第413話 帰り際は何度も振り返りたくなる

夕奈ゆうな、もう5時だよ」

「うん……」


 陽葵ひまりさんが帰ってくる夕方頃には帰る。そう言っていた夕奈が、その時間になって駄々をこね始めた。

 普段は大人しい女の子に『帰りたくないの』なんて言われればトキメキも感じるだろうが、彼女がやると大きな子供状態である。

 とりあえず勝手に荷物をまとめて持たせてあげるところまでは行ったものの、その先は夕奈の意思がなければ進めなかった。


「やっぱり、シャワーを浴びてから……」

「夕奈?」

「じょ、冗談だって!」


 どう見ても冗談のつもりな表情ではなかったし、なんならもう一晩泊まるつもりかもしれない。

 しかし、明日の朝にはこまるが来る。1週間の約束を破ったことを知られれば、きっと無言でお仕置が飛んでくるだろう。

 これは夕奈を守るためでもあるのだ。もちろん、一緒にいたいと思ってくれることは嬉しいが。


「ほら、陽葵さんが寂しがっちゃうよ」

「……わかった」


 遅くなったせいで、今頃陽葵さんは誰もいない家に帰宅した頃のはずだ。これ以上、おかえりを伝えるのが遅れるのは妹としても心苦しいらしい。

 渋々ではあるものの小さく頷くと、カバンを持って玄関へと向かってくれた。


「……ねえ、唯斗ゆいと君」

「まだ粘るつもり?」

「むっ、違うし。一つだけ聞かせて欲しいの」

「ひとつだけね」


 靴を履き終えて立ち上がった夕奈の言葉に、彼は頷いて見せる。質問くらいならそう時間は取られないはずだから。


「楽しかった……?」

「……」


 いつかにも聞かれたその文言に、僕は自分の瞳孔どうこうが開くのを感じた。

 あの時は花音かのんに聞かれて言葉を詰まらせてしまったが、今の自分はもうその段階に居ないのだと気付かされたから。


「楽しかったよ、すごくね」

「……そっか、よかった♪」


 ホッとしたような、混ざりっけのない純粋な笑顔。釣られて唯斗も少し微笑んだ。

 追いかけるように放たれた「ま、まあ、夕奈ちゃんは美少女だから楽しくて当然なんだけど!」という言葉には、真顔をお返ししたけど。


「じゃあ、また1週間後ね」

「本当に来ないつもり?」

「寂しいなら来てあげてもいいよ」

「じゃあ、また1週間後」

「ちょいちょい?!」

「冗談だよ」


 冗談とは言いつつも、こまるとの約束があるなら本当にしばらく会えないだろう。

 でも、きっとイヴかクリスマスにはみんな集まるだろうし、お呼ばれしたら会えるかな。

 唯斗がそんなことを考えている内に、ようやく覚悟を決めた夕奈が玄関を開けた。

 しかし、こちらを振り向いていた顔を前に向けた瞬間、彼女はピタッと足を止める。


「……え?」


 ――――――目の前にこまるが立っていたのだ。

 しっかりスーツケースを持って、暖かそうな服に身を包んでいる辺り、家出だと飛び出してきた訳では無いらしい。

 つまり、『泊まりに来た』というのが正解だろう。しかし、RINEのやり取りを見返しても、来るのは明日の朝で間違いないはずだ。


「こまる、どうしたの」

「……日付、間違えた」

「間違えた?」

「いえす」


 間違えたと言う割には、時間も8時間ほど間違えているが、わざわざそこへツッコミを入れる気にはならなかった。

 だって、その無表情の向こう側に、『わざと早く来た』という思惑が垣間見えていたから。

 それでもバレていないと思っているようで、平然と「間違えた、ごめん」と謝ってくる彼女にとやかく言うことは、唯斗には到底出来なかった。


「ま、マルちゃん? 夕奈ちゃん、唯斗君との大事なお別れシーンなんだけど?」

「バイバイ」

「あ、うん。バイバイ……じゃなくて。邪魔しないって約束だったじゃん」

「夕奈、遅いから、悪い。計画では、邪魔、ならない、はずだった」

「いや、計画って言ったよね?!」

「……空耳」

「無理があるよ!」


 結局、その後も玄関先でハイテンションとローテンションの言葉のぶつけ合いが続き、最終的に夕奈が悪いということで追い出されてしまった。

 確かに夕奈がダラダラ引き伸ばしたのも悪いが、早く来たこまるにも非が無いわけじゃない。

 不満そうに帰っていく彼女の背中を眺めながら、二人の関係が悪くならないことを密かに願う唯斗であった。

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