第436話 見えない理由

 こまるとイヴデートの予行演習(仮)をした翌日、唯斗ゆいとは予定通り昼頃に家を出た。

 目的はもちろん晴香はるかの付き添い。彼女の記憶喪失に少なからず勝手に責任を感じている彼にとって、今日はかなり大切な日なのだ。

 だって、治療の見込みがあるかどうか判断されるということは、すなわち昔の晴香自身が戻るかどうかという意味になるのだから。


「ごめん、お待たせ」

「ゆーくん! もしかしたら来てくれないんじゃないかって心配でしたよ……」

「来ないという選択肢は無い。ちょっと、行かないでって引き止められちゃってね」

天音あまねちゃんに?」

「いや、布団に」

「……ふふ、ゆーくんは面白いですね」

「そうかな」


 こまるが家に泊まっているという話は、ややこしくなりそうなのでとりあえず伏せておく。

 今は自分よりも大きな不安を抱えているであろう彼女を、少しでも楽しい気持ちにしてあげたかった。


「じゃあ、行きましょうか」

「うん。頑張ろうね」

「頑張るのは診断してくれるお医者さんですよ?」

「診断される側だって、心構えとか色々あるからさ」

「……今の私の気持ち、分かってくれてるんですね」

「分かりたいし、分かろうとしてるよ」

「ふふ、ゆーくんに来てもらって正解だったかもしれないって今から思えてきました♪」


 先程までの表情の硬さを誤魔化すような笑いではなく、いつも通りの柔らかい微笑みを見れて、胸の中にあった突っかかりがひとつ取れたような気がする。

 とりあえず、病院に入るまでにやることは全てやれただろう。唯斗はそう判断すると、待ち合わせ場所のすぐ近くにある大きな病院へと2人で入った。

 予約されている時間よりも少し早めの集合にしたため、先に腹ごしらえでもしようと病院内のカフェでオシャレなサンドイッチを食べる。

 そうこうしているうちに診察は10分後まで迫っていることに気が付き、慌てて店を出てエレベーターに乗り込んだ。


「ふぅ、何とか間に合いましたね」

「エレベーターにギリギリ乗れてよかったよ」


 ここの病院のエレベーターは高齢者の方や怪我をしている人のため、昇り降りのスピードが若干遅くなっているらしい。

 あのふわっとした感覚は、人によってはあまり良くないのだろう。そのため、ひとつ逃せば次に来るのは何分後になるか分からない。

 何はともあれ、今日のような大切な日に遅刻というあまり宜しくない思い出を刻むことにならなくて、唯斗は正直ホッとしていた。


清水しみずさん、1番の診察室へどうぞ」


 ちょうどイスに座ろうとしたタイミングで看護師さんにそう言われ、僕たちは呼吸を整えてから「失礼します」とおそるおそる中へ入る。


「こんにちは、1ヶ月ぶりですね」

「はい、先生」

「今日はお母様はいらっしゃっていないのですか?」

「母の代わりに彼に来てもらいました」

「彼? ああ、あなたが『ゆーくん』ですか」


 お医者さんはなるほどと頷くと、早速晴香に診察台の上で横になってもらうよう言って、手袋を付けた手で彼女の頭に触れていく。

 どうやら記憶喪失の原因となったあの事件の傷を確認しているようで、それは腕のいい医者が縫合したおかげでもうある程度目立たなくなっているんだとか。

 押さえても痛みを感じないところから、外傷についてはこれ以上病院側が触れる必要は無いらしい。


「1年前から何度も撮影しているMRIでも、脳に腫瘍やその他の病気は見つかりませんでしたからね」

「それはつまり、目に見える問題ではないってことですか?」

「そうなります。現段階でも最終的な診断を行うことは可能ですが、念の為に脳波の検査もしてみましょう」


 お医者さんはそう言うと、検査場所の案内が書かれたプリントを渡してくれた。

 2人はそれを頼りに診察室を出ると、「とりあえず、傷が隠せそうで安心したよ」「触るとまだ分かりますけどね」なんて会話をしながら目的地へと向かうのであった。

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