第442話 究極の選択

 あれから唯斗ゆいとは、晴香はるかを元気付けようと楽しかった思い出をいくつか話した。

 初めて一緒にカフェに入った時のこと。初めて2人で映画を見た時のこと。初めて2人で……図書室の本棚に隠れてキスをした時のこと。

 唯斗にとっては全てが浮気について知る前の純粋な『良い思い出』なのだが、ひとつ話す度に彼女は一瞬だけ苦笑いを浮かべた。

 きっと自分との記憶自体はいいものであると捉えてくれているはずだ。ただ、思い出そうとすると当時の罪悪感も紐付られて出てきてしまう。

 逃れようにも逃れられないその後悔に何度も弱攻撃を食らう晴香の様子に、唯斗も出かけていた言葉を思わず引っ込めた。


「あ、ごめん。つい一人で盛り上がっちゃって」

「いいんですよ。楽しそうに話してもらえると、私もすごく嬉しいんです」

「……ありがとう、ハルちゃん」

「お礼を言うべきなのは私の方ですから」


 彼女がそう言って微笑んだ直後、少し離れた場所に置いていた彼のスマホが短く震える。

 そう言えば、寝ている間にも何度か鳴っていたと晴香が言っていたが、タイミングがタイミングなので目覚めてから一度も確認していない。

 唯斗がチラッと音の聞こえた方へ視線を向けると、彼女は「私のことは気にしないでください」と窓の外へ視線を向けてくれた。

 気を遣わせてしまった感は否めないが、メッセージの主はだいたい予想がついている。きっと、帰らなかったことを心配されているのだろう。


『唯斗、何か、あった?』


 こまるからだ。少し遡ると、天音あまねも心配しているという内容の通知もある。

 ついうたた寝してしまったとはいえ、事情の説明くらいは簡単にしておくべきだったかもしれない。

 彼はそう心の中で頷くと、今の状況を簡単にまとめて送信ボタンを押した。すると、十数秒後に『そっか』と呟くネコのスタンプが返ってきた。

 その可愛らしさに少しクスリとすると、晴香の方を振り返って元の位置に戻ろうとする。

 しかし、数秒後に届いたメッセージを見た唯斗は、

 思わず画面を見つめたままピタリと足を止めてしまった。


『じゃあ、今日の、デート、中止?』


 いつもと変わらない約3文字区切り。そのせいで淡々とした文章にも見えるが、きっと今のこまるは不安そうにスマホを握り締めているのだろう。

 予定外のアクシデントが起こったとはいえ、イヴという日に自分よりも晴香を優先されるということは、ある意味彼女の負けを意味してしまうから。

 それでも思い出した晴香と話したいことはまだ沢山ある。あの頃は恥ずかしくて言えなかったことが、今の自分なら思ったよりもすんなり言えることに気がついたのだ。


「あの、ハルちゃ――――――――」

「行ってあげてください」

「……え?」


 こちらが説明する前に、晴香は表情や細かい動きから何を言われるのかを察していた。

 窓の方へ向けられていた視線は変わらず澄んだ青色を反射しているが、発された声は弱々しく震えて壁の中へと消える。

 そんな彼女の瞳から頬を伝ってこぼれた涙は、自分の罪を悔やんだ時の余り物などではない。

 思い出を聞く度に歪ませた表情が心のどこかに蓄積させていた悲しみ……失恋の傷跡から流れた血だった。


「私、聞いていて思ったんです。ゆーくんは絶対に私のことを好きとは言わないなって」

「どういう意味?」

「ゆーくん、好きって言うじゃないですか。その度に思い知らされるんです、自分がもう過去の存在であることを」

「そういうつもりじゃ……」

「無意識に現れてるんですよ。でも、わかってたんです。私たちを繋いでいたのは後悔ですから、それが消えたら一緒にいる理由なんて残りませんし」

「そんなことない。僕は今でも晴香のことを大切な存在だって―――――――――」

「じゃあ、あの時みたいにキスしてくれますか?」

「…………」


 唯斗が返事を躊躇うと、晴香は少し視線を落としながら顔をこちらへと向ける。そして、無理に作った笑顔を見せながら呟いた。


「私、まだゆーくんのことが好きなんです」

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