第437話 信じたくない現実もある

 脳波の検査のためにやってきた2人は、名前を呼ばれると一緒に中へと入っていく。

 そこには診察室にはなかった高そうな機械が並んでいて、先程とは別のお医者さんが持ってきたものは、ドラマなんかでたまに見る頭にたくさんコードみたいなのを付けていくタイプだった。


「では、測定していきますね」


 スイッチをオンにすると、微かにキーンという耳鳴りのような稼働音が部屋の中に広がる。

 画面には脳波の波形が映し出されているようで、それがどんな時にどんな動きをするのか調べることが、この検査の主な目的だった。


「では、中学生の時のことを思い出してみてください」

「中学生の時……?」

「そうです、ゆっくりで構いません」


 思い出せと言われて思い出せるなら病院になんて来ていないが、その質問の意味するところは失われた記憶に触れようとした時の脳の動きが波形に現れるということだろう。

 唯斗のいる場所からは見えないが、お医者さんの反応からして特に異常はないということが伺える。

 ただ、苦しそうに歪む表情は直視出来なかった。今でも苦しさは変わっていないらしい。


「では、そちらの男性」

「僕ですか?」

「はい。清水さんの手を握ってみてください」

「えっと、わかりました」


 何か効果があるのかは分からないが、お医者さんが言うなら逆らう理由も無い。

 そう思いながら唯斗がそっと晴香の手を握ると、「……なるほど」という呟きが聞こえてきた。


「あなたが手を握った際、清水さんの表情は僅かに安定しました。ただ、脳波の振れ幅はより大きくなっていますね」

「それってどういう……」

「記憶喪失が精神的な安定に影響されるということは、原因も外的な何かではない可能性が高いということになります」

「……そう、ですか」


 これが正式な発表ではないにしても、こんなにもあっさりと答えがわかったのなら誤診の疑いもないのだろう。

 もしも外的な何かが悪さをしているのであれば、簡単ではなくともそれを手術で取ってしまえば回復の見込みがあった。

 しかし、敵なんてそもそも存在しないのなら、何を目的に治療すればいいのかが分からなくなってしまう。


「ストレス性の解離性健忘かいりせいせんぼうです」


 最終的に伝えられた診断結果も、やはり精神的な要因で間違いないというものだった。

 唯斗自身も、薄々分かってはいたのだ。何度も病院に通って、それでも原因が見つからないのだから。

 それでも信じたかった。晴香がこれから途方もないような期間、失った記憶と一緒に歩まなければならないことにはならないだろうと。

 否定して欲しかった。自分が好きだった人が、自分の臆病さのせいで一生を狂わされることになったかもしれないという事実を。


「来月からは精神科の方へ通ってください。そちらでストレスやトラウマを軽減する治療を行うと思いますので」

「……はい」

「何か大きな出来事でもあれば、再び記憶が戻ることもあると思うのですが―――――――」


 それからは何を言われたか、あまり覚えていない。放心状態だったところを晴香に連れ出してもらったあたり、記憶喪失の本人よりもショックを受けていたらしい。

 彼女だって『怖いイメージがある』と言っていた精神科に通うことが決まって、きっと不安でいっぱいなはずなのに自分が情けなかった。


「そうだ、ゆーくん。まだ時間ありますか?」

「今日は他に予定は無いよ」

「じゃあ、精神科の方を見に行きませんか? 今日のうちに慣れておけば、次は平気だと思うんです」

「それもそうかもね。同じように記憶について悩んでる人もいるかもしれないし」

「ですよね! では、早速行きましょう♪」


 落ち込んだ雰囲気を和らげようとしているのか、ニコニコと笑いながら手を引いてくれる彼女。

 そんな2人はその後、予想外の事態が降りかかることをまだ知らなかった。

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