第4話 物色

 梅雨が明けた太陽の季節。

「暑い……」

 日差しよけのつばの広い帽子に、薄手の白いワンピース。ちょっと田舎の道を歩くなら合いそうな服を、街中で着るセンスが致命的な、メガネをかけた少女。

「だから私がお金出すから、お店の中に入ろうって言ってるのに……」

 ノースリーブのシャツをタイトスカートから出した少女は、ボタンを二つ外して露出を多くしている。その肌は白く、日焼けしそうにもない。

「人殺しを殺してもらうのは、私にとっても必要なことだから」


 一学期の期末試験を終えた週末、九条沙耶子に呼ばれた澄花は、彼女の食事探しに協力していた。

 即ち、人を殺したことをある人間の捜索である。

 沙耶子の行う吸血、つまり殺人には、彼女なりのルールめいたものがあるし、色々と考慮していかなければいけないものもあった。

 それに澄花が想定していた吸血鬼とは違う特徴もあり、彼女に協力するのは思ったよりも難しかった。


 まず、沙耶子は吸血鬼と己を言うが、彼女が吸収しているのは血液ではない。誠の死に様を見ていたから納得するが、血液を通じて生命力そのものを吸っていたのだ。

 だから体が塵になるまで乾いて砕けて消えた。

 そして輸血用の血液パックでは、生命力を補充することは出来ない。人間以外の血液、生命エネルギーは、吸収は出来るがほとんど空腹を満たさない。なので彼女は付き合い以外では食事をしない。

 同じ人間から何度かに分けて吸うことは出来るが、自然回復を待ったり拘束する場所などの準備を考えると、一人からは一度に全て吸い尽くすのが現実的である。

 また旧来の吸血鬼のイメージ通り、普通の人間は途中で吸血をやめると、眷属の吸血鬼になってしまう。その吸血鬼は沙耶子のような縛りはなく吸血が可能であるが、かなり理性や知性が怪しくなる場合が多い。

