第371話 波打ち際の夕奈マン

 ひたすら「お姉ちゃんって呼んでよ」とからかってくる夕奈ゆうなを、渋々言う通りにして黙らせた後、3人は通称波のプールへと向かった。

 どうでもいいけれど、波のプールの正式名称である『浪波ろうはプール』を初めて聞いた時、廊下でプールをする光景を思い浮かべたよ。

 唯斗ゆいとはそんなことを思い浮かべつつ、そろそろ波が起こる時間だというアナウンスを聞きながら波打ち際に腰を下ろした。


「ええ、もっと深いところ行こうよー」

「深いところは人が多いから嫌いなんだもん」

「それがいいんじゃん?」

「あんなに居たら、もしお尻触られたとしても犯人分からないよ」

「唯斗君が触ってくれてたら誰も触らないよ?」

「僕が触ってる時点でアウトだって気づいてね」

「いやいや、唯斗君はセーフだし」

「誰が男として見れないって?」

「んなこと言っとらんやろ!」


 頬を膨らませながらそう言う彼女に「男として見てる相手にお尻触らせるんだ?」と聞いてみると、何やらモジモジしながら黙ってしまう。

 この様子なら本当に触ったら怒られそうだし、触らないでおこう。触る気なんてさらさらないけど。

 唯斗はそう心の声に頷きつつ、「深いところがいいなら一人で行って」と近くに浮かべていた浮き輪を手渡した。


「唯斗君と一緒じゃないとやだ!」

「駄々をこねる弟みたいなこと言わないでよ」

「ちっちっちっ。彼氏とペアルックしたい面倒な彼女の真似だし」

「うわ、嫌いなタイプ」

「ちなみに、ペアルックを断ると刺されるの」

「今すぐ別れちまえ」

「安心して、夕奈ちゃんはペアルックしなくても刺したりしないからさ」

「世の中の女の子の9割9分がそうなんだけど」


 当たり前のことを口にしてドヤる彼女に「いつも思うけど、夕奈の作り出すキャラって変なのばっかりだよね」なんて言っていると、少し遅れてきた陽葵ひまりさんが唯斗の横に腰を下ろす。

 ついさっき浮き輪の内側にある袋に穴が空いていることに気がついて、交換してもらいに行っていたのだ。


「夕奈ちゃんも唯斗くんも、そろそろ波が来るよ」

「陽葵さんはここでいいんですか?」

「ん? ここに決めたんじゃないの?」

「夕奈がもっと深いところがいいって」

「一人で行って来たら? その代わり、唯斗くんはお姉ちゃんがもらってあげちゃう♪」

「ぐぬぬ……それはダメ!」

「じゃあ、誰がもらうの?」

「唯斗君がどうしてもって言うなら、この美少女夕奈ちゃんがもらってあげないこともないけど!」

「…………」

「こほん、どうしてもって言うなら!」

「…………」

「ど・う・し・て・も!」

「…………」


 何度意味深な視線を送っても、目の前で手をフリフリとしてみても、こちらの動きに何の反応も示さない唯斗。

 夕奈は一瞬、いつの間にか自分が死んでいたのかと不安になったが、姉と会話が出来ている時点でその可能性はない。

 すぐに無視されているだけだと考え直しつつ、念の為に自分の頬をつねって痛みを感じることを確かめてから、彼の背中をぺちぺちと叩いた。


「どうして無視するのさ!」

「どうしてももらいたくないから」

「そんなに嫌か! ていうか、今って言ったよね?」

「……ちっ、められた」

「いやいや、唯斗君の自爆なんだけど」

「誰がボン〇ーマンだって?」

「それを言うなら起爆マン」

「ダークヒーロー?」

「それバッ〇マン」

「ホラーゲーム大好き?」

「ガッ〇マンだね」

「……よし、合格」

「いや、何のテスト?!」


 困惑する彼女に「どうしてそういう頭は回るのに、勉強できないのか不思議」と伝えると、「遊びに来てるのにその話はNG」と怒られてしまう。

 せっかくの隙間時間に脳みそを回転させてあげようとしたのに、夕奈は本当に理不尽だ。


「あ、波が来たよ」

「仕方ない、ここで我慢してやるか」

「次に波が来る時間になったら、深いところに行ってあげてもいいよ」

「っ……唯斗君、やっぱり優し――――――――」


 その後、何かを言いかけた夕奈が意外と高かった波に押し倒され、危うく溺れかけたことはまた別のお話。


「はぁはぁ……気抜いてた……」

「夕奈にしては珍しい」

「わ、笑わないでよ!」

「……」

「真顔もやめて!」

「僕にどうしろと?」

「お姉ちゃんって呼んで」

「もう一回溺れた方が良さそうだね」

「あ、ちょ、待って……今は本当に体が疲れ……た、助けてぇぇぇぇぇ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る