第5話 神の名の下に
沙耶子がやって来たのは、そろそろシャワーを浴びようかと澄花が考えていた頃であった。
明日が日曜日とは言え、澄花の生活のパターンはほとんど変わらない。
12時までには寝て、7時には起きる。
沙耶子の存在は、そのパターンを崩すものであった。
友人と呼んでいいのだろうか。
お互いがお互いを利用しているが、ある程度はお互いを大切にしようと思っているのも事実だ。
それに沙耶子は人を殺す以外にもたくさんの罪を犯しすぎていて、逆に澄花は気にならなくなるのだ。
「もう少し早い時間に来てほしかった」
「何? もうこんな時間に寝るの?」
「寝るのはもう少し後だけど、いつもはこのぐらいにシャワー浴びるから」
「あ~、じゃあ先に入ってきて。そこそこ長い話になるから」
遠慮なく言われたとおりにシャワーを浴びた澄花であるが、奇妙な感覚だと思っていた。
以前にも夜にこの部屋で会ったが、あれから随分と沙耶子は澄花の生活に深く関わってきたように思う。
数百年を生きる吸血鬼。おそらくその手自らを汚したという点では、この世界でも最大の殺人鬼であろう。
だが澄花にとっては、救世主だ。
だからといって依存するのでもなく、良い距離感があるとは思う。
もっとも澄花が沙耶子について知っていることは少ない。
どこに住んでいるのか、誰と住んでいるのか。
数百年を生きているというのは、殺した人間の服装を見るに確かなのだろう。
だがどうして、よりにもよって獲物の探しにくい日本にいるのか。それもこれだけ日本語が喋れるのだから、かなり長い時間を過ごしていたのは間違いない。
シャワーを浴びた澄花は髪をまとめると、リビングのテーブルに戻った。
沙耶子は荷物からノートパソコンを取り出して、携帯からインターネットにつないでいる。
吸血鬼である沙耶子は、弱点とは言わないが、人間の真似をする上で難しいことがある。
その一つは、大きな荷物を持てないということだ。
身につけた服程度ならば、自分の肉体と共に変身してしまえるが、これだけの荷物を持っているとそうはいかない。
「とりあえず昼間の男は殺してきたわ」
沙耶子は報告したが、それは澄花には分かっていた。
彼女の罪の記録の中に、あの三人の人間を殺した男の顔が追加されていた。
「他の二人はまあ非常食として、あの16人殺してた男の方も、正体だけは分かったわ」
そして沙耶子が澄花に見せたのは。
「新興宗教?」
「愛善光明会。主に関東圏を中心に、信者数20万を超える、まあありきたりな宗教団体ね」
沙耶子にとってはどうだか分からないが、澄花には胡散臭いとしか思えない団体である。
愛善光明会は1950年に設立された宗教団体、世界愛善教を母体とする。
当初は教祖である田村五作の心霊指圧治療を行う、宗教ではなく民間医療団体から発していた。
この施術が奇跡的な効果を出していたため、患者や信奉者を中心に田村を担ぎ上げることになる。
病を癒してもらった患者などからの寄付を、他の医療研究に投資するために、宗教法人として設立。
この経緯から分かるように、つまりは田村の集めた資金を、より医療に向けて税金などを取られないようにするため、宗教法人として発足した。
もっとも田村自身は死ぬまで借家に住んでいたような、清貧をモットーとする善良な人間であったらしい。
「待って。そもそも心霊指圧治療って何?」
澄花は知らないが、そういう療法があるのだろうか。
「ただの指圧マッサージなんでしょうけど、世の中にはそれで奇跡を起こせる体質の人間もいるのよ」
「つまり超能力者ってこと?」
「吸血鬼がいるのだから超能力者がいてもいいでしょ。ね、超能力者さん」
言われてみれば澄花も、一種の超能力者である。
さて、田村が本物の超能力者だとしても、一人で診れる患者の数には限界がある。
そのため金を投じて通常医療へ貢献していたわけであるが、中には田村を神格化し、その真似をして指圧を行い、ある程度の効果が出てくる者もいる。当たり前だ。マッサージは普通に気持ちのいいものなのだから。
治療の前に田村の住む方角へ礼をして、何やら呟いてから施術を行う。
人間は自己暗示で病気を治してしまうこともある生き物なので、そういうことをやってもある程度の効果がある患者もいるわけだ。
ここでポイントなのが、この施術によって高額の代金などを請求しないことである。
効果がなければ、まあマッサージの一種だと一回きりで納得する人間の方が多いし、あったとしたら、あんなに効果があるのにこんな低料金でと、話題になるわけである。
80年代に埼玉にある信者というか後援者というか弟子が、そのやり方で大成功した。
田村としては自分の力は自分一人の特別なものであり、他人のやったことで起こる奇跡はただの偶然だと分かっている。
ここで活動を抑制することも出来たのだが、その田村が急死してしまった。
そして埼玉支部は独立を果たし、愛善光明会を名乗るようになったわけである。
この宗教団体の巧妙なところは、まず初回料金と基本料金が安いことと、そしてある程度の効果は必ず期待出来ることである。なにしろマッサージなのだから。
埼玉支部の支部長は、新たな愛善光明会の会長を名乗り、田村を教祖としながらも、実際は己が全てを差配した。
この会長が小室美和子という女性である。
「そこからはまあ現世利益の治療を武器に、それらしい教義をでっちあげて、集金をしていく宗教になったわけね。医療への投資という部分はなくなって」
母体の世界愛善教は現在も存在するが、医療への寄付を謳う微妙な宗教団体であり、信者数は五万人程度らしい。
宗教法人の設立の上では当然ながら教義が必要であったが、田村は神道を元とした自然崇拝を口にはしていたらしい。
