第388話 ドアは時に凶器になる

 おバカな問題なおかげで目が冴え、気が付けば国語の問題集は全て解き終えてしまっていた。

 これがもし学校側の作戦だったとしたら、唯斗ゆいとはまんまと手のひらの上で踊らされたわけである。ダンスなんて少しも出来ないが。

 そんなことを考えると同時に、背後でモゾモゾと布団が動き始める。

 こっそりと覗き込んでみると、夕奈ゆうながうっすらと開けた目でこちらを見ていた。


「……唯斗君、早起きだね」

「そういう夕奈こそ。まだ7時だよ、休みにしては早いんじゃない?」

「じゃあ、一緒に二度寝する?」

「しない」

「もう、連れないなー」


 ケラケラと笑いながら体を起こした夕奈は、寝癖でボサボサになった髪を撫でながら、「顔洗ってくるね」と部屋を出ていく。

 そう言えば自分も洗ってないなと思い、自分も行こうとドアに向かおうとした彼は、ふとベッドの上に置きっぱなしになっている夕奈のスマホを見つけた。


「あれ、画面がついてる」


 わざわざ画面を暗くしているのは、暗闇の中で見ていたからだろうか。音もミュートにされていて、よほど気を付けていたらしい。

 ただ、唯斗が気になったのはそこではない。開かれたままになった風花ふうかとのトーク画面。そこに表示されている送信時間だ。


「……20分前、だよね」


 20分前といえば、唯斗がちょうど3つ目の文章題に取り掛かった頃になる。

 目が覚めてベッドから出るには十分すぎる時間が流れていたにも関わらず、夕奈は目が合った時にまるで寝起きかのような反応を見せた。

 その理由を考えていると、ドタドタという足音とともに部屋へ駆け込んできた彼女が、大慌てでスマホをひったくる。


「……見た?」

「……見た」

「せっかく上手く誤魔化したと思ったのに……」

「どうして誤魔化す必要があるの?」

「だ、だって、夕奈ちゃんは唯斗君にとってウザイ女の子だし? こういうの合わないじゃん」


 その言葉で全て理解した。夕奈は目を覚ましたにも関わらず、唯斗が勉強していることを知って静かにしてくれていたのだ。

 自分が目を覚ませば、少なからず会話が必要になる。そうすれば集中力が切れ、邪魔になってしまうと思ったから。


「へえ、夕奈もたまには考えるんだね」

「いつも考えとるやい!」

「例えばどんなことか言ってみて」

「どうすれば唯斗君がデレてくれるか、とか?」

「デレる?」

「うへへ、夕奈ちゅわぁん……的な!」

「え、キモっ」

「そのストレートはグサッと来るよ?! 藤川〇児くらいズドンときちゃうかんね?!」

「例えがよく分からない」

「時速156km級ってこと」


 具体的に数字を出されても、分からないものは分からない。唯斗にも分かることと言えば、藤川〇児が火の玉ストレート投げられるようになる4ヶ月前に奥歯を治療したということだけだ。

 ……いや、特に伏線とかもないネット情報だけど。


「まあ、気遣いには感謝してるよ。ありがとう」

「唯斗君が私にお礼を……熱でもあるの?」

「ないよ。ついでに言うと、恋の熱にも浮かされてないから」

「聞いてない角度から殴り返してくるのやめて?!」

「一応言っておくけど、夕奈が気遣いしたところで僕は何も驚かないからね」

「どしてなのさ!」

「夕奈が優しいことくらい、もう知ってるから」

「っ……じゅ、準備してない角度から褒めるのもやめてよ……」


 唯斗からすれば、ストレートをもう一発投げてあげただけなのだが、火の玉は打てても褒め言葉には手も足も出なかったらしい。

 顔が火の玉になりかけている夕奈は見つめられてあわあわとすると、「か、顔洗ってくりゅ……」とフラフラ扉へ向かっていった。

 そんな彼女を「さっき洗ったでしょ」と止めようとして、彼はピタッと動きを止める。


「お兄ちゃん、おはよ! あれ、師匠は?」


 手を伸ばしていた先で、ドアが開くと同時にゴンッと鈍い音が薄暗い室内へ響いたから。


天音あまね、ドアの後ろ」

「…………あ、師匠。頭押さえてどうしたの?」

「だ、大丈夫だ、問題ない……」

「平気みたいでよかったね。じゃあ、天音はもう1回入ってくるところからやり直してくれる?」

「ちょっと、唯斗君?」

「今度はさっきの3倍くらい強く押してね。ゴンッて言ったら、一度引いてもう1回押そうか」

「鬼畜過ぎない?!」

「顔を洗うくらいにはスッキリすると思うよ」

「スッキリと同時にぽっくりしちゃうから!」


 そんなことを言って断固拒否の姿勢だった夕奈だが、天音が見つめてくると、仕方なくドアに背を向けて腰を突き出す姿勢になった。そして。


「お尻ならいいよ!」

「「……え」」

「いや、冗談じゃん!」


 その後、結局5回ほどドアで叩かれていたが、唯斗はそっと目を背けたことは言うまでもない。

 それにしても、夕奈が悩ましい声を漏らすのもそうだが、兄として天音が少し楽しそうにしていたのも勘弁して欲しい限りである。

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