 つまり常に新鮮な殺人者が必要なのだ。


 どれだけ人殺しを探さなければいけないのかと思った澄花であったが、そこには意外な現実があった。

 沙耶子は吸血鬼としての力を使わない限りは、二週間に一人程度の血を吸うだけで、どうにか生命を維持できるのだ。

 実際は完全に安静にしていれば、二ヶ月の断食が可能であるという。

 しかし弱った状態で吸血鬼としての力を発揮するのは難しいので、やはり二週間程度が限界と見るべきらしい。


 そして沙耶子は、非常食、あるいは保存食とも言うべき存在を確保している。

 即ち殺人者だと、彼女が確認してある人間である。

 どうしても他に殺人者が見つからない時は、その人間を食べる。

 だがせっかく住所や人間関係など、殺してもあまり騒がれないような人間なので、それは本当の非常の場合のためにとっておきたい。


 また同じ殺人者でも、その殺した数が多ければ多いほど、栄養価は高いらしい。

 戦争や内乱などで、数十人を殺した人間の血を吸った時などは、半年ほども吸血の必要がなかったほどだという。

 だが代償もある。

 沙耶子としては正確に実情を知ってもらうために、自分の弱点に関しても明かさないわけにはいかなかった。

 彼女は、殺人を犯していない人間を傷つけると、お腹が空いてしまうのだ。

 誠から血を吸うときに彼を叩いたのは、自分が空腹にならないことで、誠が殺人者であることを確認したのである。


 誠が姿を消してから二週間。

 ちょっとした話題にはなっているが、何かの事件と関連して考えている者はいない。

 警察への届は出されたらしいが、事件性が考えられないものは、そう重点的に捜査されるものではないらしい。

 この間に一人、既に澄花は人殺しを見つけて、沙耶子に食わせていた。

 その後も何人かは見つけたが、事件になる可能性が高そうなので、非常食として後回しにしている。

 澄花は人殺しが怖いが、本当に怖いのは何人も殺している人間だ。

 殺すことに躊躇いを覚えなくなってしまった人間。だから澄花は、誠のことは避けるだけで放置していたのだ。

 飯田春菜が関わる前までは。




「ねえ澄花、私思ったんだけど」

 色々と説得の材料を考えていた沙耶子は、ようやく理論立てて口にする。

「澄花が人殺しを私に知らせてくれるのは、確かに私と澄花の利害の一致だと思うの」

 今更のことを沙耶子は言う。

「だけど偶然見つけた人殺しを私に教えるんじゃなくて、わざわざ私のために人殺しを探す手間をかけるのは、私に有利すぎない?」

「……そうかも」

「私のためにわざわざ特定の殺人犯を探すなら、その分は報酬を得てもいいと思うの。それでなくても、せめて食事を奢るぐらいは」

「う~ん……」

 考え出した澄花を目の前のファミレスに連れ込もうとした沙耶子であるが、澄花はその手を振り払う。


 別に拒否したわけではない。目的のものを見つけたからだ。

「いた」

「あの三人組?」

「そう。中央の男が三人、その内の一人を左右の二人と一緒に殺してる」


 沙耶子の食事を手伝う上で、澄花が己に課したルールの一つ。

 それは、捕食するのは出来るだけ、二人以上殺している人間を選ぶということ。


 人間は罪を犯すと、その後の行動がどうなるか、主に二つのパターンに分けられる。

 罪を悔いて二度と犯さないようにする人間と、罪に慣れて限度なく犯してしまう人間。

 だから沙耶子がよほど空腹の時以外は、二人以上を殺している人間を優先的に殺す。その方が沙耶子の空腹も紛れるし。

 殺すことへの枷が外れてしまった人間、機会さえあればすぐにまた殺人を選択する人間など、恐怖以外の何者でもない。


 自分たちの前を通り過ぎた男の、影を澄花は踏む。

 これは罪を詳しく知るための手順だ。

 記憶の追体験であり、気持ちのいいものではないが、もう澄花は慣れてしまった。

 慣れてしまったがゆえに、人間の全てがもう怖い。

 それでもやはり、殺人の追体験は恐ろしい。


 震える澄花の肩を抱き、小さな声で沙耶子は問いかける。

「どう?」

「強盗犯。抵抗されて二人殺してる。一緒に殺したのは一方的に三人で殺したみたい」

「じゃあその店で待ってて」

 ファミレスを指し示し、沙耶子は男たちを追った。




 すぐ食べるのか、後で食べるのか。

 あの言い方だとそれほどの間もなく戻って来そうだと思いながら、澄花はアイスティーを頼んだ。


 獲物を狩る時、基本的に沙耶子は澄花を同行させない。

 心遣いとかではなく、純粋に足手まといだからだ。

 もっとも大量の犯罪者の中から、人殺しを選ぶ時には同行させるかもしれない。暴力を振るっていい獲物とそれ以外を区別するために。


 茫漠とした思いの中、なんとなく入り口を見ていた澄花は、戦慄した。

 入店してきた、40代から50代と見える男。

 外の陽光に照らされたその男の影には、10を超える殺人の死者が見えた。

 緊張して体を強張らせる澄花の横を通り、男は隅の席へ座る。

 澄花と同じように、誰かを待っているのか。


 沙耶子を待つべきだとは思うが、確認しておくべきことはある。

 トイレに行くフリをして、その男の横を通る。

 窓から射し込む陽光のおかげで、影を踏むことが出来た。


 16人の殺人。

 その内容のあまりのおぞましさに、慌てて澄花はトイレに駆け込んだ。

 不自然だったかとも思ったが、あそこまで殺人を簡単に行う人間には、慣れてきた澄花でも怖くなる。

 沙耶子に比べたら、どんな人間でもマシなのだろうが。


 こんな時間にこんな場所で一人というのは、澄花と同じく誰かを待っているのか。

 この人間は、逃がしてはいけない。

 世界と自分の平穏のために、なるべく早く殺す必要がある。

 振り向いて確認すれば、あちらにも顔を見られるかもしれない。

 あれだけの人数を殺しているならば、澄花一人を殺すことだって簡単に行うだろう。


 沙耶子に連絡するべきか。だが彼女が殺人犯を追跡中ならば、下手な連絡は入れづらい。

 澄花は一応携帯端末を持っているが、生活に必要なことのために入れているもの以外、個人的には沙耶子の連絡先しか知らない。

『大量発見。キリがよければ戻ってきて』

 とりあえずメッセージだけを送っておく。

 そのメッセージへの返信もないうちに、また男が現れた。

 こちらは殺人の罪こそ背負っていないが、それでも多くの罪が見える。

 おそらくは詐欺師。罪を見るのに慣れた澄花は、被害者の顔でおおよその見当までつくようになっていた。


 年頃は30歳ほどで、スーツを着たサラリーマンっぽい。

 だが女性と年寄りを中心に、騙されて絶望した顔を見た。


 沙耶子はまだ来ない。


(もう一度)

