第2話 殺人者
結局放課後までを保健室で過ごした後、澄花は家に帰ることにした。
授業が終わってしばらく時間をかけてから、鞄を持って校舎を出る。
教室に戻って、あの少女と顔を合わせる勇気はなかった。
澄花の目が罪と認めるのは、主観ではない。だが、客観とも言い切れない。
相手側に原因があって、事故で人が死んでしまった場合、犯罪とされなくても殺人の罪が影に刻まれる。
判別が難しいのは医療従事者で、詳しく話を聞くわけにもいかないが、どうも手の尽くしようがない人を助けようとして助けられなくても、殺人扱いにはならないらしい。
医者の知り合いがいればそのあたりも確認出来るのかもしれないが、人の命を扱っている人間に、そんな好奇心だけからと思われるような問いかけをすることは難しい。
包丁を使って殺人がなされても、もちろんその包丁を作った人や、殺人者に包丁を渡した人には、罪は刻まれない。
刀は武器ではあるが、おそらくこれも鍛冶師は問題ないだろう。
同じく銃器なども工場製作で、製作者の人間には罪科はつかない。
交通事故などで、車で人を殺してしまえば、殺人となる。車を売った人に罪が刻まれないから、銃器などでも同じはずだ。
裁判所へ行き、死刑執行された死刑囚に判決を言い渡した裁判官を見たが、その死刑囚を殺害した扱いにはなっていなかった。
自分が殺した自覚が必要なのかとも思うが、犠牲が出ることは分かっていて、軍隊を派遣する者には罪人の印は刻まれないのか。
そこまで詳しくは分からない。だが少なくとも、命令であっても戦争であっても、人を殺せば殺人としてカウントされてしまう。
誰が判断するのか。少なくとも人ではない。
神がとも思えるが、神という存在を感じたことはない。
それに殺人以外の罪も考えれば、人間が考えた、人間に対する罪だと思える。
家畜を殺す業者には動物を殺した罪など刻まれないが、愛玩動物を続けて殺していた人間には、動物を殺した罪がつく。
人間の価値観に基づいて、罪は書き加えられるのだ。
晩御飯のメニューを考えながら、吐き気を感じながらも、澄花は推測する。
九条沙耶子の殺人人数は異常であった。
100や200ではない。数え切れなかったが、1000には達していたと思う。
殺人の罪が重なりすぎていた。
それはおかしい。おかしすぎるのだ。
いくらなんでもこの時代、あの年頃の少女が、あの人数を殺せるわけがないのだ。
(それに、外国人が多かった。ううん、ほとんどだった)
明確に彼女の責任で、人が死んだ。
だが普通にやっていて、そんな数は殺せない。
たとえば、病院の発電機を壊して、送電線を切る。
おそらくこれで、機械によって生きていた患者は死ぬ。これは殺人とカウントされるだろう。
それでも数百人を殺すのは、さすがに無理だろう。
(何かの事故? でも彼女はおそらく――)
自分のしたことを、自覚している。
ここ数年で、そんな大規模な事故はあっただろうか。
澄花の考える限りでは、そんなものはなかっただろう。
致死性の病原菌をばら撒いたとか、あるいは似たような感染症……いや、病気の伝播が殺人の内に入るのか?
何か大規模なテロをしたとしても、爆弾でも銃の乱射でも、あんな人数は殺せない。
アメリカの同時多発テロレベルならとも思ったが、彼女の年齢でそういったことを指示することはないだろう。
(死んだ人は多分白人が……あれ?)
