第443話 恋心と共に眠る

「私、まだゆーくんのことが好きなんです」


 そう呟いた晴香はるかは、少しぎこちない笑顔を必死に向け続けながら、一呼吸を置いてから言葉を紡ぐ。


「でも、勝てっこないじゃないですか。私が忘れてる間にゆーくんはずっと魅力的になって、素敵な女の子たちに囲まれてるんですから」

「…………」

「永遠の愛なんて信じるタイプじゃないですし、浮気した時点でそんなものは夢のまた夢だって覚悟してたんです」

「ハルちゃん……」

「それでもゆーくんが優しくしてくれるから、昔と変わらない温かい手で私を引っ張ってくれちゃうから――――――――――――」


―――――――――もう、期待したくないんです。


 優しさのままに動けば、幸せになってくれると思っていた。でも、小刻みに震える彼女の肩が、自分の過ちを示していた。

 もちろん、優しさに従うこと自体は間違いではない。しかし、際限なくそれをしていいのは、この状況になった時にも迷わず晴香の幸せを選べる人間だけなのだ。

 彼は……唯斗はそうではなかった。彼の心は既に、身支度を終えて病室から飛び出そうとしているのだから。


「私のせいでゆーくんの人生に無駄な時間を作ってしまうことが、とても苦しいんです」

「……」

「今日のような大切な日は、私なんかと過ごすには勿体ないですよ。ね?」

「……わかった」


 ここで意地を張って居座ったとしたら、晴香は喜んでくれるだろうか。

 唯斗はそう考えかけたが、想像するまでもなく答えは明確だった。

 今の彼女にとって最も苦痛なのは、自分が彼のことを引き止めてしまうこと。つまり、残るというのは最悪の選択になる。

 真に晴香のことを想うのなら、自分勝手を自分勝手で補填することだけは避けなければならない。だから、唯斗は素直に荷物をまとめ始めた。


「……」

「……」


 カバンのチャックを閉め、肩にかけて出口へと向かう。次に会う時は何と声をかければいいのだろう。

 そんなことを思いつつドアをスライドしてあげようとした瞬間、背後から「ゆーくん」と名前を呼ばれた。


「どうしたの?」

「あと一つだけ、伝えたいことがあります」

「聞くよ、時間はまだあるから」


 唯斗が振り返って真っ直ぐに見つめると、晴香はベッドから降りてトコトコとこちらへ歩み寄ってくる。

 そして「1分だけ、体を貸してください」と言いながら抱きついてくると、彼の目を見上げて少し口角を上げた。


「ありがとうございます、一度でも私のことを好きになってくれて。その気持ちを忘れないでいてくれて、ありがとうございました」

「……こちらこそ、ありがとう」

「そんなゆーくんを好きになれた私が、とても幸せだったことをようやく思い出せました」

「お互い様だよ」


 彼女はこれが最後と言わんばかりに強く抱きしめると、きっちり1分で離れてベッドへと戻っていく。

 そのままこちらに背中を向けて横になってしまったので、唯斗はそれ以上何も言わずに部屋を出た。

 パタリとドアが閉まった後の病室で、しばらく押し殺すようなすすり泣きの声が止まなかったことを彼が知る由もない。


「この失恋の記憶は、消えて欲しいけど消えちゃダメなんですよね……」


 心の赴くままに呟いた一言は、頭まで被った布団の中に少し残ってから消えていく。

 それでも確かに自分の内側に残っているそれらを、ひとつずつ拾い集めるところから間違った人生をやり直そう。

 そう心に誓いながら、晴香は記憶を抱き枕にして二度寝をするべくそっとまぶたを下ろすのであった。


「おやすみなさい、恋する私」

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