと、自然と山の中に入っていく。

 もちろん山間にはそれなりに集落があるのだが、東京の都心近くからでも、昼前にはこういった山の中に入ることが出来る。

 人間はまだ、全く自然を支配してなどいない。


 そして昼前には私道に入り、そこからまた一時間ほども走って、盆地の中の集落に出る。

 小さな集落だ。それでも数千単位の人はいる。

 やや小高くなった場所には、立派な建物がいくつか建ててある。

「公道まで車で一時間……」

 ぽつりと沙耶子は呟いたが、つまりそれはこの敷地内から逃げ出しにくいということか。

 家はあるが車はあまり見えず、駐車場らしい場所にまとめて停車してある。

「交通手段が限られている」

 沙耶子の声はまた小さく、澄花には警告のように聞こえた。


 到着した停留所からは、四つ見えた大きな建物のうちの一つに案内される。

 簡単な地図を渡されたが、ここが本部であるらしい。

 あとの三つは本殿、ホール、美術館と書かれている。

 小さな家の集まりはそのまま町で、雑貨屋もあるのだが、そこに二千人ほどが住んでいる。

 建物は遠方から見る限りでは、特に古びたものもなく、普通の現代的なものだ。ただ農地に面した場所には、大き目の家がある。


 まずは昼食ということで、本部にある食堂に案内された。

 畑で作っている無農薬野菜と、米などを使った料理であるが、卵や肉もある。

 全体的には精進料理っぽいが、カロリーは少ないだろう。

「けっこう美味しい」

「一緒に食事を作ってしまえば、手間もかからないからね。子育てだって他の家族の手を借りれるし、昔の日本のいい部分を持っているようなものね」

 おばちゃんはそう説明してくれるのだが、確かにこれは合理的である。


 なお沙耶子は自分で用意したゼリー飲料を飲んでいる。食品のアレルギーが多すぎて、ほとんどのものは食べられないという設定なのだ。

 別に食べられないのではなく、食べても全くエネルギーに出来ないというのが正解なのだが、そういったものをただ味わうだけのために消費するのは、沙耶子的にはNGらしい。


 それから敷地内を案内された。

 居住区は特に何もないので、と避けられた。おそらく生活の実態が知られたくないのだろう。

 農地では普通に機械を使った農作業と、手作業での農作業が行われている。

「機械も使うんですね」

「外に売る分はね。本部だけで消費する分は、手作業で育てるの。万一災害とかで電気が止まって、交通が遮断されてしまっても生きていけるように」

 割と本気で感心していた澄花だが、やはりいた。

 人殺しの罪を、影に刻まれた者が。

 それも何人も。


 このあたりはネットにはつながらないが、スマホの機能はそれだけではない。

 許可を得た上で、農作業をする人殺したちの姿を撮影する。

(写真を撮らせてくれるってことは、犯罪者をここで匿っているっていうわけでもないのか)

