第386話 睡眠と匂い

 夕飯後、師匠と弟子で仲良くお風呂に入りに行く2人を見送りつつ、先に入った唯斗ゆいとは入れ違いで自室へと向かう。

 先程までこの部屋で遊んでいたらしいが、思ったよりも丁寧に使ってくれているらしい。

 ベッドが綺麗に整えられているところを見るに、夕奈ゆうなも少しは礼儀というものを学んだようだった。


「この様子なら、1週間泊めても大丈夫そうだね」


 そんな独り言を呟きつつ、少し横になろうとベッドに寝転んだ彼は、ふと自分以外の匂いに気が付いて体を起こす。

 遊んでいる時に寝転がりでもしたのだろうか。ベッドを整えているのは、それを隠すための隠蔽工作だったのかもしれない。

 今となっては使用されたことをわざわざ怒るつもりもないが、それよりも不満なことがあった。


「……夕奈の匂い、ついちゃってるじゃん」


 背伸びして普段はつけない香水でもつけたのだろう。朝に会った時にしたのと同じ匂いが、ここにもふんわりと残っていた。

 夕奈のと言うには少し大袈裟かもしれないが、そこにあったは、こびり付くかのように手で払っても取れない。

 仕方なくそのまま目を閉じるも、ずっと鼻をくすぐるその匂いに覚える違和感が寝かせてくれなかった。


「これじゃないなぁ……」


 無意識に零れた言葉が、忘れたくても忘れられずにいたとある瞬間を思い出させる。

 それは晴香はるかについて初めて打ち明けた時に夕奈とハグをした時のこと。

 不思議とすごく安心してしまって、心が落ち着いた。別に好きな相手でもないと言うのに、匂いだけにはものすごく惹かれたのだ。


「……香水なんて、必要ないのに」


 余計なものが混ざったこの匂いが唯斗は少し嫌いだった。心がポカポカとしないから。

 けれど、やっぱりそんなことを認めたくない自分がいて、強引にでも思考を断ち切ろうとする。

 そんなことをしているうちに時間が経っていたのだろう。ようやく意識が落ちそうだというところで、お風呂から上がった彼女が部屋に入ってきた。


「ありゃ、唯斗君寝ちゃった?」

「……」


 寝ていると勘違いしたらしい彼女は、それならばとしっかり上まで閉めていたパジャマのボタンを3つ目まで外す。

 風呂上がりは熱いから仕方が無いと言えば仕方が無いが、唯斗からすれば起きていると打ち明けるタイミングを完全に無くす決め手になってしまった。


「寝る前にお喋りしようと思ってたのになぁ」

「…………」

「まあ、いっか。夕奈ちゃんの好きに出来る時間が出来たと思えば」

「…………」


 部屋主が寝ているのをいいことに、部屋を漁るつもりだろうか。しかし、やましいものなんてひとつもないから平気だ。

 そう心の中でしめしめと思っていると、閉じられた視界の中でギシギシとベッドが軋む音が聞こえてくる。

 それから布団を捲られると、突然温かい何かが体に引っ付いてきた。


「唯斗君め。夕奈ちゃんを放ったらかしにするとは罪な男だよ、まったく」

「…………」


 その正体は他でもない夕奈の体。お風呂で温められたそれを躊躇うことなく引っ付かせ、マーキングするかのように胸に頬ずりをしていている。

 いつもならすぐに離れさせたいところではあるが、今日ばかりは唯斗も上げかけた腕を下ろした。

 だって、香水の香りが染み付いたシーツが、いつの間にか夕奈自身の匂いで満たされていることに気が付いてしまったから。


「ねえ、唯斗君。寝てるって信じて言うね」

「…………」

「……好きだよ」

「…………」

「前に『次に告白するの本当に好きな人』って言われちゃったからさ。夕奈ちゃん、まだ覚悟が出来てないから聞こえないところで言わないとじゃん?」

「…………」

「だから、もう少しだけ約束守らせてね」

「…………」

「目、開けちゃダメだかんね。聞こえてても」


 意味深な響きの言葉で察した。夕奈にはとっくに寝たフリであることがバレているのだと。

 きっと、自分が今夜はずっとこうしていたくて起きようとしなかったということも、きっとバレてしまっている。

 そう分かっていても、唯斗は決して目を開けることが出来なかった。


「……好きだよ、唯斗君」


 その後、もう一度同じ言葉を囁かれたのを最後に、夕奈は穏やかな寝息を立てて眠りに落ちる。

 彼はその音を聞きながら、約束通り目を開かないままで彼女の頭をそっと撫で、数分後には自分も眠ってしまっていた。

 開こうとも思わなければ開ける気もしなかったあの重いまぶたの理由が、自分のためなのか相手のためだったのか。

 その答えが唯斗本人にもわからなかったことは、わざわざ言うまでもないだろう。

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