第349話 鍋は家によって個性がある

 あれから2時間分の授業を受け、ようやく帰れると鞄を持って立ち上がった唯斗ゆいとは、メモ帳に向かって首をひねっている夕奈ゆうなに気が付いた。

 何に悩んでいるのかは気にならないでもないが、声をかけると巻き込まれるかもしれない。彼は無意識のうちに足音まで消して背後を通り過ぎようとする。しかし。


「ねえ、唯斗君」

「……すぅ……すぅ……」

「いや、そのタイミングで寝たフリってのは、さすがに無理があるでしょ」

「夢遊病……すぅ……すぅ……」

「夢遊病の人は寝言で打ち明けないと思うけど?」

「夕奈……天才……むにゃむにゃ……」

「え、そう? えへへ……って騙されないかんな?!」


 渾身の演技力を見せたつもりが、結局あっさりとバレて捕まえられてしまった。

 それから聞いた話によると、秋も更けてきた人肌恋しいこの季節に、みんなで鍋でもしようという話になったらしい。

 それもただの美味しい鍋ではなく、いわゆるパリピの遊びである闇鍋というやつなんだとか。

 それぞれでいくつかの食材を持ち込み、何が入っているかもわからない暗闇で食べるとのこと。


「それで何を入れようかなって悩んでたんだよね」

「無難に人参とかでいいんじゃない?」

「チッチッチッ。これだから唯斗君はバラエティ精神に欠けるよね」

「鍋のバラエティは熱々の大根くらいで十分だよ」

「そんなこと言わずに考えて。夕奈ちゃんはみんなが思いつかないものを持ってくるって期待されちゃうんだから」

「期待というか、危険なものを持ち込まないかヒヤヒヤしてるだけだと思うけど」

「誰が特定危険人物指名手配犯やねん」

「いや、そこまで言ってないけど」


 夕奈のことだから、見えないのをいいことに激辛だとか激マズなものを入れかねない。

 それをもし花音かのんなんかが引いてしまったとしたら、泣きそうになりながらも気を浸かって「お、美味しいです……」と答えるだろう。

 そんな恐ろしいことは出来ない。みんなのためにも、瑞希みずきにだけは前もって何を入れるのかチェックしておくように頼んでおくべきだ。


「まあ、僕には関係ないからいいけどさ」

「何言ってるの? 唯斗君の家でやるんだよ?」

「そっちこそ何言ってるの。僕は今初めてその話を聞いたのに、了承するわけないじゃん」

「別に唯斗君の家だからって、必ずしも唯斗君にOK取らなくてもいいかんね?」

「…………」


 まさかと思いスマホを取り出して確認してみると、いつの間にかハハーンからメッセージが届いていた。

 その内容は『今晩は鍋よ』という短いものだったが、夕奈がより強い者に話をつけていたという事実を示すには十分である。


「してやられた」

「ふふん♪ 唯斗君のお母さんとはRINEを交換してるから、いつでも連絡できるのだよ!」

「知らないうちにそんな仲良くなってたんだ……」

「もし唯斗君が悪いことしたら、すぐに告げ口してやるかんね! ふふふ……」


 さすがは大魔王と手を組んだ悪魔、これは卑劣な手段も厭わないという脅しだ。

 やはり天音あまねを弟子にしておくと、いつか純粋な心を蝕みかねない。いざと言う時は助けられる準備をするべきだろう。

 そう心の中で呟いた唯斗は、彼女が見せてくる画面を見てふと気になったことを聞いてみた。


「ところで、どうして僕のお母さんの登録名が『お母さん』なの?」

「っ……戻し忘れて……いや、その、それくらい親しみを持ってるってことだよ!」

「ふーん。まあ、それは嬉しいことだけど。勘違いされそうだから変えといてね」

「勘違い……?」

「だって、お母さんだと僕たちがそういう関係みたいじゃん」

「ゆ、夕奈ちゃんは別にそれでもいいけど……」

「僕が良くないから」


 そう言いながらスマホを取り上げた彼は、ササッと名前を書き換えてしまう。

 それに対して夕奈はしゅんと落ち込んでしまったが、戻ってきた画面に表示されているものを見て表情を明るくするのだった。


「親しみを持つなら、せめてにしてよ」

「りょ、了解っ!」

「まあ、いつかまた書き換えてもらうかもしれないけどさ」

「それは書き換える必要が無い未来もあるかもってことだよね?」

「……さあ、どうだろうね」

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