 つまりこの人殺しは隠蔽されている。世に明らかになっていないのだ。

 まあ日本国内での年間の行方不明者数を考えれば、明らかになっていない殺人などはいくらでもあるのだろう。


 情報を共有しようと沙耶子をトイレに誘ったのだが、彼女は人差し指を唇に当ててきた。

 改めて建物の外に出ると、四方を見回した後小さな声で囁く。

「盗聴されてたかも」

「分かるの?」

「いえ。でも女子トイレって、秘密の拡散がされたりするでしょ?」

 それは澄花にも分かる。個室に入っているとき、無造作に男についての論評をする女子の会話を聞いたりはした。


 沙耶子に見せたのは、農作業中に発見した人殺しの写真。

「間違いないの?」

「同じ人間が三人の中のそれとして刻まれていたから、三人がかりでやったんだと思うの」

「他の獲物は?」

「他にはいないわ」

「するとそういう役目の人間がいるということね」




 夕方まであちこち回って過ごした。特に大きなホールと美術館は、まさに神聖さや荘厳さを感じさせる造りとなっていた。

 建築家はなんでも有名な人間らしく、これもしっかり調べようと撮影しておいた。

 単純に写真の題材にするだけなら、確かに美術的な価値がありそうな建物であった。


 その間、澄花は案内人のおばちゃんから色々と話しかけられた。

 沙耶子に話がいかないのは、おそらく彼女が自然とまとっている、超然とした雰囲気のせいだろう。

 特に問われたのは家族関係などであり、これは事前に沙耶子からも注意を受けていた。

 宗教は家族などの人間関係が破綻している者を、たやすくその虜にしてしまう。

 人間は誰だって、何かの共同体に属していたいと思うのが普通なのだ。澄花のような、人の罪を見て避けようとする者は別だが。


 帰りのバスの中での会話も、盗聴を警戒しているのか踏み込んだことは話さない。

 施設の普通の感想と、そして事前に言われていた、宿泊のある勉強会への参加である。

 それ以上に踏み込むには、入信するしかない。

 だが二人を連れて行ったおばちゃんは、普通に手応えを感じているようであった。




 バスから出てやっと、二人はまともに会話が出来るようになる。

「澄花は狙われやすい人間ね」

 その最初の一言で、澄花はぞっとしてしまう。季節は夏だというのに。

「両親がいなくて、慰謝料と保険金でお金を持っていて、マンションまで持っている」

 確かに澄花は、不遇ではあるが金で困ったことはない。

「親戚との縁が薄い人間を入信させ、財産を全て寄付させ、宗教内部での労働力にする。カルト以外でもよく行われる措置よ」

 沙耶子は宗教の負の面を大いに知っている。


 異教徒との戦争、異端の弾圧、原理主義の暴力。

 それに限らず宗教は、人類が最初に手に入れた麻薬とも言われる。

「性質が悪いのはそうやって収奪されていても、本人は幸福に感じていることなのよね」

 沙耶子はおそらく、そういった現場もたくさん見てきたのだろう。


 だが、澄花に限ってはその心配はない。

 人間がいる限り、そこは彼女にとっては安住の地ではないのだ。

 基本的に澄花が引き篭もるのは、人間が誰も信用出来ないからだ。


 沙耶子は、その澄花を理解した上で、利害関係も一致した上で一緒にいてくれる。

 彼女は人間ではないが、澄花にとっては最も安全な存在であるのだ。

「うちに来る? これからのことも話したいし」

「一度帰るわ。荷物も整理したいし。明日の夜はどう?」

「夜ならいつでも大丈夫だけど」

 澄花は夜遊びはしない。

 影が出来にくい夜は、確かに人間の罪を見なくても済む。

 だが同時に、背負っている罪が分からないのだ。曇っている昼間に出会う人間の危険さよりも、夜に歩く人間の方が危険なのは、彼女にとっては当然のことだ。


 なんだか少しずつ、人生が楽になってきた気がする澄花。

 夜に誰かと話すなんて、あの事故以来ほとんどなかったことだ。

 吸血鬼で、大量殺人者なのに、沙耶子は特別で、澄花にとっては貴重な存在となる。

「じゃあ明日、待ってるから」

 そして二人は別れる。




 一度帰宅した沙耶子は、学校の制服に着替えてからまた街へ出る。

 この制服の方が、釣りやすいのだ。

 繁華街から少し離れたマンション。近くには監視カメラはない。

 本日の獲物は、前から目をつけていたものだ。

 相手の環境が変わったことにより、狩りやすくなった。


 殺した人数は三人。そのうち最初の一人は、間接的な殺人であり、未成年で罪になることがなかった。

 後の二人は、飲酒運転による轢き逃げ。父親のコネと伝手を使って、どうにか身代わりで刑務所行きを免れた。

 その父親も足を引っ張り続ける息子に対し、もはや愛情など抱いていない。だが監視の必要はあるため、同じマンションでは暮らしている。


 息子は親が寝静まった後、コンビニなどに出かけたりする。

 悪い仲間と会うこともあるが、一人でぶらぶらとしたりもする。だが手元にあまり現金がないため、基本的には何も出来ない。

 金のない彼に利用価値はなく、一度親に暴行を働いてからは、親の雇った人間にボコボコにされて、もう逆らう気は失せている。

 下手に逆らわず、こうやって生きていける人間。

 親でさえ実のところは、死んでしまうならばその方がいいと考えているのだろう。

 もっとも下手に行方不明にしては、また何か事件を起こすのではと、内心はびくびくするかもしれないが、こちらはそれを断ち切ってやるのだから、金をもらってもいいぐらいだ。


 着崩した制服で、声をかける。

「こんばんわ、お兄さん」

 その美貌、そして匂い立つ危うさに、禁欲を強いられてきた男は、すぐに箍がはずれそうになる。

「あれ、持ってない?」

「あ。あれか? 今はないな」

 アレなどというものはどうでもいい。だがあちらにはそれが何か想像出来たらしい。

「じゃあさ、次に会う時までに、手に入らないかな?」

「そうだな、無理じゃないと思う。いや、俺が言えばどうにでもなるさ」


 おそらく男の頭にあるのは、ドラッグなりなんなりのことなのだろう。

「じゃあさあ、先払いしとこうか。あたしもちょっと楽しみたいし」

 そして沙耶子は、用意しておいた内装が整えられる前のビルに男を誘う。




 何もない空間で、男と向かい合った

 正面から抱き合うように、男の顔を手で引き寄せる。

「さよなら」

 片手で口を押さえながら首の骨を折り、もう片方の手で背中の骨を折る。

 ほぼ即死の状態から、一気に首筋に牙を立て、血液と共に生命エネルギーを吸収する。


 三人を殺した血は美味い。

 沙耶子は澄花に言っていないが、たくさん人を殺した人間の血ほど、栄養価が高いだけではない。

 味も美味なのだ。


 灰よりも細かくなって消滅した男の、持ち物だけが手の中に残る。

 これだけの処分は、もう沙耶子には慣れたものだ。


 用意していた紙袋の中にそれを入れて、沙耶子はビルを出る。

 実はビルの防犯カメラは既に作動しているのだが、沙耶子は自分が、それに映らないようにしていた。

 吸血鬼が鏡に写らないことの応用だ。逆も出来る。


 もはや殺した男のことなどカケラも考えず、沙耶子は澄花のことを思う。

 彼女は、自分自身の影に、罪を見ることは出来ないと言っていた。

 この先、彼女が手引きすることによって澄花が人を殺していった時、その殺人の責任は、澄花には及ばないのだろうか。

 もしそれも共謀殺人であるならば、澄花の殺す人数は、どんどんと増え続ける。


 もしそうなった時には、殺して食べてしまうか、それともこのままの関係を維持するか。

 果たして彼女にその、罪を見る目を与えた存在は、彼女の罪をどう数えるのだろうか。


 日本に来たのは、占いによるものだ。ここには自分の求めていたものがあると。

 それは当たる占いであったため、沙耶子はそれを全く疑っていない。

 だが求めるものとは、果たしてなんなのか。自分でもはっきりとは分からない。

(けれどまずは、16人)

 鼻歌交じりの気安さで、沙耶子は家路を急ぐのであった。

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