違和感があるが、それは後回しだ。
澄花の発想からは、どうしても彼女があれだけの人間を殺せる方法が思いつかない。
詳しく調べる方法はあるが、それには彼女に近付かなければいけない。
学校に、明日以降。
あの大量殺人者の、すぐ近くで過ごす? 無理だ。
家に帰り、夕食を作り、ご飯が炊ける間にノートパソコンで調べる。
自らの手で直接殺すのは、銃器で武装していても、せいぜい数百人。それも犯人は間違いなく捕まる。
重大な事故を人為的に起こしたとしても、まさか原発などには手を出せないだろう。
自然災害を起こせる特殊能力でもあれば、地震と津波で数万人は殺せるが、それはもうホラーでもミステリーでもなくファンタジーだ。
やはりありえない。
それとも何か、根本的な見落としがあるのだろうか。
(何かのコンピュータウイルスを開発して、それでコンピュータを止めて人が死んだとか?)
そもそもそんな事件があったのかも分からないし、それで彼女にまで罪科が及ぶのかも分からない。
おそらくウイルスも銃器と同じ扱いで、開発者自体は罪を負わないはずだ。
澄花は別に、効率よく人を殺す方法を考えているわけではないのだ。
他に彼女は、どんな罪を犯していただろう。
おおよそ一番大きく見える殺人の量が多すぎて、他のものには気が回らなかった。
澄花のこれは、確かに視覚的に見えているように思えるのだが、実際には違うような気もする。
変なものが見えると言って、普通の医者にはかかったのだ。もちろん異常はなかった。
両親の死んだあの事故から、自分も重傷を負ったあの出来事から、これが見えるようになった。
太陽の光でもっともはっきりと、そして影さえ作れれば他の光でも見える。
断罪の瞳。
もしも名前を付けるなら、そんなところだろうか。
考え込んでいる最中に、インターフォンが鳴る。
誰かと思って見れば、重そうな紙袋を持った誠がいた。
今は誰にも会いたくないのに。
『おっす。お袋がお裾分けだって』
肉親を失ってから、誠の母は時折こうやって気を遣ってくれる。
優しい人なのだ。
けれど優しい人だって、子供を虐待しないわけじゃない。
人が優しくなれるのは、おそらく自分に余裕がある時だけなのだ。
誠のことは一方的に澄花が怖がっているだけで、彼から被害を受けたことはない。
むしろ人との接触が少ない澄花を、案じてくれているようなところまである。
誰かにとっての悪人が、誰かにとっての善人であることは珍しくない。
戦争で何人も人を殺した人間が、その後の社会では一切犯罪を行わないように。
だから澄花は普通にドアを開ける。
「よう、どこに持っていけばいいかな?」
「ありがとう。じゃあこちらに」
リビングの床に紙袋を置いてもらう。中身はなんだろう。
お茶ぐらいは入れるべきか、そう思った澄花に向き直った誠の顔には、明らかな負の表情が浮かんでいた。
「あのさ、俺、お前になんかしたか?」
明らかな怒り。普段は取り繕って見せない、これもまた人間の一面。
「飯田に何か吹き込んだだろ」
人はこうやって、何かがあればそれまでとは違う、凶悪な人間性を向けてくる。
澄花は甘かった。いや、逆に慣れていたと言うべきか。
二面性を持つ人間は、その負の側面を、それまでに関わっていた誰かに見せることは少ない。
人目のあるところではいくらでも善人ぶった顔が出来るもので、誠もそういったものだと思っていた。
だが今のここは、明らかな密室。二人きりで誰もいない。
「わ、私は」
「あのさ、昔からそうだけど、俺ってお前に何も悪いことしてないよな? むしろご近所さんの縁で、けっこうフォローしてきたんだぜ?」
不良が捨て犬を拾うように、全てにおいて悪である人間は、むしろ少ない。
「それが恩知らずにも、陰口叩いたわけか?」
「ち、違う」
そうは言っても、震える体を抑えることが出来ない。
徐々に近寄ってきた誠によって、壁際に追い詰められる。
「ふざけんなよ!」
