第314話 過去から逃げるより乗り越える方が強くなれることは明白

 視点が変わって、これはまたまた夕奈ゆうなたちのお話。彼女らはちょうどお風呂から上がり、それぞれパジャマに着替え終えたところだ。


「うぅ、フラフラしますぅ……」

「アルファベットを順番に言えるまで上がらないなんて変なルールを決めるからだろ、まったく」

「普段は言えるんですよ? でも、のぼせて頭が真っ白になっちゃいまして……」

「LMNのところ、LLLって言ってたもんね〜♪」

「わろた」

「わ、忘れてくださいよぉ!」


 みんなが体に残る熱と羞恥心で暑がる花音かのんを扇ぎながら歩いている中、少し先に走っていった夕奈が何かを抱えて戻ってくる。

 それを見た瑞希みずきは「おお」と表情を緩め、逆にこまるは無言のままぷいっと顔を背けた。

 彼女が持ってきたものとは、卓球のラケットが入ったカゴのこと。脱衣所を出てすぐのところに、卓球台やらビリヤードやらが置かれてあるエリアがあるのだ。


「借りてきたからやろうよ!」

「許可されてるのか?」

「向こうにいる先生に聞いたけど、次のクラスの入浴時間が終わるまでならいいってさ!」

「じゃあ、久しぶりにやっちゃおうかな〜」

「私も興味ありましたっ!」


 3人の同意を得て既に確保してある台へ向かおうとした夕奈は、ふとこまるが乗り気ではないことに気がつくと、彼女の横に立ってポンポンと肩を叩く。

 そして振り向きざまの右頬を人差し指でぷにっとした後、白い歯を見せて楽しそうに笑った。


「マルちゃんもやろうよ!」


 その顔を見ると、かつて身長のせいで才能を諦めざるを得なかった卓球も、不思議とやってみようかという気持ちになる。

 こまるは「うん」と小さく頷くと、カゴの中からラケットを一本取り出して、トコトコと一足先に台の前に立った。


「やる気満々だね〜♪」

「こまるの卓球を見るのは久しぶりだな」

「前は瑞希はダーツしてたからね〜」

「夕奈ちゃんもいなかったです!」

「え、私呼ばれなかったの?」

「お前は補習だろ」

「……思い出したくない過去だった」


 そんな会話をしつつ、こまるは固定であと3人を決めるためにじゃんけんをした結果、夕奈が審判という名目でラケットを取り上げられてしまう。

 言い出しっぺだと言うのに可哀想ではあるが、ワンラリーが終わればもう一度ジャンケンするということで諦めてもらった。


「じゃあじゃあ、ひとつ特殊ルールを決めよう!」

「特殊ルール?」

「夕奈ちゃんの出すお題の答えを言えないと打っちゃいけないの」

「何かのアニメで見たな。かなり難しいと思うぞ?」

「簡単なのにするから大丈夫大丈夫♪」

「まあ、それならいいか」

「私もおけまるだよ〜」

「同じく」

「私もです!」


 4人が頷いたのを確認した夕奈は、ボールを瑞希に渡しながら首を捻る。

 そして運んできたパイプ椅子に偉そうに腰を下ろすと、ポンと手を叩きながらお題を宣言した。


「単純なので行こう、野菜の名前で!」

「意外と出てこないやつだな」

「ほらほら、考える時間はないよ!」

「じゃあ、私から行くぞ。まずは『きゅうり』だ」


 瑞希から放たれたサーブは、対角にいる風花ふうかによって『にんじん』という言葉とともに返される。

 それを『かぼちゃ』と答えつつ何とか返せば、ついにこまるの手元にやってきた。


「っ……」


 ボールのスピードは遅いが、高さと着地位置は悪くない。そう認識した瞬間、ラケットを振りかぶる彼女の目の色が変わった。


「なすび」


 おそらく世界で5本の指に入るほど可愛らしい『なすび』だったとその場の全員が確信した瞬後、目にも止まらぬ速さでボールが花音に向かって飛ぶ。

 その恐ろしさに彼女が目を瞑り、慌てて瑞希が庇おうと間に入った瞬間、玉はワンバウンドすると同時に元々瑞希がいた位置へと方向を変えた。

 もちろん慌ててラケットを伸ばすが、惜しくも先端を掠っただけでボールは転がっていってしまう。


「いや、今のはすごいな」

「さすがマルちゃんだね〜♪」

「あ、当たるかと思いましたぁ……」

「卓球部の元エースだもんね! やっぱり、マルちゃんは卓球の天才だよ」


 褒められて満更でもないのか、無表情ながらどこか嬉しそうにラケットの素振りをする彼女。

 きっと身長があと10cm高ければ、何も欠点のないすごい選手になっていただろうに。

 それでも、卓球の神様がどれだけ無慈悲かを一番よく知っているこまるは、今の一振でそんなことはどうでもいいと思えた。


「私、卓球は、嫌い」

「マルちゃん……」

「でも、みんなと、するのは、楽しい」

「……んふふ、だよね!」


 その後、瑞希に交代してもらえた夕奈がこまると壮絶なラリー戦を繰り広げた末に、失敗してこまるの頭上を越える球を打って勝利してしまった。

 それによって彼女がしばらく不機嫌になり、許してもらう条件として夕奈がスマッシュの的にされたということは言うまでもない。


「普通に痛いんだけど?!」

「残り、3発。ちゃんとお腹、見せて」

「一旦休ませて貰えませんかね……?」

「ダメ。3球、同時に、打たれたい?」

「か、勘弁してくだせぇ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る