愛善光明会はこれを魔改造し、真善美の一致を教義とした。
「それって何かで聞いたことがあるような……」
「ギリシャ哲学ね。人間の追及する三大概念。英語でも使われているけれど、プラトンやカントが有名かしら。あとは仏教でも似たようなものはあるけど、仏教の真理はそれすらをも離れたところにあるわけだし」
「え、沙耶子って宗教に詳しいの?」
「だって私、キリスト教全盛の暗黒中世に生まれたのよ?」
「……ちなみに沙耶子は宗教を信じてるの?」
「一応はキリスト教になるのかしらね。そもそもイエス本人だろう人間に会ってこうなったわけだし」
「え、待って待って。キリストは紀元前後の人よね?」
「イエスは十字架で処刑された後、三日後に復活したらしいわよ」
「……それ、信じてるの?」
「あの人は何も言わなかったけど、まああの人が本物のイエスでも私は驚かないわ」
色々と突っ込みたいところはあるのだが、それはまた今度でもいいだろう。
愛善光明会は現世利益の世界愛善教とは違い、観念的なものを取り扱うようになった。
それが真善美なのであるが、具体的には一般社会を汚濁の社会と規定し、そこから離れて自然農法などを利用した食事、一般マスコミなどの情報の排除、共同体の設立などである。
埼玉の山奥に本部を置き、そこに美麗な建築物を建て、町を作って半ば自給自足の生活を送っている。
そこに暮らすのはせいぜい2000人ぐらいであるが、在家信者ははるかに多い。
そして信者からの寄付などで美術品などを買いあさり、それを信者だけが見れる美術館に展示している。
こういった芸術に触れることが美だとでも定義しているのだろうが、教祖田村の清貧の精神は完全に失われている。
「それで、どうなったの?」
ここまでならば、少しカルトは入っているが、人殺しがそうそう出るようなものではない。
人が死ぬのは、やはり金が絡むからである。
そしてそこに、ようやくあの男が現れる。
初代会長美和子の長男であり、現会長奈緒子の弟。それが小室亮一である。
一般的なカルトの新興宗教と同じで、愛善光明会も信者と家族との絶縁などの問題があった。
愛善光明会の賢明な、あるいは狡猾な点は、ここでは無茶な信者の隔離や奪還などを行わなかった点である。
金は取れるところから取れ。
それで上手くいっていたのだが、周辺の状況がそれを難しくした。
そう、あのオウム真理教の事件である。
地下鉄サリン散布、弁護士一家殺害など、新興宗教全般がカルトであり悪と断ぜられた時代があった。
愛善光明会は基本的にはこれを、布教活動や治療活動の限定化で、乗り切ろうとした。
しかし維持に必要な金銭は必ず発生するもので、それを確保するために一部の信者を家族から奪い、そしてその家族を殺害した、らしい。
「らしいっていうのは?」
「立件までは出来なかったっていうことよ。殺すのはごく少数で、最大限の旨みを。カルトとしては格段に頭の良さが違うわね」
沙耶子は笑うが、澄花としては笑えない。
生まれるずっと昔の事件とは言え、年に一度ぐらいはテレビで特集されるような事件だ。
テロ。そんな集団よりも巧妙で、そして間違いなく人を殺している。
「実行犯は亮一と一部の信者なんでしょうね。どう洗脳したのかは分からないけど、なかなか密かに殺すのは難しいわ」
それを面白そうに語る沙耶子も人間ではない。吸血鬼なのだ。
「現世利益をあくまでも追求し、身の程を知っていたことが、生き残れた要因でしょうね」
「今は何を収入にしてるの?」
「そこまではまだ調べてないわ。だってこれ、教団がセンセーショナルだった頃をまとめたサイトだもの」
なるほど、と言うべきか。
一応教団のサイトはあって、おおまかな説明はしてある。
自然農法で栽培した野菜の販売や、元の本業であるマッサージなどの店を経営しているのだとか。
そして宗教法人による活動のため、税金がかかりにくい。
「なんだかマッサージのお店のホームページだけを見たら、普通のマッサージ店に思えるけど」
「詐欺師は詐欺師の顔をしていないのよ」
「……確かに」
だいたい人を騙す人間ほど、見た目は誠実そうにしているものだ。
「それで、どうするの?」
「もちろん食べるけど……どういう手順を取るか」
珍しく沙耶子は悩んでいるらしい。
沙耶子の殺人者の捕食は、基本的に簡単なものだ。
一度に全ての血をエネルギーとして吸い尽くすため、遺体が残らない。
服などを上手く処理出来れば、警察などが動くこともない。服だって血液などがついていなければ、事件性があるとは認められにくい。
「問題は本体の教団の方まで手を出すかどうかなんだけど……」
沙耶子の悩みは、澄花の考えるのとは別の方向であった。
ホームページを見ていたら、その経営するマッサージ店は、埼玉だけではなく都内にもあった。
むしろ東京と神奈川が多く、人口密集地だけではなく、自宅の一部を改造して経営している場合もあるようだ。
「澄花はマッサージとかは受けたことある?」
「特には。体は固いけど、これは柔軟体操とかヨガとかの方が良さそうだし。沙耶子は?」
「吸血鬼は病気しないから」
そうか、病気をしないのか。
「もしもその教祖さんが生きてたら、話を聞いてみたかった気もするけど」
同じ、不思議な力を持つ者として。
「じゃあ明日、とりあえず行ってみる?」
「え? マッサージに? 私どこも凝ってないけど」
「ものは試しよ。ほら、明日予約が取れるみたいだし」
「えええ」
やはり沙耶子は、推しが強い。
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