第352話 視覚的情報は味にも影響する

 暗闇の中、新たな食材を口元に運んだ風花ふうかが短くも響く声を上げる。

 それは喜びだとか悲しみなどではなく、驚き一色の悲鳴に近いもの。一体何事かと全員がざわめく中、彼女は何度か咳を挟んで水を飲み干した。


「うぅ、激辛入れたの誰〜?」

「それは私だな。どうだ、美味いだろ!」

「辛すぎて味分からないよ〜」

「そ、そうか……それは予想外だった……」


「激辛餃子、喜ぶと思ったんだけどな……」という呟きから、しゅんと落ち込んでしまった瑞希みずきの顔が想像出来る。

 唯斗ゆいとは自分に当たらなくて良かったと安堵しつつ、自分の近くに置いていた水のペットボトルを風花に渡してあげた。


「舌が痛いよぉ〜」

「風花、思いっきり息吸い込んでみてよ!」

「もっと痛くなるよ〜?!」

「ほらほら、みんな期待した目で見てるじゃん?」

「え、えっと……それじゃあ……」


 夕奈ゆうなの嘘に流されて自傷行為紛いのことをしようとする彼女は瑞希が引き止め、調子に乗っている夕奈には唯斗から鉄拳制裁を加えておく。

 制裁と言ってもさすがに殴ったりすれば問題になるので、肘で肩甲骨の辺りをグリグリするだけにしたけど。

 どうやって位置を特定したかは聞かないで欲しい。夕奈の体をベタベタ触ったなんて、唯斗自身も理解したくないから。


「次は夕奈の番だな」

「ふふふ、とある界隈では闇鍋マスターと呼ばれている私に怖いものは無い!」

「へえ、ダークナベマスターなんだ」

「変な感じに翻訳しないで?! すんごい厨二病感出ちゃうじゃん!」

「安心して、翻訳する前から痛いから」

「ぐぬぬ……闇鍋マイスターのどこが痛いんや!」

「あれ、マスターじゃなかったっけ?」

「たった今降格したの」

「思ったよりシビアな世界なんだね」


 闇鍋の世界のことはよく分からないが、とりあえず偉い闇鍋おじさんが首を突っ込んで来る訳でもないので、早くしてと脇腹を肘でつついて急かす。

 夕奈はくすぐったそうに体をくねらせながら「分かったから!」と箸を伸ばすと、一度掴んだものをやめて別のものをさらに乗せた。


「これはきゅうりに違いない!」

「まだ食べてないのにどうして分かるの?」

「ふっ、きゅうりが私を呼んでるからさ」

「…………」

「無視はやめて?!」

「ごめん、謎がようやく解けてすっきりしてた」

「謎って?」

「夕奈が僕の言葉を聞いてない時があるのって、きゅうりの声を聞いてるからだったんだね」

「いや、唯斗くん何言ってんの」

「精一杯ネタに乗ってあげたんだけど?」

「真面目な顔だと分かりづらいよ!」


 そう言って机バンバンする夕奈に「見えてないくせに」と返すと、彼女が「それくらい分かるもんねー」と胸を張ったような気がする。


「まあ、僕はいつも同じ顔だけどね」

「いやいや、唯斗くんってよく見たら少しだけ変化があるんだよ。自分でも気付いてないかもしれないけど」

「そうなのかな」

「夕奈ちゃんが言うんだから間違いない!」

「テストで間違えまくってるせいで信憑性に欠ける」

「誰が赤点マスターじゃ」

「そこまで言ってないけど、気に入ったからこれからそのあだ名使うね」

「きゅうりあげるから勘弁してくだせぇ……」


 次に口に運んだものが、まともに食べられるものである保証はない。そう判断した唯斗は、「仕方ない」ときゅうりを受け取ることに。

 隣でボリボリと食べ始める彼女の咀嚼音に耳を傾けつつ、彼もようやくの食事だときゅうりを口元へと運んだ。

 しかし、唯斗は次の瞬間、「きゅうりをうめぇ!」と喜んでいる夕奈がいるであろう方向の闇を見て唖然とする。なぜなら。


「ねえ、きゅうり持ってきたのって誰?」

「私じゃないな」

「私も違います」

「同じく〜♪」

「ちがう」


 最後に夕奈から「私でもないよ?」という言葉を受け、彼の中で不確かだった想像が確実になった。

 誰もきゅうりを持ってきていないのだから、きゅうりが鍋に入っているはずはない。しかも、この味はどう考えてもきゅうりでは無いのだ。


「これ、人参にんじんじゃない?」

「……え?」


 その後、舌音痴がバレた夕奈が「ま、まあ、唯斗君を試しただけだしぃー?」と誤魔化したことは言うまでもない。

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