第313話 おかしな教師が1人くらい居ても、多様性で片付けられる時代

 お風呂に入る時、背後に気配を感じるというのはよくある話だろう。

 そのほとんどが怖い話を見たり聞いたりしたことにより、神経が過剰に反応するようになっているだけであって、気のせいの一言で片付くものだ。

 しかし、今の唯斗ゆいとが背中に感じている気配は、そんな一人で完結する話ではないことは確かなのである。


「……先生、バレてますよ」

『せ、先生なんていませんよ〜?』

「答えてる時点でいますよね。目的はスマホですか」


 彼女はどうやら未だにスマホを覗き見ようとしているらしく、こうして唯斗の入浴中に脱衣所へ忍び込んできたのだ。

 洗面所を使いたいからと言う理由で鍵を開けっ放しにするよう頼まれた時から怪しかったが、いざ本当にこの状況になるとやはり呆れるものである。


「一応教師ですよね? 僕が告げ口したら、先生の人生終わりですよ」

『私は小田原おだわら君がそんなことをしないいい子だと信じていますから』

「本当にいい子なら、こんなド変態教師は即追放してます」

『黙っていてくれるのなら、先生が今晩イイコトをしてあげますよ』

「オセロの必勝法でも教えてくれるんですか?」

『……イイコトのレベル低くないです?』

「なら、どんなことをしてくれるんですか」

『子守唄で寝かしつけてあげちゃいます♪』

「僕、静かな方が寝やすいんですよね」

『頭ぽんぽんもしてあげますけど……』

「妨げになります」

『…………』


 曇りガラスのせいでシルエットしか見えないが、座り込んだ先生が落ち込んでいることは何となくわかる。

 彼は出て行ってもらうためとは言え、少し拒絶し過ぎたかもしれないと反省すると、「あの、先生?」と声をかけた。


「告げ口はしませんよ。色々と面倒臭そうですし、彩芽あやめさんが悲しむのも嫌ですし」

『……本当ですか?』

「はい。あと、少しなら子守唄も聞いてあげます」

『ポンポンは……』

「されてあげます。だから、そろそろ湯冷めしそうなので出てもらえますか?」

『……あとひとつだけ。履歴を見せて下さい!』

「自分のこと、図々しいと思ったことありません?」

『一生のお願いなんです!』

「……分かりましたよ」


 こういうタイプの人間は何度でも一生のお願いを発動するだろう。

 しかし、こんなにもおかしなお願いを真っ直ぐに告げられてしまえば、唯斗も自分から折れてあげるしか無かった。

 まあ、履歴に関しては削除してから見せれば大丈夫だろう。不満をぶつけられたとて、毎晩消していると言えば文句は無いはずだ。


『約束ですからね? 絶対ですよ!』

「はいはい」

『ふふふ♪』


 楽しそうに笑いながら脱衣所を出て行く音を聞いて、僕はようやくため息と共に浴室の扉を開ける。

 どうしてそこまで人の履歴に拘るのかは分からないが、あそこまで楽しみにされると真っ白なものは見せられないなんて考えが過ってしまった。


「そうだ、適当に猫の動画でも検索しておこっと」


 見られて困るものはしっかりと削除させてもらうが、その代わりにお気に入りの猫動画をいくつか追加しておく。

 これで自分自身のプライバシーは守りつつ、先生も傷つけずに済むという一番平和的な道を選ぶことが出来たのだ。


「よし。さっさと着替えよう」


 何も恐れるものは無いと安堵した唯斗は、タオルで体を拭いてパジャマを着る。

 ドライヤーは部屋にあるので、髪は濡れたまま浴室の扉を開けると、後ろ手に閉めながら「お先です」と声をかけた。


「はーい! 先生も入ってきちゃいますね♪」

「ごゆっくりどうぞ」

「覗いちゃダメですよ?」

「安心してください、そんな考え微塵もないので」

「彩芽を襲っちゃダメですからね?」

「大丈夫です、そんな気持ち微塵もないので」

「……本当に男の子ですか?」


 割と本気で心配されているらしいが、正真正銘正常な男の子なので「好きな人以外に邪な気持ちが湧かないだけです」とだけ答えてベッドへと向かう。

 そんな背中を見つめていた先生が呟いた「実は女の子だったり……いや、無いですね」という声は、彼の耳に届かなかった。


「ふわぁ、眠い……」

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