服の襟を掴まれて、そのまま床に引き倒される。
「恩を与えられたら恩を返すべきだろ? 俺の言ってることは間違ってるか?」
そして誠はポケットからスマホを取り出す。
「不義理には不義理をってな。心配すんな。ちょっと写真を撮らせてもらうだけだよ。もうこういったことがないように」
誠は嘘はついていない。おそらくこの期に及んでも、彼の中で澄花は、無意味に傷つける対象ではない。
相手を選んで傷つける。人間ならば不思議なことではない。
部屋の明かりに照らされて、誠の影が見える。本当に彼は、澄花にとっては危険な人物ではないはずなのだ。
写真などと言っているが、それを口にした時には、嘘をついた罪は見えなかったし、脅迫の罪も見えない。
彼にとっても、おそらく誰かの視点からも、これは罪と数えられていない。
澄花は力を抜く。下手に抵抗しなければ、確かに他には危害を加えられはしない。
そういった意味では、澄花は誠を信用している。
「悪いな、本当に、保険みたいなものだから」
そう言いながら澄花の服に手をかけた誠は、ぐいと後ろから引っ張られて、澄花の上から消える。
何があった、と澄花は上体を起こして、そこに信じられないものを見た。
誠のシャツを軽々と片手で引き、宙吊りにした九条沙耶子の姿を。
「九条……さん……」
なぜここに、という疑問の前に、部屋の照明で彼女の影がまた見える。
おそらくは軽く1000は超えるほどの、圧倒的な殺人の記録。
九条沙耶子は冷然とした表情で、必死で呼吸をしようとする誠を気にもせず、澄花を見据える。
「ねえ、貴方は何を見ているの?」
妖艶であり、そして同時に戦慄を覚える。
九条沙耶子は、真摯な瞳を澄花に向ける。
沙耶子が手を離し、ドンと誠は床に落ちる。
澄花から目を逸らして、沙耶子は誠と視線を合わせた。
「貴方がじゃあ、タケミーという人ね。妹を苛めたり、母親に暴力を振るったり?」
それは違う。
誠は虐待を受けていた側なのだ。体が成長し、それが逆転しただけで。
それでも罪は罪であるが。
「ねえタケミー君」
沙耶子はうっすらと笑った。
「人を殺したことはある?」
誠の表情に動揺以上に、恐怖の色が混じる。
「お、俺のせいじゃない!」
「ふうん」
頷いた沙耶子は、掌を翻して誠の頬を張った。
誠は女性から暴力を振るわれることに、心理的外傷を抱えている。
呆然と頬に手をやり、沙耶子に反撃することもない。
「なるほど」
叩いた手を数度握った沙耶子は、上気したような笑みを見せる。
「貴方、運が悪かったわ」
抱きつくようにして誠を拘束し、その首筋に唇を寄せた。
誠の口が絶叫の形に開くが、そこから叫び声は洩れない。
洩れたとしてもこのマンションは、防音性に優れている。だから誠も澄花を脅迫しようとしたのだ。
誰かを殴ったりして泣かせても、その叫びが聞こえない密室。
誠ならず、澄花が悲鳴を上げても聞こえない。
誠の顔が黒ずんでいく。
土色から、枯れ木のような黒に。そして肌が張りを失っていく。
これは何? 何をしている?
九条沙耶子は何をしている?
誠の腕が床に落ち、枯れ木のようになりながらも、まだ沙耶子は唇を離さない。
やがてくろずんだそれは、ポロポロと崩れ落ち、塵よりも小さな粉となり、空気に消えた。
身につけていたものだけがそこに残り、髪の毛一本すら、誠の痕跡は残っていない。
ありえない。水分の全てを失っても、人間はこんなようには消えたりはしない。
「久しぶりの食事だけど、あまり栄養はないわね」
人を一人丸呑みしておいて、どれだけ足りないというのか。
そうか。分かった。
この少女は、人食いだ。だからあんなにも、人を殺している。
「ば、化物……」
「失礼ね。私はそう……」
天井を指差して、沙耶子は告げた。
「太陽の下でも動けるだけの、ただの吸血鬼よ」
どこか茶化すように、彼女は言った。
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