第357話 口約束の契約書は信頼と優しさで出来ている

 それから少し駅の前で会話をして、電車が来るアナウンスが聞こえてくると、みんな改札の方へと歩き出した。

 唯斗ゆいとがその背中を眺めながら手を振っていると、定期券を取り出してタッチしかけたこまるが何かを思い出したようにこちらへ戻ってくる。


「ん? どうしたの」

「……これ」


 そう言いながら手渡されたのは、4つ折りにされた一枚の紙。何かと思って開いてみると、そこには『鍋に入れるものリスト』と書かれていた。

 どうやらこまるが闇鍋のために持ち込んだ食材のメモらしい。バチバチキャンディーが記してあるから間違いないだろう。

 そう言えば、念の為に誰が何を入れたのかそれぞれ書いておこう……みたいなことを瑞希みずきがRINEで言っていた気がする。

 そう心の中で納得した彼は、バチバチキャンディーの下に書かれたもうひとつのものを確認して、思わず固まってしまった。

 だって、それは食材ではなかったから。


「……『こまる』ってどういうこと?」


 紙から顔を上げてそう聞いてみるが、いつの間にかこまるは改札を通ってしまっていて、みんなと一緒に電車へと乗り込むところだった。

 すぐに呼び止めようとも思ったものの、駅周辺の少し騒がしい空気の中では届かないだろうと声を引っ込める。


「そう言えば、こまるの持ってきた食材ってひとつしか出てなかったんだよね」


 パンツ混入事件のせいでややこしくなってはいるものの、単純にひとつ多く入っていたと考えれば、終了時には鍋の中に食材がひとつ余るはずだった。

 しかし、それがなかったということは、誰かが忘れたかそもそも入っていなかったかになる。

 そう考えれば、この紙に書かれている『こまる』というに文字が、単に誰のものか記す目的で書いたものでは無いことの信憑性を高めていた。


「でも、こまるが食材ってどういう……」


 首を傾げていると、進み始めた電車の窓からこちらを見ているこまると目が合う。

 彼女は何やら手に持ったスマホを指差しているようで、唯斗が自分のポケットから取り出して確認してみると、こまるのアカウントからメッセージが届いていた。


『100点、3つ、お願い、決めた』

『どんなの?』

『食べ損ねた、デザート、唯斗に、食べてもらう』

『デザートなんて無かったけど』

『紙に、書いてる』


 その一文を読んで、彼は全てを察した。こまるが言うデザートとは、彼女自身のことを指しているのだと。

 もちろんムシャムシャと食べるわけではない。彼女が求めているのがハグなのかキスなのか、はたまたその先なのかは分からないが―――――――。


「……夕奈の余計な行動には感謝しないとね」


 もしもパンツが入っていなければ、2週目の僕の食材が鍋に無いということになるため、少なくとも何かしらややこしい事になっていたはずなのだから。


『ハグが限界かな』

『キスも』

『だめだよ』

『断るの、だめ。お願いは、絶対』

『わかったよ。とりあえず満点3つ取れてから考えよう』



 最後に送られてきた了解のスタンプを見て、唯斗は駅に背中を向けて歩き出す。

 こまるの場合、絶対にありえないと言えない学力であるからこそ、夕奈相手のように安心できないのだ。

 もしもクリアされてしまえば、1日言いなりになるしかないわけで。

 強引に拒むことは可能ではあっても、出来る限り努力した意味を無視してあげなくない。


「満点2つだったら、譲歩して安全なお願いってことにも出来そうなんだけどね……」


 そんな独り言を呟いた唯斗は、どうにかして一線を越えないよう交渉できないだろうかと悩みながら、行きと違って静かな道を歩くのだった。

 その後、帰宅した彼がアイスを買い忘れたことを怒られ、再度家を飛び出すことになったことは言うまでもない。

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