第439話 約束とは更新されていくもの

 これは唯斗ゆいと晴香はるかが何度目かのお家デートをしていた時の話。

 晴香が用意していた映画の中から選んだのが、主人公の姉が記憶を丸ごと失ってしまうというお話だった。

 その映画を一緒に見終えた後、テンプレ的な流れでお互いに感想を述べ合う時間があったのだが……。


『ゆーくんはさ、もし私がゆーくんのこと忘れちゃったらどうする?』


 今思えば、まるでこうなることを予知していたかのような質問を投げかけられたことがあるのだ。

 もちろん、その時の2人はいわゆるラブラブカップルで、唯斗の性格も明るい方だったため、カッコつけた答えを返した記憶がある。

 『それでもずっと一緒にいる』だとか、そんなところだ。けれど、彼女が求めていた答えは他にあったらしかった。


『私は、ゆーくんに忘れられたら全部諦めるよ』

『……え?』

『ふふ、驚いた顔してる。でも、本気だから』

『……』

『いやいや、ゆーくんのことは大好きだよ? でも、どんな理由であれ忘れられたらリセットってことになるからさ』

『そ、それはそうだけど!』

『だから、ゆーくんも私が忘れちゃったら他にいい子探してね。忘れられた側は、ずっと消えた記憶と一緒に生きる辛さを抱えることになるんだから』

『わ、わかったよ……』


 あの時の思い出の最後に残された『まあ、忘れることなんてないと思うけど』という呟きが、何度も頭の中で反響する。

 晴香の方はこの記憶も残っていなかったのだろう。「そんなことが……」と顎に手を当てながら深刻そうに俯いていた。


「だからね、『忘れられたら忘れる』って約束を守れなかったことを怒られると思うんだ」

「お、怒りませんよ? だって、ゆーくんに会いに来たのは私の方からでしたし……」

「それでも僕はあれから前に進めてない。ハルちゃんと離れて独りだった期間、ずっと同じ場所で足踏みしてただけだから」

「……でも、独りじゃなくなったんですよね?」

「……そうだね。僕の話を、真剣に聞いてくれる人がいてくれたから」


 あの日、寝言で呟いた『ハルちゃん』という言葉を夕奈ゆうなが聞き取ってくれなければ、今でも自分だけの問題になっていただろう。

 彼女がちゃんと話を聞いてくれて、一緒に怒ってくれたから、数年ぶりに新しい足跡を付けることが出来たのだ。


「ゆーくんは幸せ者だったんですね。あれだけいい友達がたくさん作れたんですから」

「そこは認めざるを得ないかもしれない。ハルちゃんとの件が無かったら、今みたいにはなってなかっただろうし」

「私も少しはゆーくんの人生の役に立ってるってことですか?」

「少しじゃない。少なくとも、中学時代の僕にとってのハルちゃんは何よりも優先すべき人だった」

「ふふ、それは嬉しいことを聞いちゃいましたね」


 クスクスと笑いながら立ち上がった彼女は、唯斗の手を引いて立ち上がらせると、休憩は終わりだと廊下を再度歩き始める。

 見えてくる景色は足を止める前と何ら変わりないが、言葉にして吐き出したおかげか表情の青白さはマシになっている気がした。


「ここから先が病室のあるエリアみたいですね」

「そっちは見なくていいんじゃない?」

「それもそうですね。おそらく、記憶喪失に関しては診察だけしかしないと思いますし」

「じゃあ、一応一通り見れるところは見たね」

「帰りましょうか」

「うん」


 お互いに頷いて、繋いだままにしていた手をどちらからともなく離す。そんな微笑ましい光景を見せた直後だった、予想外の事態が発生したのは。


「「…………え?」」


 来た道を引き返そうと振り返った瞬間、視界の中心に写ったのは看護師さんに車椅子を押してもらっている男性。

 悪いのは足だけではないらしく、背もたれに預けている背中も片側に大きく傾いていて、表情もどこか力が入っていないらしかった。

 これだけであれば、ただ何か不幸な事故に遭ったりした人なのかもしれないと考えられる。

 しかし、2人の体がピクリとも動かせなくなったのは、その男性が忘れたくても忘れられない顔だったから。


「あ、あの人……私、知ってる気が……」

「……うん、そうだね。僕も知ってるよ」


 どれだけ雰囲気が変わろうと間違えようもない。彼こそ、自分から晴香を奪った不良彼氏なのだ。

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