第407話 世の中には恋愛対象の絶対条件に匂いが含まれる人もいる

 照れと湯気の熱気で完全にのぼせた夕奈ゆうなは、それでも唯斗ゆいとが上がるまでは一緒に入ると意地を張っていた。

 その結果、風呂場を出るや否やすぐに床に倒れ、打ち上げられたマグロのようにぐったりとしてしまう。

 このまま放っておくと風邪を引いてしまうものの、自分ではどうしようもないので天音あまねを呼んでパジャマを着させてあげてもらった。


「うぅ、まだクラクラする……」

「上がった方がいいって言ったのに、僕の忠告を素直に聞かないからだよ」

「だって唯斗君と入るの楽しいんだもん。こんな機会、あと何回あるかわからないし……」

「それは……確かにそうだね」


 何回あるかわからないなんて言われれば、ついつい自分が天音に対して言った言葉を重ねてしまう。

 妹ならまだしも、そもそも高校生の男女が混浴していること自体がおかしなことなのだ。

 頑張って背伸びしたとしても、許されるのは中学生まで。何回あるかと考えるよりも『もうないのでは』が先に出てくる方が自然である。


「どうせ入るなら、めいっぱい満喫したいじゃん?」

「その気持ちはわかるけど、それでフラフラになったらみんな心配するよ」

「……そのみんなには唯斗君も含まれてる?」

「当たり前でしょ」

「ふふ、よかった」


 安心したように微笑みながら、「ベッド、借りるね」と横になる夕奈に、彼は何気なく近くまで移動して腰を下ろした。

 スマホの画面で動画を見つつも、時折振り返って寝息を立て始めた彼女の顔を確認する。

 まだお風呂で体に溜まった熱が抜けきっていないようで、首元に少し汗をかいているのが分かった。


「もう、ベッドに汗が染みちゃうよ」


 起こしてしまわない程度の小声で文句をこぼすと、机の上からティッシュを取ってきて、4つ折りにしてからそっと汗を拭ってあげる。

 それが案外気持ちよかったようで、寝返りを打った夕奈が少しだけ顎をあげて首を見せた。

 眠っていればこうして素直なところも可愛いらしい。優しくティッシュで撫でる度、微かに緩む口元に視線を吸われる。


「すぅ……すぅ……」

「…………」


 しばらくの間、寝息に耳を傾けるだけの時間が流れた。何度も聞いてきたこの穏やかなリズムには、何故かいつも自分まで眠気を誘われるのだ。

 抵抗しようとしても、睡眠の誘惑には押し負けてしまう。そんな唯斗を強く惹きつけるものを、あの騒がしい口から発しているのだから不思議で仕方がない。


「じゃあ、僕も寝ようかな」


 ティッシュをゴミ箱へ入れ、部屋の電気を消してからなるべく音を立てないように夕奈の隣へと寝転ぶ。

 すると、それを見計らったかのようなタイミングで彼女がもう一度寝返りを打ち、寝顔がこちらを向いた。

 同時に流れてくるのは、自分と同じシャンプーの匂い。もうお泊まりも5日目。同じベッドで寝るのも連日5回目。

 そろそろ慣れたかと思っていたが、暗い部屋で少し意識がそちらへ傾くと、案外強く意識してしまうというもの。

 自分の体も自然と夕奈の方へと向いていて、シャンプーの香りと共に感じる彼女本来の安心させてくれる匂いに、無意識の内に鼻をくんくんとしていた。


「へえ、そんなにいい匂いするんだ?」

「っ……」


 それからどれだけ時間が経ったかは分からない。突然耳元で囁かれ、驚きで唯斗の体がビクッと跳ねる。

 しかし、すぐに伸びてきた手で背中を撫でられると、「大丈夫、怒ってないから」という言葉を聞いて焦っていた気持ちがスンと落ち着いた。


「夕奈ちゃん、知ってるよ。唯斗君が時々私の匂いを嗅いでるの」

「……知ってて寝たふりしてたってこと?」

「初めは本当に寝てたよ。でも、さすがに首元でくんくんされるとくすぐったいもん」

「ごめん、つい……」

「謝らなくていいよ」


 彼女は暗闇の中でそっと頭を撫でると、布団の中でさらに体をくっつける。

 そして唯斗がしたのと同じように首元に顔を寄せ、くんくんと相手の匂いを嗅いだ。そして。


「はい、これでお互い様だね♪」


 全く見えないものの、優しい笑顔を浮かべてくれているのが伝わってくる。

 そんな夕奈がその後、「やっぱり、まだ物足りない!」と寝落ちそうになっている唯斗にしつこく擦り寄った結果、彼の方が折れたことはまた別のお話。


「唯斗君が先に嗅いだくせに……」

「それはお互い様になったはずだよね?」

「やっぱり取り消す! あと10分させて!」

「ずるい」

「寝てる女の子にくんくんしたのは誰かにゃー?」

「……いいよ、好きなだけしても」

「ふふふ、抵抗したら天音ちゃんに言うかんね」

「悪魔め」

「可愛い悪魔にさせるなら本望っしょ♪」

「まあ、否定はしないね」

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