 何度もトイレに行くのは不自然なので、スマホを耳に当てながら向かう。

 二人分の影を踏んで、一瞬の間に見えた記録を頭に焼き付ける。

 この行為はおそらく、精神衛生上良くない。沙耶子に早く食べてもらって、世界を安全にしてもらおう。




 席に戻って息をついていると、対面にどんと座った気配。

 そこには沙耶子がいたが、服装は変わっていた。

「何かあったの?」

「澄花があんなメッセージ送ってくるから、尾行を切り上げたの」

 それは服を変える理由にはならないだろう。


 澄花の視線の問いかけに、沙耶子は朗らかに笑った。

「丁度、タバコのポイ捨てをしてたから」

 単に注意で済ます沙耶子ではない。

「片足と片腕折って、とりあえずこれ以上は被害が出ないようにしてきたの」

 なるほど、沙耶子は過激すぎる。


 その場から離れるついでに、服も変えたということだ。

「それで、今日やるの?」

 三人を殺しているのなら、さぞ栄養価は高いだろう。

「いきなり通り魔的に襲われたわけだから、しばらくは警察がついてるかもしれないわね。でも下手につつかれると、犯罪がばれるかも」

 沙耶子は考えているが、足まで折ったなら少しの間は病院に入院するのかもしれない。

 彼女の力であれば、夜中に病院に忍び込んで、こっそり始末するぐらいは簡単だ。

 ただ吸血鬼の力を使わなければいけないので、お腹が空くのは問題だろう。

 真昼間から暴行を受けた人間が消えてしまうのも、警察が追いかける理由にはなるはずだ。


「それは後で考えるとして、大量なのはどの人?」

「トイレ近くのボックスの二人組で、年齢の上の方の人。若い人はたぶん詐欺師だけど、人は殺してない」

「ふうん」

 沙耶子は同じようにトイレに向かって、二人をちらりと確認した。

「年嵩の方は、外国のマフィアのボスに感じが似てるわね。でも上手く血の気配は消してる」

「でも16人は殺してるのよ」

「澄花の言葉を疑っているわけじゃないわ。


 沙耶子は飲み物を注文すると、改めて澄花に向き直る。

「私はこれから、年嵩の男の方を尾行して、何者か調べるわ。今日家に行っていい?」

「それはいいけど、私に何か出来ることはある?」

 澄花の問いに、沙耶子は首を横に振った。

「澄花、安全に生きるために危険なこともしなきゃいけないわけじゃないのよ。

 沙耶子の考えは、かなり合理的だ。

「国によって時代によって、安全と安心は、価値が変わってくるものよ。貴方が無駄に危険に身を晒すのは、間違った罪悪感よ」


 それが正しいのかどうか、澄花には分からない。

 ただ彼女は、人殺しがのさばっている世界が怖いというだけで、沙耶子の存在を認めている。そして救われている。

 少しでも人殺しのいない世界で、澄花は生きたい。ある意味当たり前の願いを抱いている。

 人を殺しても人殺しとカウントされない例もあり、それは澄花も許容出来る範囲なのだ。

「今日はありがとう。貴方もやることはあるでしょう?」

 沙耶子の言葉は感謝ではあるが、同時に拒絶。

 これ以上は自分の世界に入ってくるなという、優しい断絶。


 沙耶子は人ではない。

 彼女がもっと簡単に生きられる場所は、おそらく世界のどこにでもある。

 なぜこんな、人殺しの少ないであろう国に来たのかは分からないが、今の彼女の行動は、おおよそが澄花の能力に縛られている。

 相互互恵関係であることは間違いないが、沙耶子が食事を見つけるのは、世界的に見れば他の場所の方が簡単だろう。

 だから今はまだ踏み込まない。

「じゃあ今夜、待ってるから」

「ちょっと遅くなると思うわ」

 そして澄花は席を立ち、店を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る