第419話 能ある猫は爪を隠す

 お風呂から上がった後、唯斗ゆいとはこまるの髪を乾かしてあげてから、2人で自室へと向かった。


「ところでこまる。どこで寝るつもり?」

「唯斗の、隣」

「だよね。一応聞いただけだよ」


 一緒に寝ることが当然かのように言ってのける様子に、彼も特に口を挟むことなく部屋の中へと招き入れる。

 すると、こまるは早足でベッドへと向かい、何やら鼻をクンクンとさせ始めた。何か気になることでもあるらしい。


「……夕奈ゆうなの、匂い」

「そりゃ、今日の朝までそこで寝てたからね」

「夕奈、好き。でも、2番目、複雑」

「そう言われても困るよ」

「こんなことも、あろうかと、持ってきた」


 彼女はそう言いながらカバンの中から消臭剤を取り出すと、ベッドに向けて吹きかけようとしてふと思い留まった。


「唯斗の、匂いも、消える……」

「新しく付くからいいんじゃないかな」

「……それも、そっか」


 匂いのせいで自分が2番目の宿泊者だと意識しなくて済むのならと割り切ったのだろう。

 シュッシュッとベッドに消臭剤をかけたこまるが、待ちきれないとばかりにこちらへ駆け寄ってきて抱きついてきた。

 そしてスンスンの匂いを嗅いで来たかと思えば、ベッドの中へ引きずり込むようにして2人で入り、これでもかと言うほど引っ付いてくる。


「こまる、暑いよ」

「我慢、して。私も、我慢、した」

「……1週間のこと?」

「いえす」


 こくりと小さく頷いた彼女がパジャマを握る手の強さから、少し今の気持ちが伝わってくるような気がした。

 確かに彼女は唯斗のことを好きと言ってくれていて、それでも1週間は邪魔をしない約束を守るために我慢してくれていたのだ。

 最後には若干破った疑惑もあったが、丸6日我慢したなら上出来だろう。その反動がこの甘えなら、あまり強くは拒めない。


「頑張った、褒めて」

「うん、こまるは偉いよ」

「もっと」

「いい子だったね、よしよし」

「キス、して」

「さすがに度を超えてる」

「じゃあ、ハグで」

「それくらいならいいかな」


 腕を広げる姿を見て、仕方ないと抱き寄せてあげると、彼女はちゃっかりその勢いのまま唇を重ねようとしてきた。

 さすがに以前のように折れる理由も無ければ、易々とキスなんて許していいはずがないので、ギリギリのところで顔を逸らして回避する。

 ただ、こまるにはそれすら読まれていたようで、唇の代わりに口の傍にやってきた耳へ「だいすき」と囁かれた。


「そんなに何度も言ってると、告白の価値が落ちちゃうよ?」

「好きは、無尽蔵むじんぞう。価値は、ずっと、最高値」

「確かに」

「それに、言わないと、意味無い。好きだから、伝える。間違い、ちがう」

「それもそうか。伝えないと、どれだけ想ってても相手からしたら何も無いんだもんね」

「いえす。だから、伝える。伝えなきゃ、大爆発」

「そんな恐ろしいことになるの?」

「何するか、分からない」

「……じゃあ、好きなだけ伝えてもらおうかな」

「いいの?」

「だって、爆発したら困るでしょ」

「私は、困らない」

「僕は困るよ」


 いくら自分より小さな相手とはいえ、自制心を失った人間というのはそう簡単に止められるものでは無い。

 ましてやこまるは甘え上手な上に、100点を3つ取ったご褒美である『お願い権』を所持しているのだ。

 夕奈に与えた権利と違い、こまるからのお願いを断る権利が唯斗には無い。つまり、法的にアウトなことでない限りは実行義務があるということ。

 彼女の優しさでまだ行使はされていないが、彼はいつ牙を剥かれるか分からないという不安定な足場の上で生かされているのである。


「今日のところはハグで我慢してよ」

「わかった」

「ありがとう」


 ただ、猫も爪を引っ込めているうちは人を傷つけることは無い。いかにして武器を取り出させないかに関しては、自分の腕の見せどころだろう。

 唯斗は心の中でそんなことを呟きながら、腕の中で寝息を立て始める彼女の頭をそっと撫でてあげるのだった。

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