第281話 シスコンな妹は素直だけれど素直じゃない

 唯斗ゆいとが大浴場から戻ってくると、部屋ではちょうど彩芽あやめが風呂から上がってきたところだった。

 彼女と先生は存在がバレることを防ぐため、大浴場ではなく部屋風呂で入浴を済ませるということになっているのだ。


「えっと、その格好で大丈夫?」


 彼がそう聞いたのも、彩芽は髪もしっかり拭いていないような状態でタオル一枚しか身にまとっていなかったから。

 おそらくこんなに早く帰ってくると思わなかったのだろう。「へ、平気よ!」と言い張る表情には、若干強がりの色が滲んでいた。


「非モテに見られたくらいなんてことないわ!」

「彩芽さんがいいなら僕もいいけど、意地を張るのはやめるのをおすすめするよ」

「別に意地なんて……」

「張ってるでしょ。僕が気に入らないのは仕方ないけど、自分の身を削るようなことまではしないで」


 唯斗はそう言いながら彩芽の横を通り抜けると、脱衣所に入ってバスタオルを一枚取り出し、呆然と突っ立っている彼女の頭にかける。

 それから「いくら温かくても、風邪引いちゃうよ」と声をかけながら、少し大雑把に髪を拭いてあげた。


「っ……ごめんなさい」

「謝らなくてもいいよ。でも、彩芽さんに何かあったら先生が心配するだろうから」

「そう、よね。私、服着てくる」

「それがいいと思う」


 理由は分からないが、大人しく言うことを聞いてくれている辺り、どうやら反省してくれたらしい。

 唯斗は面倒なことにならなくてよかったと胸を撫で下しつつ、彼女が着替えを終えるまで背中を向け続けた。


「もう大丈夫」


 その声で体を向けると、目の前にはしっかりパジャマに身を包んだ彩芽が立っていた。前をボタンで留めるタイプのやつである。

 彼女が何やらもじもじとしているので、「トイレなら気にせずにしていいよ」と声をかけてあげると、「違うから!」と怒られてしまった。


「えっと、その……髪を……」

「髪?」

「さっき、拭いてくれたでしょ。人に拭いてもらうなんてお姉ちゃん以外久しぶりだから……」

「あ、嫌だったなら謝るよ」

「そうじゃなくて……!」


 中々伝わってくれないもどかしさに我慢の限界を感じた彩芽は、唯斗にタオルを投げつけながらグイッと距離を縮めてくる。

 それからチラチラと上目遣いな視線を向けつつ、「拭いて欲しいの」と小声で呟いた。


「どうして僕に?」

「お姉ちゃんにはよくしてもらってるわ。でも、他の人にしてもらうのは新鮮で、すごく心地よかったの」

「うーん、そう言われてもね」

「あなたにしか頼めないの。少しでいいから!」

「じゃあ、3回まわってワン」

「はっはっはっ……わん!」

「ん、偉いね。いいよ、してあげる」


 元々この頼みを断る理由なんて面倒臭いくらいしかないわけで、もはや初めからやらないという選択肢すらないようなもの。

 そもそも、唯斗には年下の女の子を虐めて喜ぶ趣味はないため、髪を拭くくらいで喜んでくれるのなら常識の範囲内であればいくらでもやるつもりだ。


「そこの鏡台の前に座ってくれる?」

「うん!」


 嬉しそうに頷いて小走りでイスに向かう彼女からは、出会いの時に感じた嫌な予感はもう感じられない。

 男が同じ部屋に泊まるというのだから警戒するのも当然だ。今回の件で少しは和らいでくれたということだろう。


「言っとくけど、人の髪を拭く経験なんて多くないからね。下手でも怒らないでよ」

「いいから早く早く!」

「……はいはい、わかったよ」


 待ちきれないとばかりに急かしてくる彩芽の鏡越しの視線に、唯斗は念押しで「苦情は受け付けないから」と口にしつつタオルを彼女の頭に乗せた。

 それから頭全体をポンポンとしながら軽く水分を吸い取った後、髪を持ち上げるような形で全体をわしゃわしゃと拭く。


「あっ、これが気持ちいいの……♪」

「こんな感じ?」

「そこをもっと適当な感じで」

「こうかな」

「んん、すごくいい!」


 どうやら彼の髪拭き師としての才能はお気に召したようで、5分間拭き続けた後の乾かしタイムでは、彩芽はぼーっと惚けたような表情で遠くを見つめていた。


「非モテなんて言ってごめんなさい。私、お姉ちゃんを取られちゃうんじゃないかって焦っちゃってて……」

「いいよ、もう忘れたから」

「唯斗さんは優しいのね」

「こう見えて怒ったら怖いから覚悟しといて」

「本当に怖い人はそういうこと言わないわよ」

「確かにそうかも。次から言わないようにする」


 そんなおどけたような言葉にケラケラと笑った彩芽の中で、唯斗への懐き度が少し上がったことを彼もまだ知らない。

 ただ、一連のやり取りをこっそりと見ていた先生までもが髪を拭いて欲しいと頼んできたことで、好感度が少し下がってしまったのだけれど。


「や、やっぱりお姉ちゃんを取ろうとしてる!」

「……違うのに」

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